第26話

『ってか、なんで言ってくれなかったんですか? あのコンビニで警察に声を掛けられそうになったの、十中八九その件ですよね?』

 一時は、事故の件がバレたのだと思っていたが、冷静に考えれば、道中ボクらはナンバープレートを変えているわけだから、そう簡単に見つかってたまるかという話だった。

『早めに言ってくれていれば、偽札だったってことを予想できたかもしれないのに…。予想できたなら、あのガソリンスタンドには寄らなかった…』

 唇を尖らせると、百合さんは「すまん…」と言って頬を掻いた。

 雨は、ものの五分で止んでいて、峠に差し掛かった頃には、雲の隙間から零れた陽光が、アスファルトを光らせている。

「だって、反社会組織の手伝いをしていたんだぞ? 事情は知らないとはいえ、絶対ろくでもないことをしようとしていたはずだ」

 息を継ぐ。

「だから、その、後ろめたくてな。それに、事故と謎の死体の件とは関係が無いだろう? だから、言う必要が無いと思った…。そもそも、葵の死体を遺棄すれば一件は解決するつもりだったし…」

 まあ、そう言われたらそうなのだが…。

『それで? 誰を待ち伏せする仕事だったんですか?』

「知らん」

 百合さんは投げやりに肩を竦めた。

「碌々圭介からは、『茶髪の女』と伝えられただけだ」

『なんですかそれ…』

 情報が不十分過ぎる。いやまあ、黒髪が多い日本なら、茶髪は珍しいか? いやでも、大人なら染めている人だっているし…。

 百合さんは頷いた。

「私も聞いたよ。もっと情報を寄こせってな。けどあいつ、頑なに言うのを拒んでさ。とにかく、茶髪の女が通りすがれば、俺に教えろ…と言ってきたんだ」

『それで、承諾したんですか?』

「するしかないだろう? これ以上聞いてきたら、前金は無くなるし、報酬は半分にするって言ってきたんだから」

『ええ~…』

「まあ、どうせ偽札だからな…。聞いておけばよかった…」

『…………』

 百合さんの言い方に、ボクは違和感を覚える。だから、恐る恐る聞いた。

『もしかして、待ち伏せしていた女性は通らなかったんですか?』

 百合さんは横目でボクを見た後、こくりと頷いた。

「ああ…、そうだよ。二時間くらい待っていたんだがな、出て来なかった」

『それで、どうしたんですか?』

「碌々圭介から連絡があってな、もう帰っていいぞ…って。多分、対象は見つけられなかったんだろう。だけど、報酬は後で払ってくれるって言ったから、その日の私は、貰った一万円札に一喜一憂しながら、車を発進させたんだ」

 百合さんは運転しながらスマホを取り出すと、「ほら…」と言って、着信履歴を見せてくれた。そこには確かに、午後十時一分に、『碌々圭介』という登録のある者からの着信があったことが記されている。

 ボクはあることに気づいた。

『あれ、この時間…、もしかして』

「ああ、そうだよ」

 百合さんはばつが悪そうに頭を掻いた。

「碌々圭介に言われて車を出した後に、私は葵を撥ねたんだ」

『ああ…、ってことは、その後彼と合流することは無かったようで』

「うん。一度逃げた後、思い直して戻った。そして、葵の死体を回収して、再び逃げた…」

『うーん…』

 聞いた感じだと、謎の女の死体と関わりはなさそうだな。

 そこまで話したところで、ボクは脱力の息を吐くとともに、天井を仰いだ。

 ここから先は、ほんの雑談のつもりだった。

『待ち伏せ…なんて、何をするつもりだったんですかねえ』

「相手は反社会組織だぜ? そりゃ、想像つくだろ」

 百合さんの口調もまた、お道化た感じだった。

「捕まえて、あんなこと…そんなこと、あったらいいことするんだよ」

『動機は?』

「そりゃ、組織を裏切っただとか、痴情の縺れだとか…、あと、個人的な恨みだとか? まあ、ろくでもないことばかりだろう」

『そして、捕まえた後は…』

「縛り上げて底なし沼に沈めたり」

『コンクリートに詰めて東京湾に沈めたり…』

「ミンチにして豚の餌にしたり」

『骨で出汁とったり…』

 そんな妄想を言い合った後、二人同時に震える。

 百合さんは顔を顰めながら、話を締めた。

「まあ、人道から外れたことするんだろうさ。いやまあ、私も外れてるんだけどね。破滅に向かって全力疾走しているんだけどね」

 荷台には、謎の女の死体があって、雑な舗装をされた道を突き進むたびに上下に揺れ、カーブを曲がる度に、まるで生きているかのように転がっていた。

『……一体、誰なんだ? この人は』

        ※

 ひたすらに走り続けて、十五時を過ぎた頃に、女性の免許証に記されていた場所に到着した。

 それはつまり、ボクのアパート。

『もう帰ることは無いと思ってたなあ…』

 明るいところで建物を見る。

 家賃二万に相応しい、オンボロアパートだ。背後にある鉄筋のアパートが日光を遮っているために、じめじめとした場所に建っており、外壁の一部には苔が生えている。屋根は重力に潰されるかのように撓んでいて、階段は赤く錆び付いていて、今に倒壊してしまいそうだった。実際、一部落下防止用の柵に穴が空いている。

 心なしか黴臭い。百合さんは顔を顰めた。

 駐車場は無かったので、路肩にバンを停める。臭いが入ってこないよう窓を閉め、シートを少し倒した。

「私は車にいるから、葵は様子を見ておいで」

『え、百合さん来ないんですか?』

「駐禁の場所だからな…。念のためな」

『………』

 そう言えば昨日、アパートの前に車が停まっていたような…。あれも確か、黒色のバンだったな。でも、百合さんが停まっていたのは裏にある『一刻荘 B棟』の前だから…。

『わかりました』

 ボクはドアをすり抜けて外に出た。窓越しに、百合さんと会話する。

『ボクの隣だから、二〇二ですね』

「ああ、そうだな」

 百合さんは運転免許証を眺めてから答えた。

「二〇二…だ。行ってこい」

『鍵はどうしましょう?』

「あるにはあるな」

 百合さんは持っていた鍵を取り出す。

「だがまあ、葵なら開けられるだろう? 幽霊の、ポルターガイストの力で。ってか、すり抜ければ良いし」

『そうですね』

 ボクは手を胸の前で垂らし、典型的な幽霊のポーズをした。幽霊らしくそのまま浮かび上がり、アパート二階の通路まで、一気に飛んでいく。

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