第14話 夏島の人々

 その夜、レイは橙色の光に照らされながら肖像画を観て、今までのことを振り返っていた。

『大事だから』つらい思いをしてほしくない、とクレスは言った。

 その『大事』は、季主として『大事』なのではなく、自分個人のことを指しているのだと分かって、心が温かくなる。


 今までレイ個人に純粋な好意を向けてくれた人は少なかったから。

 季主さま、夏主さま、とかしずかれ、それが当然であった。

 そもそも人間と自分は全く別の生きものなのだ。

 人間も、他の生物もあっという間にレイを残して死んでしまう。

 それはこの肖像画の女性もそうだった。


「愛してる」と言ってくれたその女性は、自然の摂理に従って、年老いてレイを残し、亡くなった。

 優しくて、元気で活力の塊のような人だった。

 そう、クレスのような。

 その女性は人間の生き方をまっとうして逝った。

 だから、レイはもう二度と人間と深く関わるのはやめようと思った。

 どうしようもない悲しみに襲われるから。


 でも。

 そんなレイのこころにクレスは自然と入り込み、足跡を残していく。

 コハクを拾ったところも。

 おまじないのことも。

 帆船でパンをわけてくれたことも。

 きっと自分だったら放っておいたことを、クレスはする。


 そして、レイのことを『大事だから』と。


 クレスはそう言った。


 初めは彼女に似た雰囲気を持った彼が気になったのだが、今は明確にクレス自身に興味を覚えた。

 主島で出会って夏島まで少しの間だから、と気を緩めていたレイのこころには、クレスが深く入り込んでいた。




 朝、寝不足の顔で私服に着替えたクレスは、ルミレラ蒼神官に朝食に呼ばれた。

 また、昨日の部屋でレイと二人で食事をするのだそうだ。

 ルミレラ蒼神官は、クレスの部屋へ来ると、明るく声を掛けた。


「おはようございます、クレス様。朝食の準備ができています。レイファルナス様がお待ちですよ」


 にこやかに、そしてきびきびとした声でクレスを促す。

 クレスの前で背筋を伸ばして歩く彼女は、活動的だった。彼女の服もところどころに青い模様の入った短衣ベスト脚衣ズボンを合わせた神官服だった。蒼神官という、全ての神官と巫女の頂点に立つ役職柄、他の神官服とは少し違う。


 ルミレラ蒼神官の靴の音がこつこつと広い夏神殿の廊下に響く。廊下には、ところどころに置かれた花瓶に活けられた大振りの花が、芳香を放っていた。大きく切り取られた窓からは、さんさんと陽の光が降り注ぎ、庭の噴水の水がきらめいて見えた。クレスはそのあとを静かについていく。


 神殿内は中央冷房装置により、気持ちのいい涼しさが漂っている。

 そこを通って三階まで階段を上り、レイの部屋へと通される。

 レイは昨日と同じように、自室でクレスを待っていた。

 テーブルには昨日と同じように食事の用意がされている。


「おはよう、クレス。よく眠れた?」

「……ああ、まあな」


 昨日のあの様子を見て良く眠れるわけないだろう、という言葉は飲み込んだ。


「じゃあ、食事にしよう。さあ、食べて」


 そういうが、レイはまた一番初めに氷菓に手を付け始める。

 不思議に思ったクレスが、何気なく聞いた。


「朝から氷菓を食べんのか?」

「ああ、私はこれが好きだから。冷たくて美味しい」

「腹とか壊さないか? あんまり関係ないのかな」


 季主だから。


「お腹を壊したことはないな。心配してくれたの?」

「は? まあ、な。普通そう思うだろ?」


 レイは意味ありげにふふっと笑うと、焼物パン乾酪チーズをのせて食べていたクレスに向かって言った。


「これ、リアス様の手紙の返事を書いておいたよ」


 青い縁飾ふちかざりのついた夏神殿専用の封筒がクレスの前に差し出された。


「それでさ、クレス。私はクレスに興味が湧いた。だからこれから先、季主からの手紙の返事をもらうって仕事を手伝ってあげようと思うんだけど」

「俺に興味?」

「そう」


 なんとなくすごく嬉しい気分になったクレスだが、レイの意図がつかめない。


「……興味ってどんな?」

「それは、今はまだ内緒。それよりも仕事の手伝いはいらない? 私がいれば色々と便利だと思うんだけど」

「それは願ったりだ!」


 なによりもここでレイと別れることにはならないのが、とても嬉しい。

 クレスは自分で思っているよりも、レイのことが好きだった。


「じゃあ、早く秋島へ行こう。秋主しゅうしゅアレイゼスのところにね。でもその前に食事が終わったら夏島の首都、キリブを見て回らない?」


 レイはにこりと笑ってクレスに言った。


「少しだけなら、寄り道してもいいよね。クレスが次期大神官なら、余計にキリブを見せたい。夏島とはどんなところかをね」




 クレスは薄手の旅装束に着替え、レイも薄手の上着に脚衣ズボンを穿いて、夏神殿の門から出た。

 門番はレイに敬礼し、二人は首都キリブに繰り出す。


「初めは何処に行こうか。魚の市場なんかどう?」

「ああ、どこでもいい。俺は夏島に来るのは初めてだから」


 夏神殿を出たとたんに、夏特有の湿った空気が肌にまとわりついた。

 丘の上にある夏神殿から、坂を下り、海の方へと歩いていく。

 その坂では夏島の人々が、両脇に並び立つ商店で買い物をしていた。

 海辺には漁をする舟があり、漁師が網の手入れをしていた。


「こっちだよ、市場は」


 レイに促され、クレスは跡をついていく。

 するとぷん、と生臭い空気が漂ってきた。

 広い一階建ての建物の中に入ると、冷房がとても強く効いている。

 これも夏島の首都を覆う、中央冷房装置の一環だろう。冷水を熱変換装置にかけ、冷気を生み出しているという。


 冷房が効いているため、中にある魚たちは傷んでいないようだった。

 そして、夏島首都の住民たちがその日のうちに買っていくのだという。

 あまった魚は家畜の餌になる。


 建物の中では、棚に魚が置かれていた。通路をすれ違うのが大変なくらいの大勢の人々が市にはあふれていて、その魚を買っていく。ひっきりなしに色々な店舗の店員が叫び、客と値段の交渉をし、市は活気であふれていた。

 そんな様子を眺めつつ、クレスは見たこともない魚を見て、度肝を抜かれた。

 気持ちの悪い魚がいて、これを食べるのか、と心底疑問に思ったりしながら市を見学する。


「クレス、小魚を揚げた軽食も売ってるんだけど、食べる?」

「ああ、あんまりお腹すいてないけど……、味見してみたいな」

 レイの提案に、クレスは少し興味がわいた。

 小魚、というのだから、さっき見た無気味な魚ではないだろう。

「じゃあ、買ってこよう」


 レイは揚げ物屋の前に来ると、店主の小母さんにお金を渡して商品をもらう。

 小母さんはレイを見ると相好を崩した。


「やあ、レイじゃないか。今日は友達といっしょかい?」

「ああ、そんな感じ」

「おまけで少し多く入れておいたからね」

「いつもありがとう、小母さん。また買うからね」


 何か行きつけの店のように気安く話しているのを聞いて、クレスは驚いた。

 小魚の袋を持って帰ってきたレイに聞いてみる。


「レイ、あの小母さん、レイのこと知ってるのか?」


 するとレイはいたずらっぽく人差指を唇にたてた。


「私が夏主だということは知らないけどね。夏主がこんな格好で街をうろついているなんて、誰も思ってないだろ」

「レイってあの揚げ物屋の常連なんだ」

「まあね」


 ぷっとクレスは噴き出した。


「なんだか、俺と似たようなことしてるなあ」

「似たようなこと?」

「そ。俺も大神官の息子だけど叔父さんの食堂で働いて遊ぶ金を稼いでた。そして、こうして買い食いとかしてた」

「そうなんだ。活発なクレスらしい」


 レイは苦笑を浮かべたが、クレスは今までの自分の素行の悪さに顔にかげりがさした。

 次期大神官になること、それは未だにクレスの中で決心のつかない大きな問題だった。

 酒を飲んで逃げても、何も解決しなかった。

 それならば、もう、向き合うしかないのではないか。

 こうして各浮島をまわっていって、何か見つけられたらいいとクレスは思った。


「クレス? どうかした?」

「い、いや……なんでもない」


 思考の海に沈んでいたクレスは、はっと現実にかえる。


「なんか買ってもらって悪いな、いただきます」


 クレスはレイに買ってもらった揚げ物を、歩きながら口に放り込んで食べていく。

 口の中でしゃりしゃりと音を立てる揚げ物の魚に舌鼓を打つ。塩の加減が絶妙で、揚げたての熱い小魚は絶品だった。


「うん、すっげえうまい!」

「魚も新鮮だし、揚げたてだからね。今度はどこにいく? 近くの果物と野菜の市を見ようか」


 レイは隣でクレスを促した。

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