第10話 信じられない

それは、夫が決めるべきことなのだ、というのは私の率直な感想だった。


私はよく、人から冷たいと言われる。それは、夫にも結婚してから何度も言われたことだった。普通、こんな時、妻としては先生と一緒に夫を説得すべきなのだろうか。泣いたり、するんだろうか。


あなた、失礼なこと言うけどそれでも奥さんなんですか。もっと心配したらどうですか。私は医師として、余命だどうのって話になっちゃうって言ってるんですよ。もう少し言いようがあるでしょう。昨日の妹さんのほうがまだ親身でしたよ。


夫ががんだということも、私がいかに冷たい妻かということも待合室の人全員に筒抜けだろう。しかし、よりによって先生まで私とミチコを比べなくてもいいではないか。じゃあ昨日はどういう対応だったんですか、と聞きたいのはやまやまだが、今はそんな話をしている場合ではない。


先生、この人は関係ないんだ。これは僕の問題でしょう。僕が決めるべきことで、もう決めたんです。先生の熱意はありがたいが、自分の命は自分で決めます。特に他になければもういいですか。


先生は私を見て、奥さん、あなたもう一度午後、私宛に電話ください。もう一度話させてください。とだけ言った。


私は、小さくうなずいてから、深々とお辞儀をして、診察室を後にした。


待合室ではみんなが私たちのことを見ているような気がした。がんが見つかった、かわいそうな旦那さん。奥さんが冷たい人だからもっとかわいそう。奥さんも何とかもう少し世話を焼くとかすべきじゃないかしら。


言葉には出さなくても、無言で責められているような、いたたまれない空気はぬぐえなかった。


支払いを済ませて外に出ると、珍しくどんよりと曇っていた。今にも雨が降りそう。


これからどうするの?


と聞くと、夫は、今日は会社休んだからバイクでも乗ってぶらぶらするつもり、という。私が聞きたかったのは、今日のことではない。これから5月までのことだった。でもこの道端で、いやそういう話じゃなくて、と話を始めるには、あまりにも重すぎたし、わざとお茶を濁したかもしれない夫にあえてその話を持ち出すのもかわいそうにも思えた。


そっか。雨降らないといいね。じゃ私は仕事行くわ。また夜ね。


私は駅方向に、夫は家の方向に向かって別れて歩き出した。


20メートルくらい歩いたところで、ふっと夫の後ろ姿を確認したくて後ろを振り返った。大きくて丸い背中が少しずつ遠ざかっていく。


その姿を見て、私は急に悲しくなった。まるでこれが夫を見る最後かのように。


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