外伝1 ルミレラ蒼神官とその補佐ユスティスの物語

心の花 前編 ~ユスティスの恋心~

 蒼神官そうしんかん――この夏島で一番、くらいの高い筆頭神官の役職名だ。

 オレは蒼神官補佐のユスティス・ランドル。補佐、であって蒼神官ではない。

 今の蒼神官はルミレラ・レスフィードという、二十九歳の女性だ。


 初めは、なんでオレよりも年下の女の部下にならないといけないんだと思った。

 だが、ルミレラは頭がよく、朗らかで、細かい事まで気の付く女性だった。

 彼女が蒼神官になって一年、彼女をだんだんと認めている自分がいた。今日も執務机ごしにルミレラはオレに報告事項を確認する。


夏主祭かしゅさいで使われる花火の手配は済みましたか?」

「ええ、約二千発の花火が海辺で打ち上げられます」


 夏神殿から坂を下った所に夏島は海をいだいていた。そこでの事だ。

 ルミレラ蒼神官はオレに丁寧に敬語を使う。それはオレがルミレラよりも六歳も年上だからだろう。そして彼女は、はっきりと、明確なしゃべり方で話を進めていく。

 オレよりも位の高いルミレラが補佐のオレに敬語を使うのはおかしい感じがするが、彼女は誰に対しても丁寧に話をする女性だった。


「夏主祭では夏神殿の庭に、民が集まってきます。警備部との連携はどうですか」

「それも大丈夫でしょう。夏神殿に入る者はみんな身辺確認をするように言い聞かせてあります」

「夏神殿では夏主かしゅであるレイファルナス様が露台バルコニーで夏島の住民に声をかけてくださいます。警備は厳重にお願いします」

「ええ。それも大丈夫です」


 今話に出てきた夏主かしゅレイファルナス様とは、この夏島なつとうを護る、夏という季節を一定にたもつ力をもつ、神のような方だ。実際、人間ではない。

 ずっと若いまま、何千年も生きていると聞く。

 その姿はやはり人間ばなれしていて、異常に綺麗な方だ。青い眼、飴色の長い髪に長身の、細身な方だ。長い四肢もほっそりとしていて、美しい。

 でも女性じゃない。なんでも季主様というのは性別がないらしい。どちらともつかぬ、中性的な美貌の持ち主だった。


 対して、オレやルミレラは夏島出身特有の褐色の肌をしていて、瞳は茶色だ。

 ルミレラの髪は黒く、長い髪をきっちり後ろで結っている。動きやすい脚衣姿で、その神官服は夏島の象徴色の青がところどころに入っている。そして蒼神官の青い額飾りをしていた。それは金冠で、額の部分だけ、両側からの細い金鎖に繋がれた小さなサファイアがさがっている。

 オレとしては、そんな彼女のことが、レイファルナス様よりも綺麗だと思うのだ。


 夏主祭というのは、文字通り、夏主であるレイファルナス様を祝う、誕生祭のようなものだ。実際、何千年も生きている夏主様が、いつ生まれたかなんて誰も知らないから、主島での夏の始まりの六月一日に催す。

 だいたい、行事に関するこよみは主島のものを基準にする。


「海辺で開かれるダンスパーティーの会場の様子はどうです?」

「それも確認済みです。そちらには夏神殿の警備部から何人か出しておきました」


 ルミレラはふっと息をつくと、にこりと笑った。ふと俺の胸も熱くなる。


「準備万端、当日はぬかりなく夏主祭が催されそうですね」

「ああ。そういえばルミレラは蒼神官になってから初めての夏主祭だったな」

「ええ、そうです。だから絶対に成功させたいのです」

「まかせろ。オレがついている」


 オレは仕事体制から私的体制に切り替わり、にこりと笑った。彼女の不安を少しでも取り除きたい。 

 彼女は落ち着いた微笑みでオレを見た。

 この物腰の落ち着き方が、彼女が蒼神官に抜擢された理由の一つだとオレは思う。

 夏島の筆頭神官、その大職は、何があっても落ち着いて行動と思考のできる者でないと勤まらないだろう。


 だけど―― それがまた、彼女をとても不幸にしているのも事実だった。




 夏神殿、聖殿の椅子に、夏主レイファルナス様が座っている。

 その前でオレとルミレラはこの夏主祭の段取りと、何が催されるのかを報告していた。


「で、恒例になっているレイファルナス様の挨拶の後に花火が二千発打ち上げられます。そして夏主祭の始まりになり、人々は夜通し祭りを楽しみます」


「ふうん。そうか。じゃあ、私は初めの挨拶をしたら夏神殿を抜けてもいいかな?」

「……仕方ありませんね。いいですよ」


 レイファルナス様は花が咲いたように顔をほころばせた。


「ありがとう。挨拶の言葉はちゃんと言うから心配しないで」


「心配などしていません。それは貴方の重要な仕事ですからきっちりやっていただかないと困ります」


「分かってる。私は堅苦しく祭りを上から見ているんじゃなくて、実際に街に出てこの夏島の民の顔をみたいんだ。みんなが笑顔で祭りを楽しめるようにしてほしい。それを私はこの目で見てくる」


「まあ……手厳しいのですね」


 ルミレラは朗らかに笑った。

 いつもと違う笑み。

 そう、ルミレラはこの夏主であるレイファルナス様に好意を寄せている。

 冷静沈着な彼女はその感情を押し殺して普通にふるまっているが、俺には分かる。

 どうして夏主様なんて特異な方を好きになったのか、オレには理解できないが。

 蒼神官になって一年の間に、レイファルナス様の近くに仕えて好きになったのかもしれない。


 そして、その事実はやはりオレの心に、地の底に沈むような喪失感をもたらすのだ。




 夏主祭が来た。

 この夏島、中枢機関の夏神殿の庭は民であふれていた。

 それは、この夏島の季主レイファルナス様の言葉を聞こうと集まってきた人々だ。


 オレとルミレラはレイファルナス様と最後の打ち合わせをする。

 祭りは盛況で、滞りなく進んでいた。

 夕方になって、オレとルミレラはレイファルナス様のいる聖殿の控室へと入る。

 そこにはいつにも増して優美なレイファルナス様がいた。

 青い模様の入った短衣に水色の長衣、白い薄手の肩かけをかけている。

 夏神殿の象徴色は青だから、その季主の正装も青を基調にしているのだ。


「準備はよろしいですか」


 同じく青を基調としている正装をしたルミレラがそう聞く。


「いいよ。私の民に言葉をかけるだけだ。いつもどおりにすればいいからね」


 そして露台バルコニーの扉が開かれた。

 わっと民衆が湧く。

 レイファルナス様が手を上げると、それはしんと静まり返った。


「みな、私の為に集まってくれてありがとう。私の為にこのような祭りを開いてくれて嬉しく思う。その分、私はみなにも幸せになってほしい。みな、何か苦労や悩みがあると思うが、この日はそれを忘れて楽しみ、明日からの英気を養って欲しい」


 レイファルナス様がそう言い終わると、わっと歓声があがり、拍手が割れるように響いた。


 オレとルミレラはそれを三階に位置する露台バルコニーの内側の部屋で聞いていた。

 レイファルナス様が挨拶を終えてオレたちの方へと歩いてくる。

 その時のルミレラの顔と言ったら、心の底から敬愛を示していて、今のレイファルナス様を誇らしげに見つめていた。


「蒼神官、じゃあ、私は街へ出かけてくるよ」


 にっこりと笑顔で言われ、さっきの顔とは変わり、少し悲しげにルミレラは頷く。

 わずかな顔の変化だったが、オレは見逃さなかった。


「いってらっしゃいませ」


 そう言ってルミレラはレイファルナス様を見送った。


 そこに残ったのは、オレとルミレラだけになった。


「そんな顔、すんなよ」

「ユスティス? そんな顔ってどんな顔ですか?」

「いや……なんか泣きそうな顔してる」

「ばかな事は言わないでください。何に泣くと言うのです」


 そこでオレはふいに聞いてみたくなった。


「ルミレラは結婚ってしないの? もう遅いくらいだと思うんだけど」

「そういう事は聞かないのが礼儀ですよ」


 ルミレラは気分を害したみたいだった。

 でも。


「誰も貰ってくれなかったら、オレがもらってやるよ」

「はあっ?」


 突然の言葉にルミレラは静かに驚いた。


「何を言ってるか、分かっているのですか?」

「分かってる」


 しばらくの沈黙が流れた。


「そんなにあの夏主様が好きか?」


 俺は真剣にルミレラに聞いていた。

 彼女は絶句した。

 誰にも知られていないと思っていたのだろう。

 でも、いつも彼女を見ていた俺には、一目瞭然だった。


「敬愛していますが、恋愛感情ではありません」


 嘘ばっかり。冷静沈着で平気な顔していても、心の内は分かる。


「俺もルミレラの気持ちは分かるよ」

「どう分かるというのです」

「絶対に叶いそうもない愛って、どういうものかね」


 ルミレラはふと瞼をふせた。

 俺はそれ以上なにも言えず、彼女を残してその部屋を出た。


 ルミレラにひどいことを言ったと思う。

 こんな事を言うつもりじゃなかった。

 でも、さっきのレイファルナス様を見ていたルミレラを見ていたら、いてもたってもいられなくなった。


 絶対に叶いそうもない、愛。

 それはオレのことだ。


 消しても、消しても、ルミレラの顔が思い浮かぶ。

 年下だけど蒼神官であり、俺の上司として必死で働くルミレラを尊敬している。

 そしてきっと、オレは彼女以外、好きになれないのだ。


 傍にいると、心の底から歓喜があふれる。

 笑顔を見ると、魂が震える。

 ルミレラの悲しい顔は、見たくない。


 それは、ルミレラがレイファルナス様に感じる感情と、似ているのかもしれない。

 そう、きっと同じなのだろう。


 その人しか好きになれない、強い想いを持っている。


 だから、俺はルミレラの心内が手に取るように分かるのだ。

 誰かを想っている人を、真剣に好きになってしまう、その心。どうしようもないと分かっていても、その人が好きなのだ。



 音楽隊の旋律が夏神殿に響いている。夕日が射した夏神殿の原色の花々が、赤い光に照らされていて、綺麗だ。


 心の中に咲く花は、散っても、散っても、ルミレラの顔を見るたびにまた蕾をつけて花を咲かせる。

 そして、今もその花は綺麗にオレの胸に咲いていた。


 心の花 前編終わり


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