誘拐作戦

 王族の移動というものは、あえて秘匿しようとしない限り、とかく目立つものである。

 それは、一挙一投足の威信でもって、民たちへ範を示さねばならない立場からすれば、当然のことであり……。

 また、実務的にも、護衛や身の回りを世話する者が複数同道せねばならないため、どうしても大所帯となるからであった。


 しかも、王族用の四輪車が、護衛の四輪車複数と共に発ったのは、夜分のことである。

 鳴り響く金属車輪の騒音へ王都ハリエルの民たちが目を覚まし、車用の大型カンテラに灯る光を目撃したのは当然のことだ。

 そして、その行き先がどうやらバンラッサ平原方面であるらしいことも、少し推察すれば簡単に検討が付いたのである。


 それはつまり、王都ハリエルへ潜伏している帝国の諜報員にも、王族の動きが筒抜けであるということ……。

 しかも、帝国の諜報員が潜伏しているのは、市井のみではない。

 王城の中にも、息のかかった者が潜みこむことへ成功していた。

 その者たちから、王女が慌ただしく支度をして発ったという報告がされ、諜報員たちは正しい分析に成功する。


 ――王女レメーラが、バンラッサ平原へと向かった。


 この報は、すぐさま前線のデンガル重騎聖へと届けられることになった。

 王都郊外の納屋へ隠しておいた二輪車で、夜を徹して駆けるのである。


 当然ながら、レメーラ王女本隊や先触れの二輪車がそうしているように、街道を使うことは出来ない。

 そのため、道らしき道などない闇夜の森などを突き進む形となった。

 ただでさえ操作性が悪い二輪車で、しかも視界が不明瞭な中、障害物多き中を進む……。

 これを成し遂げられるのは、ヴァルキア帝国軍がただ数を頼りにしているだけではないということを、証明しているといえる。


 そうこうしている内に夜は明け、視界が明瞭となったことで、二輪車はますますその速度を増す。

 そうやって突き進んだのは、バンラッサ平原を臨める山脈地帯だ。

 そのままエルメリア山脈と呼ばれているここは、国家の名を付けられているだけあり、エルメリア王国にとっては極めて重要な役割を持つ土地であった。

 その役割とは――盾。


 起伏に富んでいて、しかも植生豊かなこの山脈は、大部隊での踏破が不可能であり、王国側からすれば、帝国軍の侵攻経路を限定する防波堤となっているのである。

 それはつまり、この山脈そのものが、王国軍にとって盲点となっているということ……。


 ただでさえ、バンラッサ平原には帝国の大軍が布陣しているのだ。

 王国側からすれば、とてもではないが、山脈側に目をやる余裕などないのであった。


 だから、見張りなどを心配する必要もなく……。

 四肢持たぬ二輪の車体が、時にカモシカのごとく跳ね上がり、道なき山の斜面を駆けていく。

 かようにして、帝国の諜報員は悠々と国境を越え、帝国軍の陣幕へと接触を図れたのである。

 これは、王国の落ち度というよりは、これだけの悪路を乗り越え、夜通し二輪車で駆け抜けた諜報員の実力であるといえるだろう。


 かくして、レメーラ王女出立の情報が、エルメリア方面軍首脳の下へと届けられたわけだが……。


「山脈経由で密かに兵を送り、誘拐しましょう」


 事実上の指揮官であるデンガル将軍が提案したのは、実に明快な作戦であった。


「王女ともなれば、あの顔付きに関する情報を持っていることでしょう。

 また、それを置いたとしても、その身柄を確保することの効能は数多い。

 大事な姫君を奪われたとなれば、王国軍の戦意は急激に低下することでしょう」


 しかしながら、それに異を唱えたのが、名目上の指揮官であるファルナン重騎将だ。


「僕に、王女誘拐の汚名を被れというのか?

 これは勝てばいいという戦いじゃないと告げたのは、他ならぬお前だろう?」


「恐れながら、これは卑怯にはあたりません。

 奪える時に相手の頭を奪うのは、戦場において当然の仕儀……。

 悪いとすれば、それは、無防備に王女という大駒を放った相手方なのです」


「むう……」


 デンガルの言葉に、ファルナンが押し黙る。

 デンガルとしては、これはファルナン自身にも当てはまると、暗に言い含めていた。

 指揮官が迂闊な行動を取れば、たちまち瓦解してしまうのが、軍隊というものなのである。


「ともかく、急いで兵を選定しましょう。

 山脈を二輪で越えられ、王女の護衛も一蹴せしめる精鋭たちを選抜します。

 王女本隊は四輪で移動し、しかも、か弱き姫君を乗せている……。

 伝令や間諜がしているような無茶な移動は出来ますまい。

 おそらく、エルメリア側の陣地へ到達する前に確保できると思われます」


 言いながら、デンガルは脳裏で何名かの名前を思い浮かべる。

 少数で、二輪を用い素早く山脈を移動……。

 その上で、王女の護衛を蹴散らし誘拐を成功させる……。

 この難条件で、すぐさま必要な人数を埋められるのが、ヴァルキア帝国軍の強みであった。


「……分かった。

 女子供をかどわかすというのは、僕の流儀には反するが……。

 ここは、任せよう」


 そうこうしている内に、ファルナンもまた、決断を下す。

 こうなれば、もはや、行動をためらう理由はない。


「よし!

 今から名を挙げる者たちを、ただちに招集せい!

 これは、緊急の作戦行動である!」


 陣幕の外へ控えていた伝令兵に、てきぱきと指示を下す。

 こうして、レメーラ王女誘拐作戦は、迅速に実行されることとなったのである。




--




 一方……。

 相手方の動きを注視していたのは、エルメリア王国軍とて同じであった。

 とはいえ、こちらは間諜などが潜り込んでいるわけではない。

 では、いかにして動向を探っているのかといえば、敵軍を刺激せぬギリギリの範囲から、巨兵と望遠鏡を用い偵察するのである。


 巨兵の全長に望遠鏡が合わされば、これは、即席かつ移動可能な物見やぐらとして十分な能力を発揮するものだ。

 もっとも、それは相手方にとっても同じことであるから、結局、偵察に出された王国重騎士は、同じ条件の相手に見咎められぬ瀬戸際を見極めねばならぬのだが……。


 その、いわば視界の境界線と呼ぶべき位置……。

 重騎士は、兜を上げたラーバの操縦席から身を乗り出し、ひたすらに望遠鏡を覗き込んでいた。

 二枚のレンズで拡大されているとはいえ、筒の中で見えるのは、豆粒のように動き回る帝国軍たちの姿であり、しかも、極めて限定された視野である。


 この条件で違和感に気づけたのは、重騎士の目端が優れていたからか、あるいは、執念が実を結んだか……。

 おそらくは、両方であろう。

 ともかく、その重騎士は、帝国軍陣営の動きから、こう結論付けたのであった。


「……エルメリア山脈から、秘密裏に兵を送り出そうとしている!?」


 気付くと同時に、すぐさま操縦席へと引っ込み、ラーバの面頬を下ろす。

 得られた情報を迅速に届けてこそ、偵察は意味があるのである。

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