第五章 春島

第28話 まちぶせ

 ルファが春島へ帰るころ、クレスとレイはルファを尋ねた。

 クレスは初めて会ったルファに、驚きを隠せなかった。秋島のガラルド美術館で見たルファの絵は、成人した赤毛の美女だった。

 しかし、クレスがみたルファは、どうみても十歳ほどの、二つに結った赤毛が可愛い子供だったのだ。


 クレスが創造主リアスからの手紙を見せると、ルファはその場で中身を読み、「またなのね」とつぶやいた。

 その言葉遣いは、外見の年齢とはかけ離れた老成したものだったけれど。


 ルファの言葉で、この仕事は大神官になるものの恒例行事なのだと、クレスは改めて思った。レイも夏島でそう言っていた。

 ルファは中を一瞥しただけで、手紙はすぐにクレスに返された。


「この返事は春島に帰ってから書くわ。それでいい?」

「はい」


 支度を整えて、ルファとレイとクレスは冬神殿の前で待ち合わせた。

 三人は冬神殿の前方一画にある季主の道を通って、春島へ向けて出発する。

 季主の道の洞窟を、ルファを先頭に歩いていく。ダイアモンドのような石が周りにひしめいている光景から、その周りの石は赤い石に変わって行った。さながらルビーのようだ。

 赤い光の中を通って行くと、そこに赤い扉があった。


 ルファがその扉を開けると、そこには紅い屋根の時計塔を中央に構えた、三階建ての白い建物が見えた。緑色の蔦が外壁をおおう、春神殿だ。

 春神殿の前方の一角、木々の間にある祠のような場所、季主の道にクレスたちは出てきた。


 だが、扉を開けたとたん、物々しい雰囲気が辺りを支配していた。

 ダリウス朱神官を中心に、数名の神官が小型の石弓を持って、季主の道から出てきたルファを狙っていたのだ。


「……どういうことかしら、ダリウス朱神官。わたくしに矢を向けるなんて」

「とうとう、好機が来ましたのでね。人間のための人間の世界をつくるためにルファ様、貴女が邪魔になったのです」


 耳を疑う言葉をダリウス朱神官は言った。


「春島の力の源、ルビーは頂きました」

「あの部屋に入れたの?」

「もっと厳重に鍵をしておくのでしたな」


 ルファはぎりっと歯噛みする。

 事情を察知したレイは信じられないものを見る目でダリウス朱神官を見ていた。

 クレスは前に自分が言ったことを思い出した。

 季主は自分の浮島を出るときに、貴石に力を移してから出るのだということを。

 そして、その貴石が季主の代わりに、浮島の結界を維持している。


「あとはルファ様自身に消滅していただければ、この春島は人間の為の世界になる」


 ルファは怒りで真っ赤になった。

 ダリウスは何を言っているのだろうか。

 人間の為の世界? おこがましい。

 ダリウス朱神官は言葉をつづけた。


「貴女は昔、私にこの春島の禁書を見せてくださいましたね」


 淡々と話すダリウス朱神官に、ルファは眉を寄せた。


「禁書の歴史書のこと?」

「そうです。朱神官になるのなら、読んでおけと。貴女は迂闊うかつです。大事なこともそこに書いて私に見せてしまったのだから」

「……春島の護りの貴石ルビーのこと?」

「違います」

「ならば何だというの」


 ルファ自身は自分が重要な何をそこに書いたのか、思い出せなかった。

 そんな大事なことを書いてしまったのだろうか。


「……昔々の戦争で季主あなたたちが何をしたのか。それと……」


 ダリウス朱神官は一呼吸おいて、言い放った。


「季主の力の源になるもの。それは、その身に宿やどす、貴石だと」

「身に宿すきせき?」


 クレスが不思議そうに言葉を継いだ。

 クレスの言葉をダリウス朱神官が継ぐ。


「そう。ルファ様の場合は、ルビー。他の季主のものも大体は分かるがね。その貴石のルビーを砕いたら、ルファ様はどうなるでしょう。この春島は季主のいない、人間の治める世界に変わる。そして、ルファ様の力のこもったこの春島の護りの貴石ルビーがあれば、それが可能になる」


 レイが真っ青な顔で一言つぶやいた。


「ばかな……」


 もはや言葉もないといった風情だ。


「まずはそこの人間を人質にとります。私についてきてください、ルファ様」


 神官たちはクレスを抑え込んで、抵抗する彼を力でねじ伏せた。


「ふざけんな! はなせ!」


 クレスは思い切り抵抗したが、数人の力には敵わず、抑え込まれた。そして石弓を背中に当てられる。


「言う事を聞かなければ撃つ。確か君は次期大神官だと報告があったな。貴重な人質になった」


 にやりと笑ったダリウス朱神官の目は、血走っていた。

 おそらく歓喜で。

 クレスはそのまま、ダリウス朱神官の部下に先頭に立たされた。

 その後をルファとレイが歩き、ダリウス朱神官は二人のあとを歩いた。

 歩いていると、ざわざわと大勢の人の声が聞こえてきた。

 何かと思っていると、春神殿の前、木々を抜けた広場になっている場所に、大勢の人がひしめいていた。

 多くの人が、ルファを見留めた。

 その人間達が、ルファを見て口々に叫ぶ。


「季主などいらない!」

「季主などいらない!」


 おそらくダリウス朱神官が手を回し、自分の一派にした人間たちなのだろう。

 民衆の前には台が置いてあり、そこに大きなつちが用意してあった。

 こんなに大勢の人間の悪意に触れて、ルファは胸が悪くなる。 


 なぜ?

 つい先日までは何も問題など無く、春島の政務はまわっていたのに。

 ルファは愕然としてその民衆をながめ、そしてダリウス朱神官を見た。 


「さあ、これが民衆の声です、ルファ様。隣の青い目の方は夏島のレイファルナス様ですか。夏島にまで手だししようとは思ってないので、邪魔しないでください。邪魔をしたら貴方の貴石も砕きます」


 そう言った途端、神官がクレスの頭に石弓を向けた。

 クレスを人質に取られているから、二人はなにも出来ない。

 何かして万が一、石弓の引き金が引かれたら、クレスは死んでしまう。


「さあ、ルファ様。本体である貴石、ルビーを下さい」

 民衆から叫び声が聞こえる。

「季主などいらない!」


 と。

 クレスは石弓が自分を狙っていることも忘れて大声で叫んだ。


「そんな訳あるか! よく考えろ! 季主にどれだけ助けられていると思ってるんだ!」


 その言葉を聴いた民衆が、一瞬で静まる。そしてざわざわと話し合っている声が響いた。

 ダリウス朱神官は冷徹にクレスを見た。

 そして石弓を向けている神官に言い放つ。


「そいつの足を撃て」


 その命令を受けた神官は、一瞬戸惑う。

 人を撃ったことなどない神官に、こんな道具で人を害する勇気はなかった。


「何をしている」

「あ、貴方は脅すだけだと言っていたじゃないですか……」

「いいから撃て」


 威圧的に言われた言葉に神官は脂汗をかいてクレスの足に狙いをつけた。


「さあ、ルファ様。貴女の貴石を私にください」

「……」


 ルファは奥歯を噛みしめた。


「それは出来ないわ」

「ならば……撃て。貴石を渡してくれるまで撃ち続けます。この男が蜂の巣になっていくのを見て、貴女はどこまでそう言っていられるか」


 ダリウス朱神官はクレスに狙いをつけている神官に目配めくばせをした。

 その瞬間、レイがクレスの盾になるように飛び出した。

「クレス!」

 レイは、いま一番大事に想っている『人間』に死んでほしく無かった。

 ただそれだけを思ってクレスの前へ出ていた。


 レイは生きていく上で、生き物の死という永遠に続く逃れられない悲しみと苦しみを抱えている。

 人間も動物もあっという間に死んでしまうけれど、懸命に生きていて、そして簡単には死なないということを証明して、思い出させてくれた人はクレスだ。

 その彼の命を護りたかった。


「わああ! 寄るな!」


 突然に自分の前に出てきた夏主に恐慌をきたした神官の矢は、レイに向けて勢いよく放たれた。

 レイの心臓を矢が貫く。

 矢を撃った神官は呆然と彼を見て、自分のしてしまったことが信じられないと、蒼くなって首を振る。


「…っレイ!」


 クレスは声のかぎりに叫んで彼の傍へと走った。


「……レイ! しっかりしろ!」


 矢はレイの胸に深々と刺さって貫通していた。

 自分の目の前で矢に貫かれたレイを見て、声がかすれる。

 レイは矢が刺さったままの胸に手を当てて、前のめりになり膝をついた。


「ああ……、けっこう痛いね……失敗、した……かな…」


 そう言ったと同時に、身体が光に溶けるように金色の粒子を散らして、消えた。


「レ…イ……?」


 クレスは大きく目を開き、震える声でレイを呼ぶ。

 からん、と何かが床に落ちて音をたてた。

 それはレイの心臓を貫いた矢と、レイがいつも身に着けていた、サファイアの耳飾りだった。


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