第6話 瀕死の仔猫

 がたがたと馬車に揺られ、クレスは目をあけた。

 窓から見える青い空が目に入った。

 クレスが起きたことにより、膝の上にある熱の塊が身じろぐ。


「コハク、おはよう」


 優しく声を掛ければ、コハクは小さな弱々しい声でみゃおと鳴いた。


「なんか元気がないな」


 クレスはコハクを抱いてみた。何かぐったりしているように見える。

 元から元気のなかった仔ネコだが、さらに具合が悪そうだ。

 コハクはさっき鳴いたきり、もう鳴かなかった。

 隣のレイも起きだして、クレスの方を見た。


「ああ、クレス、おはよう」

「おはよう、レイ。なあ、なんかコハクの様子が変なんだ」

「コハク? ああ、あの仔ネコか。どう変なの?」


 レイは目をこすって狭い馬車の中でできるだけ身体を伸ばした。


「なんか、元気がない」

「うん?」


 レイはクレスの腕の中のコハクを見た。


「ちょっと診させてくれる?」

「あ、ああ」


 レイはコハクを抱き上げ、自分の膝の上に置く。

 ぐったりしているコハクの瞳を見て、何度かコハクの身体を撫でる。


「これから朝食休憩でまた宿場町に入る。その間、コハクを私に預けてくれないかな」

「え、でも何するんだ?」

「ははっ、取って食うわけじゃないんだから。焦らなくても大丈夫。心配なのは分かるけど、私に少し任せてくれる? そうしたら少しは元気になると思うんだ」


 レイは白くて細い指で愛おし気にコハクの背を撫でた。

 コハクは気持ちよさそうに目を細める。

 その様子を見て、クレスはレイを信用することにした。


「……わかった。そう言うんなら、レイに預ける」

「信用してくれて、ありがとう。きっと元気にするから」


 馬車はまた朝食休憩と馬を取り替えるために、大きな宿場町へと入って行った。




 この宿場町は、平屋の店が立ち並び、旅館なども多い街だった。

 クレスはコハクの為に、仔ネコ用の乾燥した餌を買っておいた。日持ちのするもので、飛行船の中でも食べていけそうな餌だ。ネコの不浄にする手頃な箱も買い、砂も集めておいた。明日には飛行船に乗っている予定なので、そのときのことも考えての買い物だった。


 そして、宿場町の食堂で適当に軽食をとって、そこの湯屋で風呂にも入った。

 さっぱりと洗って出てくると、もう馬車の出発時間になっている。クレスはまた高速長距離馬車の待合所へと向かった。

 そこにはすでにレイが来ていた。

 クレスが近づくと、レイの腕の中からコハクが勢いよく駆けてくる。


「みゃーお!」


 力強く鳴いて、クレスの足に身体を摺り寄せた。


「コハク!」


 さっきとのあまりの違いに、クレスはあっけにとられた。

 コハクを抱きあげて胸に抱くと、レイのもとへと向かう。


「レイ、コハクのヤツ、すごく元気になったな。どうやったんだ?」


 喜色満面なクレスにレイは「内緒だよ」と言った。


「レイって獣医か何かなのか?」

「違うけど、今回はちょっとそんな感じかな」


 苦笑気味にレイは応える。


「なあ、そういえばレイってどんな仕事してるんだ?」


 コハクを腕に抱きながらクレスはレイにきく。

 その質問にレイは少し意表を突かれたようだった。

 それでもさらりと返す。


「神殿関係の仕事」

「あ、俺もそうなんだ! やっぱりな、そうじゃないかと思ってたんだ」


 コハクが元気になったことでクレスは舞い上がっていた。

 特に動物が好きなわけではなかったが、旅の道連れという感じでコハクは縁あってクレスになついてきたのだ。なにか愛情が湧いていた。

 クレスはレイに感謝と尊敬を覚え、コハクを抱きしめた。


「レイ、ありがとな。正直に言うと俺、このままコハクが死んじゃうんじゃないかと思ってたんだ」


 それほどこの仔ネコは弱っていたのだ。

 レイがどんな風にコハクを元気づけてくれたのかは分からないけれど、クレスは本当にありがたかった。

 そんなクレスを見て、レイは少し寂し気にほほ笑んだ。




 昼にまた宿場町で休み、夜にも休み、そこからまた馬を替えて、馬車を飛ばして夏島行きの飛行船乗り場まで行く。

 また夜の馬車の中で揺られながら、クレスたちは眠りについた。

 そして。

 馬車がきしみをあげて止まった。

 そのころには夜を抜けて陽が出て朝になっていた。

 主島の最果てにある、飛行船乗り場まで着いたのだった。

 この主島は空に浮かんでいる。 

 それは、この島自体が証明していた。

 主島の最果てでは、創造主リアスによる結界が切れているところを境に、大地は線を引いたように黒い砂になっていた。

 そして、その砂を飲み込むように、厚い灰色の雲が果てしなく続いている。

 その結界にめり込むようにして大きな白い飛行船がまっていた。

 飛行船の奥、灰色の雲の上に、夏島らしき影が見える。

 それは、遠目に見ても大地を切り取ったような大きなかたまりで、夏主かしゅによる結界がその浮島を丸く覆っているのが見えた。


 そういえばこの飛行船は夏主の庇護を受けて飛んでいるという。

 クレスは馬車から降りると、目の前のこの光景に大きく息を吸った。

 これから乗り込む飛行船の後ろに見える、世界。


「これが……主島の最果てか……! そしてあれが夏島なつとう……!」


 このウェルファーという世界の実態を初めて見たクレスだった。




コハクとクレスのイラストです

https://kakuyomu.jp/users/urutoramarin/news/16818093075371702425

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