第19話 レイの恋人

 砂漠から戻ったクレスは、秋神殿内に部屋を一つもらった。そこにコハクもいて、コハクの食事も秋神殿の神官が用意してくれた。


 コハクはいま、黙々と食事をしているところだ。

 さっきまでは、茶色の体毛の毛づくろいをしていた。

 まだ小さな仔猫の様子を見ながら、クレスはコハクに話しかける。


「うまいか? たくさん食べて大きくなれよ」


 食卓に座っていたクレスは、コハクが食べている様子を見ながら、頬杖をついてぼうっと外へと視線を向けた。

 秋島独特の大とかげのような奇妙な生物が秋神殿の庭をのそのそと歩いている。

 そのような生物が普通に神殿内にいることに驚く。

 秋島の宿に送ってある荷物は、例によって神官に取りに行ってもらい、そこに入っている着替えにクレスは袖を通した。


 秋島では少し肌寒い気候のため、長そでと上着が一枚ほどあった方がいい。

 脚衣ズボンも夏島で着ていた薄いものではなく、少し厚手のものにした。

 しばらくコハクが食事をしている様子を見ていたが、扉がトントンと叩かれた。

 扉を開けると、そこにはレイが立っている。


「クレス、秋神殿の裏側に湖があるんだけど、行ってみない?」

「湖?」

「そう。綺麗な大きい湖があるんだよ。周りの木々も深くて、気持ちのいい空気の場所なんだ。せっかく秋島に来たからクレスに見せたい」


 そう言われ、クレスはレイと湖に行くことにした。




「アレイゼス様とつもる話とかないのか?」


 湖にむかうまで、クレスはレイを気遣った。


「それは宴のときに色々話すからいいんだ」


 話しながら秋神殿の裏手に回ると、本当に木々に囲まれた大きな湖があった。

 秋神殿が六つ入りそうなくらい、大きい。

 水面は、黄色や茶色の周りの木々の葉を映して、鏡のように滑らかだった。


「うわあ、綺麗だな……」


 まるで一枚の絵画のようなその光景に、クレスは息を飲む。


「そうでしょう。秋島に来たら、ここは見ておきたいんだよね」


 レイも感慨深げに頷く。

 二人で湖の周りを歩き、下草のある場所で尻をついて座った。

 静謐せいひつな美しい湖を見ていると、心が凪いでいく。

 さやさやと涼しい風が吹いていて、心地いい。

 気持ちのいい空気を胸いっぱい吸っていると、レイは少し寂しそうに昔語りを始めた。


「昔ね。ここに、大事な人と来たことがあった」

「大事な人?」

「そう。その人は私の一番大事だった人で、三十年前の蒼神官だった人だ。名前をタリアと言った」


 クレスはレイが突然昔を語り始めて戸惑ったが、その話に興味を惹かれた。

 レイの昔、それはどんな話だろうか。

 何か知っておきたい衝動にかられ、真剣に耳を傾けた。


「タリアはとても元気で活力の塊みたいな人だった。クレスみたいにね」

「……そうなんだ」

「けどね……。タリアも人間だ。自然の摂理に従って年老いて、私を残し、逝ってしまった」

「……」

「私が彼女と同じものだったら……考えても仕方のないことを延々と考えた。私は季主で、それ以外の生き方は出来ないし、タリアは私の一番ちかくに控える蒼神官であるけれど、人間だ。同じものなんかにはなれはしないのにね。みんな、人間も動物も、木々も花も、私を残してあっという間に死んでしまう」


 レイの青い瞳が、湖を視る。

 しかし、そこには昔のタリアが映っているのだろうか。


「今でも時々、夢に見るんだ」


 それを聞いて、クレスはハッとした。

 飛行船でうなされていたのは、タリアの夢を見たからか?

 夏神殿で見た、レイの前に置かれていた肖像画も。

 レイはタリアの肖像画を見て話しかけていたのだろう。

 タリアに先立たれた想いが、レイを未だ苦しめている。

 飛行船の中でうなされていたのは、タリアに似た雰囲気を持つクレスに触発されて、昔を思い出したからだ。

 そして、タリアだけじゃない。

 レイの周りでは―― 季主の周りでは、命は短くあっという間に散っていく。


「レイ……」


 その悲しみはどれほどのものだろうか。

 クレスは隣に座るレイの頭をそっと自分の胸へと抱き寄せた。


「俺にはレイがどんな苦しい思いをしたのか分からないけれど……。レイの感覚って、少し人間に似てるんじゃないかな。俺、季主さまって、もっと超越した方だと思ってた。人の死にも、どんな生物の死にも動じない、遥か上の方から俺たちを見てるような。でも、レイは大事な人の死に悲しんで、傷つく、人間とおなじ心があるんだな」

「私が人間と同じ……?」


 レイはクレスの胸の中で、その青い目を見開く。


「それがいいかどうかは、また別問題だけど……そんなレイが俺は好きだよ」


 クレスはレイの耳もとでそっとつぶやく。

 好きだよ、と。

 その言葉にレイのこころは掴まれてしまった。

 人を想うのは、心が痛い。すぐに死んでしまうから。つらいのだ。

 そんな自分のこころを全て肯定してくれたクレスの言葉は、レイの心に深く染み渡った。

 彼はいつもレイの心にするりと入ってくる。


 人を想うのはもう嫌なのに、心に嘘はつけない。

 タリアのように元気で活力の塊のようなクレスに興味が湧いていたが、それだけではない彼のこころに触れた気がした。 

 レイは暖かいクレスの胸の中で、不覚にも泣きそうになった。




 しゃらん、と金の腕輪が重なり合う音が、秋神殿の季主の道で響いた。

 その道を通ってきた、肌の色が白い、穏やかな目をした美人が、秋神殿内の木々の間でたたずんでいる。

 彼女の髪は長い銀色で、瞳も銀色だった。胸は無いが、長い脚、まろやかな腰つきが、白い外套の下に着た白くて丈の長い礼服に包まれている。

 彼女は季主の道の扉の前から、秋神殿へとむかう。

 まるでダイアモンドのような気品と美しさを併せ持った彼女が、秋神殿内へと入った。


「秋主アレイゼスはいるかの?」


 羽のような軽い声音で、内部の神官に言った。

 それに気が付いた秋島の神官が、彼女をみて目を丸くする。


「ネイスクレファ様?」


 なんの用事か、冬主ネイスクレファがともも連れずに秋島にやってきたのだった。


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