第29話 ダリウスの野望

 レイが消えてしまったと同時に、クレスの耳に風のような彼の声が聞こえた。


『その青い耳飾りを大事に取っておいて』


 と。

 クレスは咄嗟とっさにひざまずいてレイが残した青い耳飾りを手元に隠した。

 誰もがレイを失った衝撃でひざまずいたと思い、耳飾りのことは誰も気が付いていないようだった。


 ダリウス朱神官は高笑いする。


「季主など本当にいらないということなのだろう、たかだか矢で夏主の身体は消滅した! 夏主にも本体の貴石があるだろう。さがせ」


 ダリウス朱神官の部下である神官たちが、クレスを押しのけてレイが消えた場所を見て探したが、それらしいものは何も見つけられなかった。


(さっきの、耳飾り……)


 クレスは咄嗟に思いつく。さっきの耳飾りが――レイの本体なのではないかと。

 クレスは耳飾りを見つからないように、大事に優しく握りしめる。


「夏主の体を射た矢しかありません……あとは何もみつかりません」


 神官はレイを射た矢をつかみ、ダリウス朱神官に渡した。ダリウス朱神官はそれを見てふんと鼻をならす。


「ならば今はいい。それよりも……」


 ダリウス朱神官は、ルファに向き直り、居丈高いたけだかにものを言った。


「さあ、ルファ様。本体であるルビーを渡してください。夏主のように射ても良いのですが、我が主だった方にあまり手荒なことはしたくありません」

「それは出来ないわ」


 ルファはもう一度、静かに言葉を紡ぐ。


「この人間を見捨てるということですか? ルファ様」


 ダリウス朱神官はクレスを指さす。

 しかしルファは決然と言い放った。


「わたくしは春島のすべての命を護っているの。人間だけじゃない」

「そうですか。それは分かります。しかし、季主は大きな力を持ちすぎている」


 血走る目でダリウス朱神官はルファに詰め寄った。


「そんな季主などいらないのです」


 ルファは静かに言葉を紡いだ。


「ダリウス朱神官。貴方のもっている春島を護るルビーは、永遠には持たないわ」


 ダリウス朱神官は瞠目した。


「季主は自分の浮島を出るとき、貴石に力を移す。それは間違ってない。全員同じ。だってそうしないと、他の浮島にいったとき大変じゃない。ネイスクレファが来たら、この春島は真冬になるってことよ」

「……」


 ダリウス朱神官はルファを睨みつけ、黙りこんだ。


「わたくしたち季主は、力を貴石に注ぐけれど、力は季主の身の内でまた生まれる。だから、他の浮島へいくときは、自分の力は封じるの。

 基本的に春島を護る力はわたくし自身なのよ。そのルビーは、いわばわたくしの代替品。だから永遠には持たないわ。

 わたくしがいないと、春島の結界は壊れる。飛行船だって飛べなくなるわ。それでもいいの?」


 ルファは広場に集まった民衆に聞こえるように言い放った。

 この民衆は、ダリウス朱神官がルファが居なくなることを確かめさせるためにここに呼んだのだろう。

 自分が春島で一番の存在だと民衆に知らしめる為に。

 しかし、いまその民衆は、ルファの言葉にぐっと黙った。

 ダリウス朱神官に何を吹き込まれたのかは、ルファは知らない。

 けれど、民衆の叛乱はルファ自身にも責任があると、彼女は薄々と感じた。

 ダリウス朱神官は、昔々の戦争で『季主が何をしたのか』と言っていた。

 それはルファも未だ覚えている胸の痛くなることだった。

 しかし、あのときはそうするしか、無かった。

 そうしなければ、この浮島の生態系は壊れていた。


 そして。

 ダリウスや民衆は。

 そんな季主がいま子供の姿なのも、気に入らなかったのではないかと思った。

 いままでルファが気が付かなかっただけで。

 ルファは、自分に石弓を向けている神官たちに向けて、言い放った。


「ダリウスを拘束しなさい」


 紅く光る瞳。ルビーのようなその目で見られて、神官たちは戸惑った。


「わたくしは手荒なことはしたくないの。今すぐに拘束しなさい」

「さっきの夏主を消滅させたようにルファ様に矢を放て。本体の貴石はあとから探して砕く」


 同時に言われ、石弓を持っていた神官三人は、迷った。

 すると、ルファの目が赤く光る。

 ぐっと三人の手が上がり、石弓がダリウスに狙いをつけた。

 操り人形のようにダリウスに矢を向ける神官に、彼は叫ぶ。


「私を裏切るのか!」

「か、身体が勝手に……! ダリウス様……!」


 悲鳴のような声を上げて神官が叫ぶ。

 ルファは周りで見ていた、石弓を持っていない、この計画とは無縁そうな警備部の神官に命じた。


「もう一度言うわ。ダリウスを拘束しなさい」

「……はい。かしこまりました」


 同じ目に遭いたくなくないという思いと、季主の力を見せつけられて、警備部の神官は恐怖した。

 ダリウスは一番敵に回してはいけない存在を、敵に回したのではないか。

 神官はダリウスの手を後ろに拘束し、ルファの前にひざまずかせた。


「きさま! お前たちだって子供の季主などいらないと言ったではないか!」

「黙りなさい、ダリウス。見苦しい!」


 頭を抑え込まれて数人の神官の手でルファの前に座ったダリウスは、憎しみを込めて叫ぶ。

 ルファも大きく声を上げた。

 それと同時に、心をえぐられた。


『子供の季主などいらない』


 やはりルファの思った通りだった。

 ダリウスの言ったことが、今回の事件を招いた原因の一つなのだ。

 もっと深い理由もあるだろうが、原因の一つを作ったのはルファだ。

 それはルファの責任だった。

 ふらり、と身体がかしぐのをルファは両足に力をこめて耐える。

 力を貴石に込めた状態で慣れない力を使ったせいで、眩暈がしていた。


「ダリウスを牢へ。詳しいことはあとで、わたくしがダリウスから直接聞きます。ダリウス。わたくしは今、他にやるべきことがあるから、牢で大人しく待っていなさい」


 目眩でふらつく身体を、誰にも悟られないように毅然と言う。

 ルファの一言で、ダリウスは春島の牢へ向かっていく。

 クレスはダリウスを殴りたい気持ちを必死で押し殺して、どうしても彼に聞きたいことを聞くために、声をあげた。

 ずっと分からなかったことがある。

 そしてこれは、有耶無耶うやむやにしてはいけないことだった。


「ダリウス朱神官」

「……なんだ、坊主」

 ダリウスは不貞腐ふてくされたように乱暴な言葉を使った。


「貴方はどうしてルファ様がこの春島を出るのを知っていたのですか?」

「……」


 ダリウスは黙り込んだ。


「この事件は、計画的だった。広場にあつまった人々を見ても、ルファ様が春島を出る、という大前提が無ければ、出来ないことだった」

「……ふふふ、はははっ」


 ダリウスはさも可笑しそうに笑う。


「ルファ様が春島を出られたのは、冬島の事件があったからだ」

「あはははっ」


 目尻に涙を浮かべてダリウスは笑い続ける。


「貴方は……あなたが冬島の事件を起こした首謀者なんですね」


 冬島で大事件がおきれば、きっとルファはその視察にいく。

 季主の道を使って。

 その間にルファの力が宿った春島の貴石をうばい、季主の道で帰りを待ち伏せしたのだ。

 クレスは拳を握って怒りに耐えた。

 レイを消滅させた、このダリウスが憎くて仕方がない。


「貴方は最低です。俺の父である大神官も、冬島のセヴィリヤ白神官も、秋島のクラウス翠神官も、必死で民のこと考えて行動していました。なのに貴方は何をしているんですか?」


 クレスの目尻に涙が溜まる。

 悔しくて、悲しくて。

 ダリウスはそれを聞いて、途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「人間の……治める…人間の為の…世界を……」

「人間だって何かと共存しなければ生きていけない。それに季主は俺たちを護っていてくれるのに……!」


 レイも、ルファも、ネイスクレファもアレイゼスも。

 この世界を大事に、息をするように護っていた。


「本当にそう思うか……? 坊主……。季主は人間が邪魔になれば容赦なくこの世界から排除するだろうさ」


 ダリウスは吐き捨てるように言った。


「どういう意味ですか?」

「そのままの意味だ」


 ダリウスはクレスを嘲笑するように笑った。

 クレスはそんなダリウスに突きつけるように事実を告げる。


 人々を助けるには、大きな力が必要だ。

 それは見誤った使い方をしなければ、この世界を幸せに導ける――

 力が欲しい。

 人々を助けることのできる力が。


 それがクレスにとって大神官になる大きな意義だ! 


「俺はそのうちに大神官になります。この世界の人間達のかなめの。

 父や、セヴィリヤ白神官や、クラウス翠神官のように、民のことを考えた大神官に。きっと夏島のルミレラ蒼神官も立派な方なんでしょう。

 そして、レイたちみたいにこの世界を愛し、護る。

 でも、貴方は決定的に間違えてしまった。人間の為と言っておきながら、冬島の人間のことなんて何も考えなかった。そして人間の長になる次期大神官である俺のことも殺そうとした」


「……」

「そこだけ見ても、貴方は最低です。貴方がしたことは、人間の為なんかじゃない」


 そこまで言うと、クレスは目尻に溜まった涙を拭いた。

 ルファは警備部の神官に、ダリウスを牢へと連れて行かせる。

 クレスはレイの最後の言葉を思い出す。

 風に乗って聞こえた言葉。


『その青い耳飾りを大事に取っておいて』


 と言ったこと。

 それをこころに刻み、手の中にあるその耳飾りを、またそっと優しく握りしめた。





 取り押さえられたダリウスは牢に入れられ、夕日の差す独房の中で昔を思い出していた。

 ダリウスは主島の神官学校で一番優秀な成績で卒業し、故郷の春神殿に仕える事になった。優秀な彼はすぐに仕事でも頭角を現し、順調に出世していた。

 しかし、気に入らない事があった。

 それはあるじのルファが子供だという事だ。


(こんな子供が……春島を護っているのか……?)


 彼は目を見開いた。

 ルファも遥か昔は大人の姿だったと聞いたが、実際にダリウスが目にしたルファは子供だ。

 それでもただの子供ではないので、周りの位の高い神官も巫女も、ルファに敬意を払っていた。

 彼はなんども自分に言い聞かせた。

 主はルファ、子供でも季主なのだ、と。


(でも……こんな子供が春島の主なのか……? なぜ春島だけ……)


 ダリウスが朱神官になったのは、四十歳を過ぎたころだった。

 そのときにルファは春島の禁書になっている書物をダリウスに見せた。

 朱神官になる人には読んでほしいと言って。

 ルファはそれを人間に読ませて、人間に『戦争』をして欲しくないと思ったから。


 そのことが今回の事件の決定的な原因を作った。





 それは歴史書であり、ところどころにルファの走り書きが入っていた。

 歴史書の内容は戦争の歴史で、ダリウスはこの本を読むのがつらかった。

 神官学校で戦争の歴史は習っていたが、ここには詳細な事柄が書いてあったからだ。


 人間たちは自分たちの小さな土地や資源を護るために戦争を始めた。

 白兵戦はもちろん、それは大規模な爆発物を使って相手の戦力を削ぐ方法も使われていた。

 地形が変わるほどの威力を持ったそれに、人間だけでなく動植物が巻き込まれて死んでいった。

 大気も汚染され、水も濁った。

 そのせいでも人間だけでなく動植物が死んでいった。

 だから、季主たちは、人間に結界の制限をした。

 争いを止めない人間を、この浮島である上空で護らなかった。

 人々は有害な光を浴びて、病気になって死んでいった。

 空気も薄い状態で、それでも人々は死んでいった。

 寒さでも死んでいった。

 作物も実らず、飢えでも死んでいった。


 そんな中、季主みずからが戦争をしている大将に忠告をしに行った。

 戦争を止めなければ、ここの人間は死に絶える、と。





 ダリウスは戦慄した。ここまで季主や創造主に頼り切った世界に、危機感を覚えた。

 歴史書にはルファの走り書きが挟まっていた。

 ある事柄に関して感じた自分の思想を、端的にまとめた書きとめのようなものだった。

 それを読んで、彼は知らなくてもいいことを、知ってしまった。

 季主ルファの力と命の源が、身に宿った貴石ルビーだということを。

 そして季主ルファが他の浮島へ行く際に、力を春島にある護りの貴石ルビーに移すのだということを。


 春島の貴石を手に入れれば、春島の護りの結界は季主に頼らなくてもすむ。

 少なくとも、春島だけは。

 そしてルファの貴石を砕いて、人間の為の世界を創る。

 それは、あらがいがたい誘惑となってダリウスの胸にこびりついたのだった。

 しかし、ルファを殺しても、主島の創造主によってあらたな眷属となった、ルファではない新たな季主が、春島にやってくるかもしれない。

 しかし、春島の護りの貴石ルビーはダリウスが持っている。

 新たな季主が来ても、また貴石を砕くだけだ。


 当然、それを実行に移せば、ダリウスは創造主の怒りを買うだろう。

 しかし、春島では、自分の故郷だけは、季主の支配をまぬがれられるのではないか。

 自分はルファを殺した罪で創造主や他の浮島の季主に殺されるかもしれない。


 けれど、それでも良かった。


 春島が――故郷の人間が、人々をも殺す神のような絶対者に支配されたものでなければ。


 ダリウスは禁書の内容を前々から一部の民衆に話して、季主という存在に疑問を持たせていた。ルファが子供であることもダリウスには都合が良かった。そこに付け込むことができたから。そうしてダリウスが説得した民衆は、ルファが子供であることと、絶対者である季主に不信をもっていった。計画を実行すると決めたとき、それを知らされた民衆はルファを滅する自分ダリウスを確認しに、春神殿の広場へと集まってきた。


 自分がいなくなっても、春島の人々は、季主の支配から逃れるために、自分の遺志を継いでくれるだろう。


 そうダリウスは思った。


 季主がいなくなると飛行船も使えなくなるが、春島は潤った土地なので、食うにも困らなかった。

 なによりも、不便になったとしても季主の下から逃れる方が、ダリウスには大事だった。




 もう、ダリウスに迷いは無かった。


 季主などいらない


 人間がこの春島を治める


 と――


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