第38話

「私の推理を、聞いてはくれないか?」

『え、ああ、はい』

 ボクはボケるのを止めて、背筋をぴんっ! と伸ばした。

 どうして死体が入れ替わったのか、どうして碌々圭介は殺されたのか? その真相に触れるべく、百合さんが導き出した「荒唐無稽な推理」とやらに耳を傾ける。

 百合さんは息を吸い込んで、慎重に語り始めた。

「思うに、今回の騒動は、二つの事件に分けて考えるべきだと私は考えるんだ」

『二つの、事件? というと?』

 すると百合さんは、指を一本立てた。

「一つが、葵と女の死体が入れ替わったという事件。これを第一の事件としよう」

『じゃあ第二の事件が、碌々圭介が何者かによって殺された…という事件ですか』

「その通り。もちろん、この二つが全く関係ないというわけではないよ。両者は密接に関わり合っている。私が言及したいのは、その発生要因だよ」

『発生要因…』

 ぴんと来ない。

 百合さんはドアノブを掴んだまま続けた。

「私はね、第一の事件が、すれ違いとすれ違いが重なって発生したものだと考えるんだよ。すごくざっくり言うならば、あの死体の入れ替わりは、『偶然の産物』によって生じたものだ」

『偶然の産物…ですか』

 ボクは首を傾げた。

『ということは、明確な犯人は存在しないと?』

「そうだね。両者を撥ねたのには犯人は存在するけれど、その入れ替わりを起こしたのは偶然だ…と私は考える」

『うーん?』

 わからない。まったくわからない。

 これまでの推理で、ほぼ同時刻に違う場所で交通事故が発生していた…と言うところまでは導き出した。だがその後の回収した死体の入れ替わりが、偶然の産物だったのか。では何故、碌々圭介は殺されたのか。

「第一の事件の説明をする前に、まずは、第二の事件に触れておこうか」

『え…、先に碌々の方からですか?』

 ボクは落胆を隠さずに言った。

『どちらかと言えば、先に死体の入れ替わりについて知りたいのですが…』

 すると、百合さんはボクを落ち着かせるように、己の唇に指を当てた。

「慌てるな。先に第二の事件の話をしていた方が説明しやすい」

『…はあ』

 では聞こうじゃないか。

「偶然によって発生した第一の事件とは対照に、第二の事件には明確な悪意を持って犯行に及んだ犯人が存在するんだ」

 その勿体ぶった言い方に、ボクは唾を飲み込む。

『それは、誰なんですか?』

「それはね…、恐らく…」

 百合さんはボクを一瞥すると、こくりと頷いた。

 まるで爆弾の解除をしているかのような緊張感に、ボクも頷き返す。

 次の瞬間、百合さんは、腕を勢いよく振り上げ、人差し指を立てた。

「その犯人は…!」

『て、天井なんですか?』

「違うわい」

 出鼻を挫かれた彼女は、がくりと腕を下ろす。その時、彼女の人差し指が、ボクの胸を指した。

「犯人は葵、お前だ…」

 四畳の埃っぽい部屋に、百合さんの情けない声が響き渡る。それは当然、幽霊であるボクの鼓膜も揺らし、その言葉の意味を理解するよりも先に、腹の底から困惑が沸き上がり、喉の奥で溢れていた。

『は、はあ?』

 ボクが、犯人だと?

 ボクは慌てて百合さんに食って掛かった。

『百合さん、どういうことですか! ボクが犯人だと? 変なこと言うのも大概にしてくださいよ! ボクは誓っても殺人なんかやっていないし、そもそも、幽霊だから人も殺せないし、ずっと百合さんと一緒にいたじゃないですか!』

 ボクとしては、腸が煮えかえるような怒りをぶつけていたのだが、彼女は意に介していないかのように、へらっと笑った。

 ボクの言葉を無視して、百合さんは土足で部屋に上がると、居間に視線を配った。

 舌打ちをする。

「くそ、いないか…。当てが外れたな」

 ボクの方を振り返る。

「おい葵! この部屋、出る前と何か変わったところはないか?」

 そんな事より、ボクは、自分が犯人だと呼ばれたことについて詳細を聞きたかった。

『どうしてボクが犯人なんですか! 教えてくださいよ!』

 すると百合さんは、悪戯がバレた後のようにへらっと笑い、頭を掻いた。

「ああ、悪かったな。冗談だよ」

 冗談?

『じょ、冗談ですか? あんた、あれだけ名探偵っぽく語っていたのに、はったりだったんですか!』

 なんて野郎だ! とボクは憤慨する。

「まあまあ、落ち着けよ。冗談は冗談でも、半分冗談だ」

『半分冗談だあ?』

 尚更意味が分からなくなって、ボクはもう、足元に置いてあったリュックサックを浮かべて、百合さんにぶつけようとしていた。

「やめなさい。モノを大切にしなさい」

 お母さんのようにボクを宥めた百合さんは、あの発言の意図を語った。

「思い出してみろ。碌々圭介が殺されたあの部屋を」

『憶えていますよ? 汗蔵さんの証言によると、彼が殺される前と後には、誰もあの部屋を出入りしていないって』

「ああ、そうだな。でも実際、碌々は殺された。部屋に潜伏していた何者かによってな。普通に考えるならば、犯人は部屋の住人である女、可楽涼音だ」

 部屋を見渡しながら、百合さんは流暢に語った。

「でも、これはおかしい話だな。あの女は、昨夜に既に死んでいる。しかも、部屋の鍵は死体が持っていた。碌々を殺したのが別のやつだとして、そいつはどうやって鍵のかかった部屋に侵入した? そもそも、どうして隣人に気づかれずに侵入できたのか…」

 百合さんが、窓の方を見る。

「答えは一つしかない。窓から侵入したんだ」

『それは無理ですよ』

 すかさず、ボクは否定した。

『隣の建物とアパートの隙間は狭かった。普通の人間じゃ挟まってしまいます』

「そうだね」

 ボクの指摘をあっさりと受け入れ、百合さんは優しく微笑んだ。

「でも、無理な狭さじゃないだろう? 幅は大体…、四十センチくらいかな? 頭と肩さえ入ってしまえば、小柄な女ならどうとでもなる」

『いやいや…、無茶な推理を』

 たらればな推理に、ボクは苦笑を隠せなかった。

『犯人が偶然、密室を成立できる小柄な体格だったなんて、そんな都合のいい話を…』

 けれど、依然、百合さんは真剣な表情を崩さない。自分の推理に確固たる自信を持っているかのように、笑みを含んだ声でこう言った。

「いるじゃないか。私の目の前に…」

『目の前って…』

 そう言われたボクは、自分の背後を振り返る。けれど、誰もいない。

 百合さんが指している「小柄な女」が自分であると気づいた瞬間、また、UFOの奇譚を聞いた後のように、小ばかにして笑った。

『だから、ボクは…』

「入れ替わったんだよ。きっと。ぶつかった拍子に、魂が入れ替わったんだ」

 ボクの言葉を遮り、百合さんはそう言った。

『入れ替わった? 魂が?』

 何のことを言っているのかわからず、ボクは首を傾げる。

 百合さんはその説明を始めた。

「もう一度、頭の中に事故現場の地図を思い浮かべてくれ」

『ああ…』

 言われた通り、ボクは頭の中に地図を描く。

 まずは三十センチくらいの横線を引き、そいつを四等分するように、三本の縦線を引く。縦線を左から「一番通り」「二番通り」「三番通り」として、横線との交点を「一番交差点」「二番交差点」「三番交差点」とした。

「葵のアパートがあるのは?」

『二番通りですね。一番下の、右側…』

「そうだ。お前はあの日、三番通りにある銭湯を目指し、二番通りを北上していた。そして、二番交差点に差し掛かった時、横から走ってきた奴と激突したようだな」

『ええ、しましたね』

「おそらく、そいつが死んだ女…可楽涼音だ」

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