第5話 コハク

 馬車には一番前にシーナが乗った。大柄な彼が乗ると一列目の座席にはもう人は乗れなかった。

 二列目に妻のマリーと娘のサリ、三列目にクレスとレイが乗った。

 馬車の中は厚い赤色の敷物があり、乗り心地も悪くない。

 馬車に乗り込んだクレスは、宿場町につくまで、何気なくレイに話しかけてみた。


「なあ、レイ。レイは何しに夏島まで行くんだ」


 世間話ていどの話題である。


「ああ。私はね、帰るところなんだ。私は夏島生まれだから」

「へえ。夏島ってどんなところ? 俺まだ一度も行ったことがないんだよ」

「綺麗で雑多なところ、かな。夏島の首都、キリブは原色の大きな花がたくさん咲いていて、人々は市なんかをたててがやがやと買い物をしている。中央に夏神殿を構えていて、正面は海に面しているんだ」


 そこでクレスはほうっと息をついた。


「海……」

「海はみたことない?」


 レイがそう言ったので、クレスは素直にうなずいた。


「俺、主島から出たことないから。海って大きいんだよな」

「ああ、大きいね。主島からだと夏島は、海を渡って行かないと人のすむ場所まで行けないから、嫌でも見ることになると思うよ。夏島の海は七色に光って、とても綺麗だ」

「七色に光る?」

「ああ、夏島の海は時間と天気で色が変わる」

「へえ……」


 クレスはまだ見ぬ夏島の海を眺めることが楽しみになってきて、自然と顔がほころんだ。




 昼頃に出発した馬車は、夜になり宿場町へとついた。

 主島の中心と端の中程にあるこの宿場町は、宿泊施設もかねた大きな街だった。

 食事もとれるし、買い物もできる。

 クレスは売店で牛乳と軽食サンドウィッチを買い、旅用の薄型毛布も購入した。


 これで夜中に馬車で寝ても寒くない。

 毛布は後ろに背負っている物入れへ入れておいた。そして、宿場町の広場にある長いすで、軽食サンドウィッチを食べる。


 すると、クレスの後ろからみゃーお、と何かの鳴き声が聞こえた。

 そちらを見ると腹を空かせているのか、よたよたとした足取りの茶色の仔ネコが、とぼとぼと歩いてくる。毛並みは綺麗だったが、身体がとても小さい。飼い猫だったのを捨てられたような感じだ。大方、子供を産んだ親猫の飼い主が、仔ネコを捨てたのだろう。


 仔ネコは、クレスに身をすり寄せると、またみゃーおと鳴いた。

 何か物欲しげに軽食サンドウィッチを見ている仔ネコに、クレスは溜息を一つつく。


「分かったよ。少しやる」


 軽食サンドウィッチをちぎって牛乳に浸し、それを仔ネコの口もとへ置いた。

 すると、仔ネコは少し匂いをかいで、ばくりとそれを食べはじめる。


「うまいか?」

「みゃーおん」


 もっとくれ、と催促するように身をすり寄せる仔ネコに、クレスはまた同じようにして食事を与える。

 気がついたときには、手の中の軽食サンドウィッチはもう無くなってしまっていた。


「また買うか。お前も腹いっぱいになっただろ。じゃあな」

「みゃお!」


 長いすをたったクレスの声に驚いたような返事をした。

 仔ネコは、歩き出したクレスのあとをついて来たのだった。

 そうとは知らず、食堂に入ったクレスは、店のおばさんに動物を連れて入るな、と怒られた。そこで初めて自分についてきた仔ネコに気がついて、クレスは困った。

 抱き上げると、仔ネコはみゃおみゃお鳴いてクレスの顔を舐める。

 この仔ネコのせいで、食堂に入れない。

 仕方がないのでまた軽食サンドウィッチを買って、それをさっきの長いすで食べた。


 食べ終わったころには馬車の集合時間になっていたので、クレスは馬車乗り場まで急いだ。

 宿場町を出発予定のクレスたちの馬車は、御者によって馬が替えられたようだ。寒さで白い息を吐きだす馬たちは、陽の落ちた暗がりでも力強く見えた。

 馬車まで来ても、さっきの仔ネコはクレスのあとを着いてきた。

 いま、クレスが見捨てたら明日には死んでしまいそうな弱い仔ネコだ。だから、クレスは御者に伺いをたてた。


「困ったな。なあ、このネコ、一緒に連れてってもいいか?」


 すると御者は仔ネコをみとめ、眉を寄せる。


「原則的に禁止だ! けど、一緒に乗るお客さんがいいっていうなら、別にかまわねえよ」


 御者はぶっきらぼうに胴間声を張り上げた。

 御者がそういうなら、とクレスはシーナ親子とレイに伺いをたててみる。

 シーナ親子はべつに構わない、といった。

 レイもいいよ、と言ってくれたので、クレスはこの仔ネコを連れて行くことにした。


 なによりも弱々しいこの仔ネコを、放っておけなかったから。

 今にも死んでしまいそうなほど、衰弱しているように見える。

 さっき食べ物を与えたから、明日には元気になっていればいいと思った。

 仔ネコを抱き上げて馬車に乗り込む。隣のレイがクレスの膝にのる仔ネコを覗いて聞いた。


「ねえ、その子に名前はないの?」

「えーと、名前、ね。何か良いのないかな」


 名前が思いつかず、そう聞いてみる。


「茶色の仔ネコ、ね。良いのないかなって、私が名前をつけてもいいの?」

「ああ。俺、ネコの名前とか良くわからないし」

「そんなに構えなくてもいいと思うけどね」


 するとレイは少し考えた。


「コハクはどうだろう」

「コハク? どういう意味?」

「茶色の宝石の名前さ。その子、毛並みが茶色でしょう?」


 レイはコハクの喉元を指で撫でた。

 すると、コハクはごろごろと喉を鳴らして喜んでいる。


「お前の名前は今日からコハクだ」


 クレスがコハクを抱き上げると、コハクはまたみゃお、と鳴いてクレスの鼻の頭を舐めた。

 それからしばらくすると、みんな毛布を出して寝る準備をし始めた。

 小さくまとまっている毛布は、広げるとかなり大きくなり、身を包むととても暖かい。

 クレスは仔ネコと一緒にそれにくるまると、馬車の中で眠りについた。




 痛いくらいの日差しが肌を焼く

 空は真っ青に晴れ渡り、真っ白な積乱雲が目にまぶしい

 原色の花々

 深い木々の青

 主島の夏よりも、もっと夏らしい

 見た事が無い『夏』の浮島


 ああ、夢を見ているんだ、とクレスは思った。そう意識した途端、頭の中で焦点をあわせていた『夏』の浮島はぼやけてしまった。


 もう少し、ここにいさせて。

 活気溢れる『夏』を感じていたい。


 そう思った瞬間にまた夢は焦点を結び始めた。クレスはまた深く眠りにつき、真冬の主島で不思議な夏の夢を見た。

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