第七章『解決編』

第37話

「お前、もしかして、女の子か?」


 ボクの背中に電撃のようなものが流れるとともに、喉の奥で形作った言葉が掻き消えた。彼女もまた、言った後、疲弊したかのように口を噤んでしまい、二人の間には沈黙が舞い降りる。

 一秒、二秒、三秒…、腐った川のような時間に耐えかねて、百合さんは口を開いた。

「最初から、違和感は覚えていたんだよ。不幸自慢オークションの時、お前確か、女子に虐められていたって言ってたよな? 普通、女子に虐められるのは女子なんじゃないか…って、いやまあ、女子に虐められる男子もいるかもしれないけど」

 自分の推理に自信が無かったのか、百合さんは視線を逸らした。

「あと、女子の服にポケットが少ないことも、葵は知っていた。あと、男の割に、体重が軽いことも気になってたよ…。四十五キロてて…、女の子にしても軽い方じゃないか? 実際、私の体重五十八だし…。長谷川さんにも『ちゃん』って呼ばれてた…。大家の方は知らん」

 そこまで絞り出した百合さんは、再び視線をボクに戻す。その顔は決心したかのように引き締まっていて、もう一度、今度は力強い声でボクに聞いた。

「答えてくれ。百合葵。お前はもしかして、女の子なのか?」

『………』

 百合さんの真剣な表情を前にして、ボクもふざけていてはなるまいと思い、神妙に頷いた。

 胸に手を当てて、答えを口にする。

『ボクは…男ですよ』

「え…」

 当てが外れた百合さんは、一瞬にして間抜けな顔となった。

『心はね』

「は…?」

 だが一瞬にして、チベットスナギツネのような顔になる。

「お前、何を言ってる」

『だから、ボクは男ですって』

「違う、その後だよ」

『だから、心はね』

「心だとお?」

『ええ、心は』

 そうである。ボクこと「百合葵」は、心は男であるが、肉体は、つい最近二十歳を迎えたばかりの女の子である。いや、成人だから「女性」というべきか。

 身長は一五二センチの肉体を構成する細胞は、X性染色体を有しており、周りよりもやや遅かったものの、中学二年生の時に二次性徴を迎え、胸も腰回りも女性のそれとなった。太りやすくなってしまったから、筋肉をつけようとするも、脂肪はただ落ちるだけ。目指していたのはジュシュブローリンだったが、完成したのは「お人形」と称されるほどの小柄な肉体。体重は四十五キロ。

 髪は切っても切っても伸びてくる。鬱陶しいので、毎日大家さんに頼んでおさげにしてもらうほどだった。大家さんが「かわいいねえ」と褒められるが、不本意でしかない。

 もし自殺をしなかったとして、もし宝くじが一億円当たったとするならば、絶対に性転換手術はやってやろうと思う今日この頃な女の子。

 それがボクこと、百合葵なのだ。

「つまり身体は女なのか!」

 百合さんはじれったそうに声を荒げた。

「てめえの精神状態とか知ったこっちゃないんだよ! ってか、おかげで話がややこしくなった! 私が聞きたいのは、お前が男なのか女なのか、どっちなのかってことだ!」

『だから男ですって!』

「生物学上どうなのかって聞いてんだ! オスなのか! メスなのか! チンチン生えてるのか! どうなのか!」

『そりゃあ、生えていたら良いなあ…と思ったことはありますが、でも残念、ボクに付いているのは…』

「生えてないんだな! ならそれを早く言いやがれよ! 心だとかどうとか云々言わないでさあ!」

『あ! 百合さん、今のは性差別ですよ!』

「はいはいごめんなさいね!」

 百合さんは投げやりな謝罪をすると、何か重大な失敗をした後のように頭を抱え、しゃがみ込んでしまった。くしゃくしゃと髪を掻きむしりながら、悲痛な声をあげる。

「そういうことかよお…、完全に騙されてた…」

『ってか、言ってませんでしたっけ? ボクが男だって』

 そう言うと、鬼のような形相がボクの方を向いた。

 慌てて言い直す。

『言ってませんでしたっけ? ボクの肉体が、女の子のそれだって』

「言われてねえよ」

 百合さんがそう吐き捨てる。

「大体、ややこしい声しやがって…。確かに、掠れているけど、よく聴いてみたら、お前の声女の子のそれだわ」

『ああ、この声のことですか』

 ボクは自分の喉に手を当てて、「あー、あー」と、掠れた声を放った。

『やっぱり隠し切れないか…。いやね、女の子の声が嫌だったので、夜な夜な布団に顔を突っ込んで叫んで、無理やり枯らしてるんです』

「そんなことするなよお…、可愛い声してるじゃないか」

『か、可愛くない!』

 ストレートに褒められるのに慣れていないボクは、ムキになって否定する。

 ため息をついた百合さんは、何かを振り払うように、首を横に振った。

 最後の確認…と言わんばかりに、力強い目がボクを見る。

「とにかく、葵、お前は女の子なんだな?」

『いや、だからボクは…』

「か! ら! だ! は! 女の子なんだな!」

『はいはい、そうですよ』

 自分の口でそう認めるのは、なんだか気分が悪かった。

 手を腰に当てたボクは、右肩を若干下げて、威圧するように百合さんを見る。

『ってか、ボクが女の子だったらどうなんですか? 何が問題でもあるんですか? あ! もしかして、がっかりしてます? イケメンな男幽霊とのドライブデートかと思ってたら、ちんちくりんな女幽霊だったてことを…』

「うるせえな、塩掛けるぞ」

 そう言った上で、百合さんは真面目な声で言った。

「問題大ありだな。お前が女だとしたら、私の考えた突拍子も無くて荒唐無稽な推理が、現実味を帯びてくることになる…」

『え…』

 意外な言葉に、ボクもふざけている場合ではないのだと思った。

『現実味を帯びる…ですか、ってことはつまり、何か心当たりがあるのですか?』

「ある」

 百合さんはそう断言する。

 それを聞いた途端、ボクは彼女に食って掛かった。

『というと? 犯人は誰なのですか? どうして死体が入れ替わったんですか? 百合さんはこんなボクでも愛してくれますか!』

「やめろ、立て続けに聞くな」

 百合さんは鬱陶しそうに首を横に振ると、後退る。ロングスカートの裾に付いた埃を掃い、横目で窓ガラスの向こうにある、白い外壁を見た。

「葵よ」

 百合さんは優しい声で言った。

「私の推理を、聞いてはくれないか?」

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