第31話

「あのー、何しているんですか?」

 ボクらの隣から、女性の声が聴こえた。

 平静を装えば良いものを、百合さんは「ひいっ!」と声をあげて飛び上がる。驚きは伝播し、話しかけてきた者も「ひいっ!」と飛び上がった。

「な、なんだ…?」

 見ると、曲がり角の陰から、三十代くらいの女性が半身を出して、こちらの様子を覗き見ていた。ジャージを羽織ってはいるものの、細身で、髪も整っていて、清潔な印象がある。

 女性はもう一度問うた。

「あの、さっきから、何をなされているのですか?」

 どうやら、違法駐車する車の傍で、新興宗教のポスターを見ながら話している百合さんが奇妙なものにうつったらしい。確かに、女性の目は、何か詮索するような光が宿っていた。

「な、何って! 大したことはしていませんよ? ちょっとお喋りをしていただけです!」

 声を上ずらせて、百合さんは弁明する。さらには「な? おしゃべりしていたよな?」とボクに微笑みかけた。

 だが、女性は表情を一層険しくし、何なら、この場から逃げ出すべく後ずさりを始めていた。

 ああ、なるほど…と思い、ボクは百合さんに耳打ちをした。

『百合さん、ボクは幽霊なのですから、周りから見れば、あなたは一人で話す狂人です』

「はあ? 狂人じゃねーし!」

 小学生の男子みたいな弁明をしたところで、女性が抱く不信感は最大のものになった。

「あ、やっぱ、すみません。何でもないです」

 そう言って、走って行ってしまう。

『ああ、逃げちゃった…』

 乾いた声を洩らしたボクは、また、百合さんとの会話を続けよう…そう思ったのだが、先ほどの女性の姿がフラッシュバックし、口を噤んだ。

『………』

 周りから見れば、百合さんは一人で虚空に向かって話しかける変人だ。なんで、さっきの女性は、その変人に声を掛けようと思ったのだろう? 彼女もまた狂人なのか? いやそれとも、それを差し引いても尋ねたいことがあったとか?

『うーん…』

 悩むよりも行動に移した方が良い。

 一秒後には、ボクはふわりと浮かび上がり、女性が逃げて行った方へと飛んで行った。

 角を左に曲がって見ると、ちょうど、女性が門扉を開けて、民家の庭に入っているところだった。なるほど、彼女がこの家の住人らしい。

『百合さん、ちょっと!』

 そう声を張って、百合さんを呼んだ。彼女は直ぐに走って来てくれた。

「どうした?」

『さっきの女性、この角の家の人間みたいですよ。話、聞いてみたらどうですか?』

「ん?」

 一瞬、きょとんとした顔をした百合さんだったが、直ぐに頷いた。

「ああ、そういうことね」

 走り出した百合さんは、角を左に曲がり、玄関の扉に手を掛けている女性に声を掛ける。

「すみません」

 女性は直ぐに振り返ったが、声を掛けてきたのがさっきの狂人であることに気づくと、また恐怖にあてられたような悲鳴を上げた。すぐに家の中に入っていこうとしたので、慌てて呼び止める。

「ああ、ごめん。私、怪しい人間じゃないから…」

 いやまあ、十分怪しい人間なのだが。

「昨日の夜の話を聞きたくて…」

 そう言うと、女性ははっとして振り返った。

 何か心当たりがありそうな反応に、ボクと百合さんは目を見合わせて、頷き合う。

「あの、もしかして…」

「もしかして、昨日の変な音の正体、ご存じなのですか?」

 百合さんが聞くよりも先に、女性が食い入るようにそう言った。

「え…」

『え…』

 玄関のステップを降りた女性は、アプローチを駆けてボクらの前に出てきた。その顔は、恐怖…と言うよりも、不安に染まっていて、彼女は喉に詰まったものを吐き出すようにして言った。

「実は昨日の夜に、私の家の前で、酷い音がしまして…」

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