終章
第33話 レイの悩み
主島で夏がめぐってきた。
ミンミンと夏の虫が鳴きさけび、太陽の陽射しが厳しい季節だ。
しかし、このように暑くないと作物の実りが悪くなる。
そんな季節。
レイはクレスの自宅の自室で彼と会っていたところだった。
クレスの家は大神官の屋敷だ。当然とても広い。だから、クレスの部屋も豪華で広かった。
クレスの部屋は、白い壁に、大きな勉強用の机と、書棚が二つ並んでいた。
二つある窓にはレースのカーテンが掛かっており、そこから夏の光が差し込んでいる。
そして、肌触りのいい、灰色の絨毯が敷かれている。
窓の脇には、姿見が置いてあった。洋服入れは寝室にあるから、この部屋はとてもさっぱり片付いている。
寝台は隣の寝室に置いてあるが、扉が閉まっていてレイからは見えない。
冷暖房装置が稼働していて、室内は程よく涼しくて気持ちが良かった。
レイは来客用の洒落た卓で、座り心地のいい結構高価だろう椅子に、クレスと向かい合って座っていた。自室に来客用の卓があるところが、やはり大神官の屋敷だ。
テーブルには茶器が二つ、茶菓子の籠が中央におかれている。
「なあ、レイ」
「なに?」
近況を話し合ったあと、クレスは窺うようにレイの青い瞳を覗いてきた。
「来月は俺の誕生日なんだ。十八歳になる」
「ああ、おめでとう。そうか、何か贈り物を用意しておくよ」
レイはにこやかにクレスに返事をしたが、クレスは何か緊張していて目を泳がせている。
「なに? 何か問題でもあるの?」
レイがいぶかしんで聞けば、クレスは耳まで真っ赤になってぼそぼそとレイに言った。
「俺、れ、レイの……が、欲しい」
「……え?」
聞き取れなくてレイは首を傾げた。
というか、恐れていたことが来たか、とも思った。
もう自分たちも付き合い始めてだいぶ経つ。
レイの胸の鼓動が少し早くなる。
レイ自身はそういう気にはほとんどならないが、クレスは健康な十八歳になる人間の青年だ。そういう気になるのが当然と言える。
どうしようか、とレイは考えた。いろいろと困る事態だ。
「レイ、俺……」
「いいよ、全部言わなくても」
「な、なんで? 俺の言いたいこと、分かるのか?」
「まあ、大体は」
そこまで言うとクレスはあからさまにほっとした様子を見せて、肩の力が抜けた。
「そうだよな、約束したもんな。ガラルド美術館で」
「……は?」
レイは目を見開いた。
何か話が食い違っているようだ。
ガラルド美術館?
「……ちなみにクレスは何が欲しいの?」
確認を取るために聞いてみる。
するとクレスはまた赤くなった。
しかし、今度ははっきりと口にした。
「レイの肖像画。小さいヤツでいいから、それが欲しい」
レイは自分の勘違いに目眩がするかと思った。自分の前に淹れてある冷めたお茶を一口飲んで、長い三つ編みを片手でもてあそびながら、ふーと溜息をついた。
「……クレスってやっぱり可愛いよね」
「なんだよ! 可愛いとか言うな!」
「いいよ。私の絵を描かせてクレスの誕生日までに持ってこよう」
「そうか……! 言ってみるもんだな!」
クレスは喜色満面になってレイに顔を寄せた。
そして嬉しそうにレイに口づけをした。
(やっぱりクレスってかわいい……)
レイは口づけを受けながら、本人ではなく肖像画を欲しがるクレスに苦笑した。
夏島に帰ってきたレイは今、執務室で机に頬杖をついて考え事をしていた。
レイの執務室は、自分で描いた夏島の、大きな全景図が掛かっている広い部屋だ。
執務机のうしろと天井に大きな窓がとられていて、光がさんさんと降り注ぐ。
その季主の椅子に座りながらレイは考えている。
自分の肖像画を描かせてクレスに贈るのはいい。
でも、レイ自身もクレスの肖像画が欲しくなってしまったのだ。
しかし、レイがクレスの肖像画を持つというのは、クレスとは別の意味を持つ。
クレスがいなくなったとき、レイはクレスの肖像画があるかぎり、ずっと彼の姿をそこに見て、忘れられなくなるだろう。
彼を偲ぶよすがになるだろうが、見るたびに泣くことになる気がする。
正直に言って、本当は喉から手が出るほど、欲しい。
しかし、タリアのときも肖像画を残したことで、余計に忘れられなくなった。
同じことをするのは愚か者だと自分に言い聞かせた。
タリアは三十年前に蒼神官だったレイの初恋の人だった。
人間の生き方を全うして逝ってしまった彼女の肖像画を棚から出すと、それを手に取る。
金髪で短髪の女性が笑顔で描かれていた。
「忘れられない想いなら、抱(いだ)いて行くしかないよね、タリア。君もクレスも、私は忘れないよ。本当はクレスの肖像画もすごく欲しいんだけど、また泣くことになると思うから、欲しいなんて言えない。タリアの肖像画は持っているのに、クレスのは持ってないなんて、クレスは怒るかな」
一人語ると、レイはまたタリアの肖像画を棚に戻した。
レイは自分つきになっている神官にルミレラ蒼神官を呼ぶように言いつける。
「蒼神官に、仕事が終わったらここへ来るように言ってくれるかな」
「はい、承知しました、レイファルナス様」
レイから言付かった青い制服を着た神官は、蒼神官執務室へと向かった。
あとは、ルミレラ蒼神官に肖像画の絵師を手配してもらえばいい。
絵師が決まり、順調にレイの絵は形になって行った。
途中経過を見せてもらうと、なかなかいい出来だ。
絵の構図は、クレスと初めて会ったときの自分の姿だ。
旅装束のベストとズボンすがたで、三つ編みをしている。
ただ、青い耳飾りだけが、片方だけになっていた。
絵の大きさは片手で抱えられるくらい。肖像画としては小さめだ。
そしてそれが完成すると、クレスの誕生日にレイは主島へ
季主の道を使って肖像画をもってクレスと主島で待ち合わせたのだ。
その日、レイとクレスは首都の中央公園で待ち合わせた。鳥の像の前でレイがクレスを待っていると、彼が歩いてくるのが見える。シャツにズボン姿の軽装のクレスは、レイに手をあげて自分がきたことを知らせた。
反対側の手にはレイと同じくらいの茶色の荷物を抱えている。
クレスが近くまでくると、レイは少し気恥ずかしく思いながら自分の肖像画を彼の方へ差し出した。
「誕生日おめでとう、クレス。これ、約束のものだよ。私がみたところ、よく描けていると思う」
「ありがとな、レイ。俺もレイに贈り物がある」
「なに?」
レイが問うと、クレスは彼と同じような包みをレイに渡した。
「俺の肖像画」
レイは目を開いてその茶色の包みを凝視した。
「俺、レイの絵がすごく欲しかったから。だからレイも同じ気持ちでいてくれるんじゃないかと思って。あ、でもこれは預けるんだからな」
「預ける? くれるんじゃないの?」
「俺が歳とったら、俺に返してくれ」
「……なんで?」
「俺の肖像画よりも、レイにはもっと見て欲しいものがあるからな。俺が預かったレイの耳飾りと交換だ」
そう言ってクレスは笑う。
泣きたくなるような感覚をレイは覚えた。
本当は欲しくて仕方がなかったクレスの肖像画。
それを我慢していた自分のこころを透かして見られていた気分だ。
クレスはいつも自然に、形あるものも、無いものも、大事なものをレイにくれる。
「ありがとう、クレス。大切にするよ」
「ああ。俺も大事にする」
爽やかに笑うクレスに、レイはまた以前のように不覚にも涙がでそうになった。
涙をごまかすために、彼は慌てて笑顔をつくった。
夏島に帰って、執務室でレイはクレスのくれた包みを開いてみた。
そこには、妙にカッコいいクレスが澄まし顔で描かれている。
片方の耳にはレイの預けたサファイアの耳飾りが入っていて。
「ちょっとカッコつけすぎなんじゃないの、クレス」
肖像画をみて、自然と笑顔になるのを抑えきれなかった。
レイは、それを持って扉を隔てた隣にある、自分の私室に向かって歩いていく。
クレスの絵を自分の部屋へ飾るために。
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