第24話

「これ以上の心労は御免だね。何が悲しくて、人を殺して、死体を埋めようとして、偽札使った件で追われなくちゃならないんだ…」

『………』

 何が悲しくて、撥ね殺されて、その死体すら行方不明にならなくちゃならないんだ…という悪態が浮かんだが、今は言うべきではないと思った。

 とは言え、このまま百合さんの心を折るわけにはいかない。ボクは死んでいるんだ。ボクの死体を遺棄できるのは、彼女しかいなかった。

『百合さん、気持ちはわかりますが』

「葵も葵だよ。お前はなに死体遺棄に拘っているんだ…。別にいいじゃないか、醜態晒したって…。今の今まで晒して生きてきたんだから…」

 投げつけるような言葉が飛んできて、ボクの胸に突き刺さった。

 反論しようと息を吸い込んだが、突き刺さった言葉が、ボクの魂に染みて、それもそうか…と思ってしまう。

 それから百合さんは、小馬鹿にするように鼻で笑った。

「思い上がるなよ。お前の死が誰かに影響するとでも? 七十五日と経たずに忘れられるわ」

『それは…』

「そんなもんなんだよ。私たちみたいなとるに足らない存在にとって、事故で死のうが病気で死のうが、自殺しようが、同じ価値のある死だよ。一瞬にして忘れられる、無価値…」

 そう捲し立てた百合さんは、止めを刺すように言った。

「確かに、何処かに、葵の死体はあるんだろうな。だけど、もう余計なことをしようとするな。その死体を埋めようが、誰かに発見されようが、結果に代わりはない。同じ死…なんだからな」

『ぐ…』

 返す言葉が見つからない。

 そんなことはわかってるさ。

 きっとボクが死んだところで、誰かが悲しむことはないだろうし、誰かの人生に影響を与えることもない。数多ある泡が一粒消えるようなものだ。ボクの死は、この世界全体から見れば、観測できないくらいにひっそりと起こるものなのである。

 わかっている。

 ボク、は不貞腐れたような顔をしている百合さんに言った。

『自分の墓を選ぶようなものですよ。気分、悪くないですか? 人のお目を汚して死ぬなんて』

 すると、舌打ちが聴こえた。

「だからよ、お前はもう死んでいるんだから。関係ないじゃないか。そもそも、目を汚すと言ったって、せいぜい警察だろう? あと、アパートの大家とか知り合いとか…。このくらい良いじゃないか。私は大衆に裸を見られるのは嫌だが、同級生数人に見られるのなら許容するタイプさ」

 百合さんの瞳孔が、少し開くのがわかった。

「実際、それで済ませた。交渉したのさ。裸の写真をネットに流す…って言われて、それはダメだ。写真を消す代わりに…」

『ああ、もういいもういい』

 生々しい話になりそうだったので、ボクは慌てて遮る。

 百合さんも勢いで言ったのか、ばつの悪そうに口を噤んだ。

「とにかく…だ。私はもう嫌だよ。数人に醜態晒して忘れられればいいものを、無駄な労力かけて死体を捨てに行くのは」

『ああ、もう…』

 平行線だな…って思う。価値観がずれているのだ。お互いに、明後日の方向に。

 百合さんは、ボクたちの死なんてとるに足らないものだという。だから、電車に轢かれて死のうが、首を吊り、部屋を心理的瑕疵物件にして死のうが、川に飛び込んで、腹を膨らませながら浮かぼうが、それは全体で見れば、観測できないくらい小さな醜態である。そして、その小さな醜態すら隠そうとしているボクの行為は、理解しがたいものだと。

 ボクは百合さんの言葉を理解し、ごもっともだと認めたうえで、やはり「死体遺棄」を求めるのだと思う。これに理由を求めてはいけない。「なんとなく」ってやつだ。

 自分の墓を選ぶかのような、決して叶わない夢を思い描くかのような、効率だとか無駄だとか、そんな理由をかなぐり捨てた、ボクの魂を愛でるような、行為。

 なんとなく嫌だから、ボクは死体遺棄を求めるのである。

『百合さん、お願いしますよ』

 ボクは声の調子を抑えて、恐る恐る言った。

『嫌なんですよ。ただ何となく嫌だ。わかってください。百合さんだって、腹に入れば同じだけれど、食事の盛り付けは気にするでしょう?』

「気にしないさ。腹に入れば同じなんだから」

 間髪入れずそう言う百合さん。ただ、本当にそう思って言ったのではなく、ボクを否定してやりたくて、意固地になっているかのような言い方だった。

『どうせ勝てないからって…、練習を怠りますか?』

「無駄な努力はしない」

『………』

 本当、話が通じない。

『そうですか』

 ボクは諦めかけていた。

 確かに、この女の死体の正体だとか、ボクの死体の行方だとか、気になることは山ほどあったが、それを解明するか否かは百合さんの決断に委ねられる。彼女が不動の岩のように立ち塞がるというのなら、受け入れなければなるまい。だって、彼女の言っていることは間違っていないのだから。

 ボクは折れた。

『じゃあもういいですよ。その女の死体を適当に遺棄して、終わらせましょう』

「だが、死体を遺棄するとなると話は別かな」

 ほぼ同時に、百合さんが笑みを含んだ声をあげた。

 道化というか、天邪鬼のような言い方に、ボクは言葉を失う。見ると、彼女は首を傾けて、横目でボクを見ていた。

『…どういうことですか?』

「この死体を人知れず捨てたとして、解決したのか? って言う話だよ」

 言った後で首を横に振る。

「そんなわけがない。私は得体の知れない罪悪感に襲われるだろうし、いやそもそも、女の行方不明によって動き出した警察が私を突き止めるかもしれない。多分、事態はより最悪な方向に向かうんだ」

 その時、ぱたっ…と音がした。

 見ると、バンのフロントガラスに水滴が付いている。かなり大きかった。その一滴を皮切りに、いつの間にか空を覆っていた灰色の雲から、大粒の雨が弾丸の如く勢いで降り注いだ。

 辺りは一瞬にして白い霧に覆われて、前方五十メートルが霞む。心なしか青い臭いが鼻を掠めて、これがただの雨ではないのだと悟った。

 百合さんはワイパーを作動させると、顔を顰めて言った。

「意地悪いって悪かった。冗談だよ。最初からこのつもりだった」

『百合さん…』

「お前が醜態晒して死んだところで、確かに違いはないさ。でも、私はお前の醜態を隠さないことには、平穏な生活が遅れないんだよ。御免だね。不運に振り回されて、行きつく先が刑務所だなんて」

 アクセルを踏み込む。

 バンはスピードを速めて、飴を切り裂くように走り始めた。

「こいつはもう、チキンレースだよ」

『…ありがとうございます』

 ボクは百合さんに感謝の言葉を述べたのだった。

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