王女の決断

 エルメリア王国内には、人と物の行き来を助けるため、よく整備された街道が走っており……。

 その上を今駆け抜けているのは、二輪の車であった。

 その速度たるや、絶大なり。

 巨兵に用いられるのと同じ靭帯を用いて動かしているため、馬などでは及びもつかない速さで移動が可能なのである。

 ただし、乗り心地は最悪であり、その操縦には感性と、何より体力が求められた。


 何しろ、整備されているとはいえ、剥き出しの地面を緩衝材も何も無い金属製の車輪で駆け抜けるのだ。

 凄まじい振動が操縦者を襲い、熟練した者でなければ、たやすく投げ出されてしまう。

 故に、二輪車を操ることができる伝令兵は、時に重騎士と同等か、それ以上の扱いを受けるのだ。


 小型の魔水晶から操縦者の意思を受け取り、二輪車は素晴らしい速度で街道を駆け抜け、王都ハリエルへと到達する。

 迎えたハリエルの民たちに浮かんでいたのは、不安と恐怖の色であった。

 王国が誇る重騎将バルターが、決死の覚悟で軍勢を率い、一大決戦へと臨んだのだから、これは当然だろう。


 彼らに対し、伝令兵はあえて――何も伝えない。

 自らに与えられた任務は伝達であり、伝えられた情報をどう扱うかは国王とそれを補佐する者たちの役割であると、よくよく承知しているからである。


 しかしながら、二輪車の最高速で数時間も駆けながら、一切の疲労を感じぬほど高揚した伝令兵の姿には、人々も何かを感じ取ったようであり……。

 王都ハリエルには、久方ぶりの明るい空気が漂い始めたのであった。




--




「――何!?

 ヴァルキア帝国軍撃退に、成功したというのか!?」


 国王エドワードの驚く声が、玉座の間に響き渡る。

 驚いたのは、王冠を被った壮年の王のみではない……。

 この場にいる誰もが……。

 驚愕し、互いの顔を見交わしていた。


 何しろ、この決戦は敗れる前提であったのである。

 それでも、傲慢なる侵略国家へ一矢を報いる……。

 その一心で兵たちを送り出したのであり、次はこの王都ハリエルそのものへ立て籠もっての籠城戦であると、誰もが覚悟していたのだ。


「はい!

 詳しくは、こちらに……。

 略式ながら、バルター重騎将の報告書でございます!」


 言いながら、伝令兵は懐から封筒を取り出す。

 過酷な二輪車の運転で紛失せぬよう、これは革袋に入れた上でベルトを用い、体へ固定していたのである。


「どれ……」


 うやうやしく差し出された手紙を、王が受け取った。

 そして、この場限りは作法なども取り払い、素手で封を破り、中身を確認したのだが……。


「ほう! これは!」


 その目が、くわと見開かれる。

 のみならず、口元には笑みが浮かんでいたのだ。


「レメーラ。

 お前も見てみろ」


 そのまま、玉座の隣で座る愛娘へと報告書を渡す。


「一体、何が……?」


 首をかしげる王女の姿は、実に――美しい。

 銀色の髪は、膝の辺りまで伸ばされており……。

 顔の造作は、神が創造された芸術品のごときである。

 肌の色素は薄く、氷のように涼し気な色合いをした瞳と合わさって、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。


 ――レメーラ・エルメリア。


 国王エドワードにとって唯一の子供である。

 その王女もまた、バルター重騎将からの報告書に目を通したが……。


「お父様……!

 これは……!」


「うむ……成功したのだ」


 エルメリアで最も尊き地位にある親子は、喜色を表しながら互いの目を見たのであった。


「伝令よ。

 ここまで、ご苦労であった。

 この後は、十分に休息を取るがいい。

 また、ここを守る兵たちにも退出を命じる。

 我らは今すぐ、国の行く末すら左右する話し合いに取り組まねばならん。

 従って、しばらくは誰も通さぬように」


 ――ははっ!


 よく訓練されたエルメリアの兵たちが、命じられた通りに玉座の間を退出していく。

 通常ならば、王の護衛が誰一人としていない状態など、考えられないだろう。

 しかし、ここへ集められたのは、王と運命を共にすると誓った忠臣たちだ。

 従って、王に害をなす可能性など皆無であると、誰もが理解していたのである。


「さて……。

 驚くべきこと……そして、喜ばしきことが分かった」


 そんな忠臣たちに、玉座から王が告げた。

 それは、バルター重騎将からの報告書に書かれていた内容だったのである。


「失敗に終わったかと思えた此度の勇者召喚……。

 しかし、あれは失敗ではなかった。

 驚くべきことに、異世界の勇者は城で描いた魔法陣ではなく、かのバンラッサ平原へと直接現れたというのだ」


 ――おおっ!?


 王の言葉に、重臣たちがどよめきを漏らす。

 この場に集まりしは国の中枢たる人物たちであり、エドワード王とはいわば、異体同心にあたる者たちだ。

 当然ながら、逆転を期して行われた勇者召喚の儀式に関しては、知るところであった。


「そうか……成功に終わりましたか……」


「しかも、直接バンラッサ平原へと降り立つとは……」


「なるほど、帝国軍を押し返したというのも、納得がいく……」


「儀式が終わり、魔水晶だけが消失したと聞いた時は、伝承が間違っていたのかと嘆いたものだったが……」


「むしろ、最善の結果をもたらしてくれたというわけだな」


「巨兵十体分もの魔水晶を投じただけの成果はあったか!」


 家臣たちが騒ぐのを、あえて王は止めない。

 国王自身、人目がなければ快哉を上げたいところだったのである。

 また、報告書の末尾へ記されている但し書きの件もあった。


 ――かようにして、勇者殿の働きたるや抜群なり。


 ――しかし、本人は元いた世界への帰還を望んでおられます。


「帰還を望むか……。

 だが……」


 皆には聞こえず、隣の愛娘にだけ聞こえる絶妙な声音で、エドワード王はつぶやく。

 レメーラ王女こそは、勇者召喚の儀式を執り行った実行者であり、いわばこの件に関する第一人者だ。

 だから、それだけで、父王の憂慮を正しく汲み取れたはずである。


「陛下……一つ、お願いしたき儀がございます」


 その証拠に、皆が聞こえるような声で、レメーラは王と向き合ったのであった。

 細身とはいえ、声の張りが良いのは、人を導く立場の血筋だからだろう……。

 王女の言葉に、皆が話すことを止め、姿勢を正す。


「私に、バンラッサ平原まで向かう許可を下さい。

 それも、今すぐ……。

 可及的速やかに、です」


「何と!?」


「レメーラ王女自らが前線に……!?」


 家臣たちがざわめいたのは、当たり前のことである。

 姫君御自らが前線へ赴くなど、考えられることではない。


「勇者召喚の儀を執り行ったのは、この私。

 勇者様に現状を説明するには、適任であると思います。

 また、私自らが前線を訪れ、慰撫したとなれば、兵たちの士気も上がるかと」


 臣下へも聞こえるよう、はっきりとした声でレメーラが告げた。


「ううむ……」


 エドワード王は、さすがにしばし、迷ったが……。


「いいだろう。

 この件は、お前に任せよう。

 すぐさま、支度をするがいい」


 決断し、そう命じたのである。


「はい」


 凛とした態度で、レメーラ姫が返す。

 その後、姫君の意思を叶えるべく、城中は慌ただしいこととなった。

 そして、そうして立ち働く者の中には……。

 悲しいかな。帝国の息がかかった者もいたのである。

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