第23話

「よしよし…」

 若い店員に頭を撫でられている百合さんに、ボクは口を寄せて聞いた。

『どうするんですか? このまま警察に無実であると話すんですか!』

 すると百合さんは、若い店員の胸の中で、こくりこくりと頷いた。

「私は無実なんだよ―!」

「そうですよね。あなたは無実です」

 若い店員もまた、こくりこくりと頷いた。

「だから、車に死体なんて、積んでませんよね?」

「………」

 そのタイミングで、泣き喚いていた彼女の声が途切れた。

 ああ、やっちまった…と、ボクは肩を竦める。

『百合さん、逃げますか? 諦めますか?』

 そう聞いた瞬間、鹿威しの如き勢いで、百合さんが顔を上げた。当然、彼女の頭頂部は、若い店員の顎を直撃。鈍い音が響くのと同時に、彼の猫を踏み潰したかのような悲鳴上げて、上体をのけ反らせた。

 一発ケーオー。彼は背中からアスファルトに倒れ込み、白目を剥いて動かなくなる。

「こ、この野郎!」

 百合さんは倒れている若い男を睨みつけた。

「人の車の中を勝手に見やがって! 非常識だとは思わんのか!」

『あんたが勝手に口を滑らせたんだろうが!』

 いやまあ、あの状況なら、ボクも滑らせるかな? だって、偽札に関しては本当に心覚えが無いのだから。さて…、どうするか…。

 ダウンした部下に、店長が駆け寄って肩を揺する。

「お、おい…、大丈夫か?」

 それから、青ざめた様子で百合さんを見た。

「お前! うちの店員に何してくれてんだ! もうすぐ警察が来るからな! そこで洗いざらい話せ! 偽札作ったことも! 車に死体載せていることも! うちの店員に頭突きかましたことも!」

「偽札なんて作ってない!」

『死体も否定しろよ!』

 ああ、もう滅茶苦茶だ…。

 事態が収拾しないことを悟ったボクは、百合さんに必死に呼びかけた。

『百合さん! とりあえず逃げますよ! 荷台の死体が見つかったら終わりだ! いよいよ言い逃れが出来なくなる!』

 だが、聴こえていない様子。顔を真っ赤にした彼女は、若い店員を介抱する店長に、小学生みたいな罵詈雑言を浴びせていた。

「馬鹿! アホ! 間抜け! お前の母ちゃんでべそ!」

『いい加減にしろ!』

 このままでは収拾がつかなくなる。

 さて、どうすべきか…。

 そう思った、その時だった。

 柱の傍らにあった三角コーンが微かに震えたのだ。

「え…?」

 驚いて振り返ると、緑色のそれは、ふわり…と浮かび上がる。

 ポルターガイストだ。でも、ボクはこいつに念を込めていない。

『一体、なんで…?』

 困惑した次の瞬間、浮かび上がった三角コーンが、勢いよく飛んでいき、我を忘れている百合さんの後頭部に、こつーんっ! と激突した。

「ふきゅっ!」

 甲高い悲鳴を上げた百合さんは、目を回して千鳥足を踏む。だが、すぐに踏みとどまり、我に返ったような顔でボクの方を振り返った。

「葵! てめえ、何をする!」

『い、いや…』

 今のは、ボクではない。とは言え、説明している場合ではなかったので、そういうことにして叫んだ。

『百合さん! 我に返ってください! 逃げますよ!』

「それもそうだ!」

 浮かんでいる三角コーンを掴んだ彼女は、大きく振りかぶった後、そいつを店長の頭に被せる。

「うわっ! 何をする!」

 視界を遮られ、店長がのたうち回っている隙に、バンに乗り込む。ボクも扉をすり抜けて、助手席に乗り込んだ。

 サイドブレーキを解除するとともに、バックに入れて、アクセルを踏んだ。

 猿が鳴くような音を立てて車がバックする。ハンドルを切ると、横転しそうな勢いで方向を転換した。

 窓の外を見ると、店長が「待てえ!」と叫びながら追ってくるのが見えた。待てと言われて待つ犯人が何処にいるというのか。

「じゃあなっ!」

 車に乗り込んですっかり虎の威を借りた百合さんは、アクセルを踏み込むと、その鉄の塊を揺らしながら、道路へと飛び出ていた。勇敢な店長は、道路までボクらを追ってきた。しかし、横から走ってきた対向車にクラクションを鳴らされ、阻まれる。

『百合さん、早く早く!』

 もう逃げられたも同然だったが、ボクは百合さんを急かす。彼女もまた、「わかっとらい」と上擦った声で言うと、バンを加速させた。

 ボクは、にょきっと、窓から顔を出して振り返る。

 やはり店長は、歩道沿いにボクらを追いかけて来ていた。しかし、亀よりもウサギの方が早いように、蟻が象に踏み潰されるように、猫が犬よりも可愛いように、人間が車の速度に敵わないことは決定づけられていた。瞬きを三つしないうちに、豆粒のように小さくなって、見えなくなる。

『よ、よかった…』

 何とか撒くことが出来たボクは、安堵の息を吐いてシートにもたれかかった。

 とは言え、まだ油断はできない。きっとあの人たちは、やってきた警察にボクらが逃げたことと、車の特徴、逃げた方向を伝えるはずだ。

「…ったく」

 落ち着きを取り戻したのか、百合さんはため息をつくとともに、バンの速度を五十キロまで落とした。元が百キロだったために、かなり遅く感じられて、なんだか不安に思える。

「助かったよ。お前がポルターガイストの力でコーンをぶつけてくれなかったら、あのまま我を忘れていた」

『……え、ええ…』

 ボクは自分の手を覗き込んだ。

 自分でやったつもりなかったんだけどなあ…。でもまあ、あの場でああいうことが出来るのは、幽霊であるボクだけだし…。やっぱり、暴発しちゃったのかなあ…。

 もうちょっと精度を高めないと…。

『ん?』

 そんなことを思っていると、助手席の足元に何かが落ちていることに気が付いた。

 そいつは、百合さんが持っているクマさんのぬいぐるみだった。

『……………』

 ボクはぬいぐるみを見つめた後、聞いた。

『あの百合さん、このぬいぐるみは何ですか?』

「あ? おばあちゃんの形見だよ」

 百合さんは不機嫌そうに言った。

「そんなことより、最悪だ。あの一万円、偽物だって」

『ああ…』

 百合さんの苦悶の横顔を見て、ボクは掛ける言葉を見失った。

 二度あることは三度ある…とは言ったものだ。禍福は糾える縄の如しなどではなく、悪いことは立て続けに起こるものなのだ。ボクらの足止めをせんとしたのが、女性の死体とは全く関係の無い「偽札」だなんて、誰が予想できたことだろう。

 本当にしょうも無くて、笑うことすらできない。

『…でも、急いだ方が良いですね』

 心痛を覚えながら、ボクはそう絞り出した。

『きっと、ボクらは警察にマークされる。いろいろ探られて、身元が割れるよりも先に、この女性の正体と、ボクの死体がどこに行ったのかを探らないと…』

「いや、もう勘弁してくれよ…」

 百合さんの泣きそうな声が聴こえた。

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