第49話

 次の瞬間、彼女はぬかるんだ地面を蹴って、横向きに走り始めた。

 すかさず、斎藤が引き金を引く。

 ドンッ! と発射された弾丸は、空間を貫き、百合さんの足元の泥を砕いた。

「あっぶね!」

 百合さんは笑ってそう言うと、立ち並ぶ木々の陰に飛び込む…と同時に銃声が鳴り響いたが、砕けたのはすぐ傍の幹だった。

 高速で動く視界の中でも、斎藤の顔が歪んだのが分かった。そりゃそうだ。遮蔽物の多い場所に逃げ込まれ、銃弾の対策をされたのだから。

 樹の陰に隠れていればいいものを、百合さんは木から木へと、ひらりひらりと移っていく。当然、斎藤は百合さんが視界に映る度に、その銃口を向けてきた。

 三発目。不発。

「くそが!」

「ほらあ! もっと狙えよな!」

 四発目が発砲される。しかし、これも素っ頓狂な場所を貫いた。

 はっとして百合さんの顔を見ると、高揚しているのか、彼女の頬は蛸のように赤く染まっていた。三日月のように歪んだ口からは、まるでスポーツを楽しんでいるかのような、笑い声の混じった荒い息が洩れている。

「いいね」

 百合さんの光の宿った目が、ボクを見つめる。

「やばいね」

 五発目の弾丸が、隠れている木の幹を砕いた。

「生きてるって感じがするね!」

 その言葉を聞いて、ボクは千切れかかった首で頷いた。

 百合さんはボクを抱きしめる。

「頼むよ! お前の力が必要だ」

『はい!』

 ボクが頷くのと同時に、百合さんが木の陰から飛び出した。

 百合さんが飛び出したのと同時に、引き金が引かれる。

 引き金が引かれたのと同時に、ボクは足元にあった、直径二十センチほどの石に、念を込めた。

 ボクが念を込めたのと同時に、空気を裂きながら、黒色の鉛玉が飛んでくる。

 意図したのか、それとも奇跡か、百合さんは躓くようにして前のめりとなった。弾丸は、ふわりと舞ったその髪を貫き、後方へと流れていった。

 地面を滑るようにして、百合さんが体勢を立て直す。今度は身を潜めるためじゃない。六発撃って無防備となった斎藤を、直接狙うためだった。

「馬鹿が!」

 斎藤が空になった銃を捨てる。そして、スーツのお尻にあるポケットに手を回した。

 明らかに、反撃に転じようとしている動きに、百合さんの顔が歪む。しかし、もう止まれない。雨の中傘を差さずに抜けるように、斎藤へと走って行った。

 斎藤が取り出したのは、案の定小型の拳銃。

 百合さんは最後の力を振り絞って加速した。

 飛んでくるだろう銃弾を躱すべく身を捩る…と同時に、引き金が引かれる。

 ドンッ! と、銃声が轟いた。

 小さな弾丸は、百合さんの脇腹に命中。瞬間、水風船が割れるみたいに血が弾けて、彼女の肉が削げた。

「くそっ!」

 百合さんの顔が激痛に歪む。だが止まらない。最後の力を振り絞って、斎藤に抱き着いた。

 斎藤は若干顔を顰めてよろめいたが、直ぐに踏みとどまる。

「馬鹿が!」

 そして、持っていた銃を百合さんのこめかみに突きつけた。

 百合さんが、絞り出すように叫ぶ。

「葵頼む!」

『はい!』

 ここがボクの出番だった。

 百合さんが走り出し、斎藤の意識が彼女に向けられた時、ボクは石を浮かばせ、上空へと放っていた。弧を描いたそれは、ボクの意思によって軌道を修正し、絶妙のタイミングにて、まるで地球に帰還する探査機のように落下してくる。

 落下地点は当然、斎藤の頭頂部。

 ゴンッ!

 嫌な音が、響いた。

 見ると、斎藤の頭に、スイカくらいの大きさの石が乗っていた。彼の目は白目を剥いていて、口は怒りに歪んだまま固まっている。裂けた皮膚から血が流れだし、彼の頬を伝った瞬間、バランスが崩れた。

 はっとし、百合さんが離れる。

 斎藤は背中から倒れた。一瞬、打ち上げられた魚のように全身を暴れさせたが、直ぐに納まり、口から泡を吹き始める。

 百合さんはしばらく立ちすくみ、痙攣をする斎藤を見ていた。彼が再起不能であることに気づくと、安堵の息を吐く。

「よっしゃ」

 それから、ニヤッと笑ってボクを見た。

「ナイスだ、葵」

「百合さんこそ、いい視線誘導でしたよ」

「これが私と」

「ボクの…」

 拳を突き合わせる。

「『シューティングスターアタック!』」

 などと言っている場合ではない。斎藤を倒したのは、あくまで彼が銃を持っていて、優先して処理しないと殺されてしまうから。

 ボクたちがやるべきことは、まだ残っていた。

「よっしゃ」

 百合さんは血が滲む脇腹を抑えながら、斎藤の手から拳銃を拾い上げた。

『百合さん、怪我は大丈夫なのですか?』

「大丈夫じゃない。早く終わらせて病院に行こう」

 拳銃を握りしめると、その銃口を、振り向くと同時に向ける。

 そこにいたのは、可楽涼音だった。彼女は、頼りにしていた斎藤が倒されたのを目の当たりにし、目を丸く、そして額を青くすることで驚嘆していた。

 百合さんは首を傾けると、嘲笑うように言った。

「私の言いたいこと、わかるよな?」

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