第22話
今朝のガソリンスタンドまで戻ってきた。
朝と比べて混んでおり、合計六レーンあるのだが、そのうち四つが埋まっていた。
荷台に死体があるために、百合さんは嫌そうな顔をしつつ入っていく。そして、道路側のレーンに停めた。
降りると、とりあえず給油をする。今度は、今朝のようにお札が詰まることなく、スムーズに済ませることが出来た。
「私らがガソリンを給油していた隙に、死体を入れ替えられた…ってことはないよな?」
『そうしたら気づかれるはずだと思うんですけど』
「まあ、一応聞いておくか」
そう息をついた百合さんは、店員に話を聞くべく、事務所がある建物の方を向いた。
バンは止めたままにして歩いて行こうとしたのだが、その手間は省けることとなる。何故なら、事務所の扉が開いて、ブルゾンを着た店員がこちらに走ってきたからだ。
「あの、すみません…」
今朝とは違う、若い男の店員。彼は、バンのナンバープレートを眺めながら百合さんに話しかけた。
当然、百合さんは身構える。
「な、なんだ? 何の用だ?」
「今朝も来店されていましたよね?」
店員のその質問に、ボクと百合さんは目を見合わせた。
「そうだけど…、どうした?」
そう聞いたのだが、学生と思われる若い店員は、歯切れの悪い様子を見せる。
百合さんは取り繕うように笑った。
「なんだ? 一日に二度も来たら悪いか?」
そして、傍にあるバンのボンネットに触れる。
「遠出をしているんだ。帰るためにガソリンが必要でね…。まだ半分以上残っているんだけど、給油させてもらった」
「はあ…」
百合さんのその言葉に、店員は何故か安堵の様子を見せた。
「ということは、知っていたわけでは、ないのですね?」
「ん? 知っていた?」
意味深長な質問に、百合さんの眉間に皺が寄った。
「お前、なんだ? さっきから何が言いたい…」
苛立ちの混じった声でそう問い詰めた、その時だった。
事務所の方から、今度は中年くらいの男が、何やら慌ただしい様子で走って来て、若い店員を庇うようにして百合さんの前に立った。
柔和な感じを漂わせていた彼とは対照的に、何やら警戒するような雰囲気。
キッ! と百合さんを睨みつけた中年の店員は、切りつけるようにして言った。
「もう、警察は呼びましたからね」
「え…」
『は?』
これには、ボクと百合さんも困惑の声を洩らし、肝を冷やすしかなかった。
「けけけけけけ、警察?」
百合さんの表情が凍り付き、三歩後退る。その拍子に、垂れていたレギュラーノズルのホースに引っ掛かり、盛大に尻もちをついた。
立ち上がる余裕もなく、百合さんは中年の店員…おそらく店長の男を見上げた。
「なななななな、何を言ってるんだね! 君は!」
動揺して口調が変になる百合さんとは対照的に、店長の男は毅然としていた。
「もうすぐ警察が来ます。詳しい話はそこでしてもらいますので…」
店長の隣に立っている若い店員は、気が気でないような顔をしている。
「あの…、店長、この人の様子だと、知らなかったようなのですが…」
「それはワシの知ることじゃない。どちらにせよ、警察に話を聞いてもらわないと…」
そんな会話が聴こえた。
この様子だと知らなかった…だと? どういうことだろう? どういう意図での発言なんだ? まあ、バレていることは確実か…。
ボクは百合さんに近づいて、耳打ちをする。
『どうします? 荷台に死体を積んでいること、完全にばれていますよ? 多分、コンビニにいる時に警察に掴まりそうになったのも、ここの店員が通報したからでしょうね』
「ば、馬鹿言えよ!」
現実逃避をしたいのか、百合さんはボクの言葉を一蹴しつつ、目の前の店員二人を指さした。
「どうせ、あのときだろう? 札が釣銭機に詰まった時!」
「そうです。夜勤の人間から報告を受けました」
店長は、力強くそう頷いた。
「くそが!」
百合さんはコンクリートを殴る。
「人の車の中を勝手に見やがって! ここの店員がそんな非常識だとは思わなかったわ!」
きっとそうなのだろう。
あの時、一万円札が釣銭機に詰まった。発生したエラーを解除すべく、店員がこちらに走ってきた。その作業の最中、荷台に積まれた毛布を見たのだろう。毛布を縛ったビニール紐や、丸みから「人間の死体である」と解釈し、通報に至ったのだ。
「想像力豊か過ぎだろ! あれ見てそう連想するなんて!」
「いやいや、あんなの一目見ただけでわかりますよ」
そういう店長の声は挑発的だった。
悪いことをしているのは百パーセント自分だというのに、百合さんはますますヒートアップし、唾をまき散らしながら言った。
「一目見たらわかるだあ? なんだ、じゃあお前は、米俵見ただけでそう思うのか! 卵焼き巻いてるだけでそう言うのか! お前の豊かな妄想力のせいで警察に掴まるところだわ!」
「はあ? 米俵? 卵焼き?」
今度は、馬鹿を相手にするかのような顔をする店長。
「あなた、さっきから何を言っているんですか? ボクが言いたいのは…」
「そうだよ! この野郎!」
自棄を起こした彼女は、立ち上がり、拳を握った。そして、隣にあるバンのスライドドアを殴る。
そして、言ってしまった。
「死体運んでんだよ!」
「偽札、使ったってことで…」
百合さんと店長の言葉が、ほぼ同時に重なった。
「へ?」
「は?」
そして、二人の驚嘆の声が重なったのも、ほぼ同時だった。
『え…』
ボクも、三秒ほど遅れて驚いて見せる。
『偽札…? どういうことだ?』
百合さんと店長、二人の会話が噛み合っていないのは薄々感じ取っていたが、まさかのすれ違いに、ボクの頭の中が真っ白になる。当然、百合さんも同じで、彼女は怒りを忘れて、青白い顔で聞いた。
「に、偽札…だと?」
「え、ええ…、偽札です」
店長も、先ほどの威厳のある気配は消え失せて、まるで殺人鬼でも相手にしているかのような、泣きそうな声をしていた。
「ほら、あなた今朝に給油をする際、一万円札を入れたでしょう? それが詰まって、夜勤の人間が、別の札と交換した…」
「あ、ああ…、されたな」
その後、百合さんは交換した一万円札によって給油を行った。そのお釣りは彼女の財布に入り、そして、さっきもまた、給油をするために使われた。
「その後に回収をした一万円札が、偽札だったのですよ。かなり精巧に作られていましたが、紙の質が若干違う…」
「え、ええ?」
百合さんの目が、泳ぐどころか、打ち上げられた魚のような勢いで震えている。頬に浮かんだ玉のような汗とか、カチカチと鳴る歯から察するに、本当に身に覚えのない事だったのだろう。
「だから、警察に通報しました」
調子を取り戻した店長が、そう言う。
隣でおろおろとしながら聞いていた若い店員が、一歩、百合さんの方に近づいた。
彼は宥めるような口調で言った。
「あの、知らなかったんですよね? あれが本当に偽札かどうか…。だったら、それを警察に話せば、きっとわかってくれますよ。大丈夫です。流通していた偽札を掴まされたんですよ。ありえない話じゃない。ボクの友達も、ブランドのバッグを買ったら、偽物だったし…」
その言葉に、百合さんがはっとする。
「あ、ああ…、知らなかったんだ…」
今に泡を吹いてしまいそうな様子で、必死にそう絞り出した。
「本当に、知らなかった…」
「ええ、あなたは何も知らなかった」
若い店員は拳をぐっと握りしめ、百合さんにそう微笑みかけた。
「ボクは、あなたが無実なこと、知っていますからね」
「うわーん!」
単純というかなんというか、わけがわからない状況で、自分に味方してくれる人が現れた途端、彼女は少女のような泣き声をあげて、若い店員に抱き着いた。
「私、あの一万円札が偽札だったなんて、知らなかったんだよー!」
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