第25話 生命の輝き
レイがクレスの部屋を出ていってから、クレスはコハクに飯を食べさせようと思った。
冬島に来てからあまりかまってあげられなかったが、ここに来て、大きく時間が空いてしまった。
「コハク」
名前を呼ぶと、コハクはクレスの寝台の上で丸くなっていた。
そのまま動かないので近くによると、ブルブルと震えている。
「コハク?」
寒いのだろうか。そう思って、コハクを抱き寄せて胸に抱いた。
なんだか出会ったころのように元気がなくて、衰弱しているように見えた。
「おい、コハク、どうしたんだ」
次第にクレスは焦りだす。
以前のようにレイに診てもらおうか、と思ってレイがいないことを思い出す。
どうすればいいのか混乱して、医者に診てもらおうと結論づけた。
幸い、冬島の詳細な地図が、クレスの物入れに入っている。
それをぱらぱらとめくり、首都ゼグダルーナのページを開く。
ゼグダルーナは小さな街だ。すぐに獣医の家は分かった。
しかし、獣医と言っても冬島にいる特殊な動物を専門に見る獣医だと思うが……。
ダメでもともと、とクレスはコハクを胸に入れて、自分の体温で暖かくしてやりながら冬神殿を出た。
ゼグダルーナまで来ると、あたりは全体的に白かった。雪の白で覆われた大地の上に、数軒の家が見える。雪が降りそうな曇り空の下を、クレスはコハクを抱いて地図をみながら小道を進む。
すると、町のはずれに獣医の看板がでている木製の建物を見つけ、クレスはそこに入った。
「すみません」
ドアを開けると、そこではストーブが使われていた。
暖かい。それだけで救われたような気がした。
「仔ネコを診てもらいたいんです」
受付でそう言うと、奥から恰幅のいい髭面の男がでてきた。
「仔ネコ? うちはそういう動物は診てないんだけどな」
「先生ですか? お願いします。なんだか死にそうなんだ」
クレスは自分の胸からコハクを取り出す。
コハクが居なくなったことで、クレス自身も寒くなった。
そのままその男にコハクを預けると、男は奥の大きな診察台にのせた。
しばらくクレスは診察している様子を黙ってみていた。
診察が終わると、獣医の男は言った。
「体力がだいぶ落ちているね。脱水症状もあるから、注射しておこう。それでも今夜が峠だと思うよ。ここにあずけていくかい? それとも自分で看取る?」
そう言われてクレスは混乱した。
看取る? コハクが死ぬ? まさか。
そうだ、レイに診てもらえば助かるかもしれない。
咄嗟にクレスはそう考えていた。
レイは一、ニ刻後には戻ると言っていた。
レイに相談しよう。
そう考えると、クレスは獣医の男にコハクは自分で連れて帰る、と言っていた。
コハクをまた胸に入れて、冬神殿まで帰る。
自室に行く前に、適度に冷めたお湯を保温器に入れてもらった。
それを猫用の餌入れに少し注ぐと、コハクに飲むように促す。
コハクは少し飲んだだけで、あとはまた丸くなって震えていた。
クレスはコハクを抱きしめて、布団をかぶって自分自身の体温で、とにかくコハクを温めた。
帰ってから、結構な時間がたったとクレスは感じた。もう、外は暗い。
布団の中でコハクを温めていたクレスは、レイを呼びに部屋を出た。
レイの部屋の扉を拳で打つ。
すると中から返事が聞こえた。
「はい。どなたですか」
そういうレイの声を聞いて、少し安堵する自分がいる。
レイによって扉が開けられた。
顔を出したレイは、ふと顔つきを引き締めてクレスを見た。
「クレスじゃないか。どうしたの、そんな深刻な顔をして」
何も知らないレイは心配気にクレスに言葉をかけた。
「コハクが……また死にそうで。なあ、レイ。前にもこういうときにレイに預けたらコハクが元気になったことがあったよな」
「……ああ、そういうことか」
レイは深く息を吐いた。
「また、レイがコハクを元気にしてやれないか?」
「それは私にも、もう無理だ」
悲しそうにレイは少し目を伏せた。
「あれは……あのときは、私の力を少し分けてあげたのは事実だ。生命力が強ければ生き延びる、と思ってね。でもまた体調をくずしたのなら、そこまでの命だったということだ。今度私が力を与えても、また時期がくればこうなってしまう」
「……」
「私とコハクはその力である程度つながっていた。だから私にもとても懐いていたけれど……。残念だね」
「……そんな……」
コハクとレイはある程度つながっていた……。だから夏島で夜中にクレスをレイのもとへ呼んだのだろう。レイがタリアのことを考えていて不安定な気持ちだったから。
そんな風にコハクはクレスとレイのことを慕ってくれていたのだ。
クレスは言葉少なくなった。
「冬島での私の季主としての仕事は終わった。私も最期までコハクを看取ろう」
レイはクレスを促して、彼の部屋へと向かう。
部屋へ戻ると、クレスはまた布団にくるまりながら、お湯を飲ませ、コハクを温めた。
寝台のわきにはレイが無言で椅子に座っている。
ネイスクレファが手配したのだろう、巫女が夕食を持ってきてくれたが、クレスは食べる気分ではなかった。
時刻は夕食時をすぎて深夜になった。
コハクは今、眠っているようだ。
「なあ、レイ」
「なに、クレス」
「俺、絶対にコハクを死なせないから」
「……」
レイは諦めと憐れみの視線でクレスを見る。
「命は短い。コハクはここまでの命だったということだよ」
「たしかにみんな短い命かもしれない。俺だって百年も生きないよ」
「……そうだね、クレスだって百年も生きないんだね」
絶望を含んだ声音でレイは呟いた。
「でもコハクはここでは死なせない」
決然と言い放ったクレスに、レイは諦めを含んで目を伏せた。
「生き物はいつもあっという間に死んでしまう。コハクも、クレスだってそうだ」
「あっという間には死なないさ。でも、俺、約束する。俺のときには、レイに大事なものを置いていくって。それに俺だって簡単には死なない。今、ここでコハクが死ぬことが無いように」
「……」
「レイにとっては、命は儚くて短いものだろうけど、それでも燃えて輝いてる。俺もそうだ。無駄に生きてるわけじゃない。色々なことをやって、色々なものを残していく。それに俺もコハクも簡単には死なない」
「……コハクが助かったら……クレスの言うことを、信じていいかな。だいじなものっていうのも気になるし」
そんな会話をしながら、クレスはコハクにお湯を飲ませながら温めた。
そして、明け方になった。
うとうとしだしたクレスは、お湯を飲んでいるコハクの様子を見て、目をひらいた。
コハクはもう震えてはいなかった。
しきりに舌を使って湯を飲んでいる。
「レイ……、レイ、ちょっと見て見ろよ」
「ああ、見てる」
クレスの寝台の横で椅子に座っていたレイも、コハクを見ていた。
クレスとレイは顔を見合わせた。
「いったろ? コハクは死なせないって」
「……ああ、そうだね」
二人の顔が安堵に緩む。
それっきり二人はコハクがお湯を飲むのを黙って見守った。
レイにとっては奇跡のような瞬間だった。
絶対に死んでしまうと思っていた。コハクの中でレイの力は尽きていたから。
しかし、生き物の生命力の強さ、命の輝きというものを、レイは改めて思い出した。
クレスのおかげで。
生き物は懸命に生きて、簡単には死なないということを。
そして、レイはそのことを思い出させてくれたクレスの置いていく、だいじなモノというのがとても気になった。
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