第13話

 再びアクセルを踏んだ百合さんは、唇を尖らせながら弁明した。

「その件は、五つ目、六つ目の会社での出来事さ。人生に絶望して荒んでいた時期の話だよ。正常な状態じゃないんだよ。だから、君の胸の内に仕舞っていておくれ」

『いやまあ、墓場まで持って行きますけど』

「もう死んでるやないかーい!」

 百合さんのツッコミが炸裂したところで、ボクらは目を見合わせた。

 そして同時に天井を仰いで、わっはっは! と笑いあった。

「まあ、とにかくだ」

 百合さんは目に光るものを浮かべながら、髪をかき上げ、いつぞや縫ったとされる傷を晒しながら締めに入った。

「笑えて来るだろう? 私の人生には悪いことしかなかったんだ。たまには良いこともあっていいと思うんだけどね…、全く起きない。あ、悪いこと起きそうだな…って思ってると、必ず起こるものだから、本当に笑えて来る。『禍福は糾える縄の如し』なって言葉が詭弁だって言うことがよくわかるね」

『わかります』

 百合さんと同じような経験をしたことがあるボクは、しみじみと頷いた。

「私はこれから逮捕される。刑務所にぶち込まれる。出所した後も、人殺し…っていうレッテルを貼られて、一生日の目を見ることが無いまま生きるのさ…」

 自棄になっている彼女は、わざとらしく明るい声でそう言ったが、息を継いだ後、「いや…」と、調子を落とした。

「葵の方がダメか…。もう死んでるんだからな」

『いや、ボクは、もともと、死ぬつもりだったので…』

 ボクはぽつりとそう言った。

 その言葉に、百合さんは「え…」と驚嘆の声を洩らし、ボクの方を振り返った。

「どういうことだ?」

『だから、死ぬつもりだったんですよ。今日』

 首だけで、後部座席を振り返る。そこには、毛布で包まれたボクの死体があった。

『実は今日、死ぬつもりでアパートを出たんです。部屋の荷物、全部処分して…。アパートの家賃と違約金、三日後に届くようにして…』

「…そうか。じゃあ、私の前に飛び出してきたときは…」

『いや、その時は銭湯に行く途中でして』

「銭湯? あの近くに銭湯あったっけ?」

『実は、土壇場で死ぬの止めたんですよ。今日じゃなくて、また別の日にしよう…って思ったんです』

 ボクはすぐに首を横に振った。

『いずれ死ぬつもりでしたから。なので、その…』

 唾を飲み込む。

『死んだことについては、後悔していません。だから、あまり自分を責めないでください』

「……いや、いやいや」

 百合さんは、若干葛藤のある声で首を横に振った。

「お前、まさか、私を赦すつもりか?」

『ええ、赦しましょう』

 ボクは頷いた。

『さっき、あなたのことを恨む…って言いましたけど、本気で恨んでいたわけじゃない。あくまで、被害者としての立場を守っただけだ。でも、あなたの身の上話を聞いて気が変わった。ボクはあなたのことは恨まない。そう宣言しましょう』

「同情はよしてくれ…」

 だけど、百合さんはうんざりしたように言った。

「君が赦したところで、法律は私を許さん。これから相応の処罰を受けるんだよ。まるで殺し損じゃないか。もう既に最悪にいるんだから、君も私のことを口汚く罵っておくれ」

『横領』

「会社のことは言うんじゃない!」

 罵ってくれ…と言われたところで、そんな都合のいい言葉、すぐに見つかるわけがなかった。

 ため息をついた百合さんは、目を擦った。

「わかるだろう? 今欲しいのは優しい言葉じゃない。私をやけくそにしてくれる言葉さ」

 面倒くさい人だな…と思ったのは、胸の内に仕舞っておくことにしよう。

『一応聞くんですけど、あなたは、ボクに対して罪悪感を抱いているわけですよね?』

「あ?」

 眉間にしわが寄った顔がボクの方を向いた。

「当たり前だろう。馬鹿みたいなことを言わないでおくれ。国語の成績悪いのか?」

『ボクはあなたに嫌悪感を抱きましたよ』

 まあ、とにかく。

『罪悪感、抱いているんですね。ってことは、ボクのお願い、聞いてくれますか?』

「ああ?」

 今度は、口元を歪めてボクを見る。

「だからこうして、自首しているんじゃないか」

『いや、自首じゃなくて』

 首を横に振ったボクは、息を吸い込むと、百合さんの方へと身を寄せた。

 突如近寄られるものだから、百合さんは怪訝な顔をし、前を向き直る。

 その小ぶりな耳に、ボクは囁いた。

『ボクの死体を、捨ててくれませんか?』

 ただし、悪魔の囁きだった。

「はあ?」

 当然、百合さんは困惑のため声を裏返し、車は対向車線へと飛び出した。更には、その向こうにあったガードレールにぶつかりそうになる。対向車がいなかったことが幸い。慌ててハンドルを左に切り、元の車線に戻った彼女は、顔を青くしてボクを睨んだ。

「何を馬鹿なことを言っている! 私にさらに罪を着せようとするんじゃない!」

『いやいや、罪は被りませんよ?』

 どうやらボクは悪霊だったようだ。

『誰にも発見されない山中にボクの死体を遺棄してしまえば、あなたがひき逃げしたことは誰も咎めませんよ。もちろん、死体遺棄の罪にも』

「いやいやいやいや…」

 眼球がすっぽ抜けそうな勢いで首を横に振る百合さん。

「私に罪を背負わせたまま生きろってか? 無理だわ。毎日の飯がまずくなる。きっと、いつ捕まるんだろうか? って考えすぎて、仕事にだって集中できん!」

 まあ、当然の反応ではある。自分で殺してしまった人間を遺棄することができるのは、それはきっとサイコパスかヤクザだろう。話を聞く限り、百合さんはそれに該当しない。だからこうやって、ボクらは警察署までのドライブデートをしているのだ。

『貴女の罪の意識とかは知りませんよ。ボクは遺棄されることを望んでいるんだから』

「はあ? お前、サイコパスなのか?」

『いえいえ、ボクはしがない、自殺志願者ですから』

「サイコパスなんだな!」

 百合さんの顔に余裕が無くなって、彼女は声を震わせた。

「勘弁してくれよ。このまま自首させておくれ」

『だから、罪悪感覚えているんでしょう? あなたはボクを殺したんだ。だったら、相応の謝礼はすべきなんじゃないですか?』

「するって言ってんだろ! 自首する! 墓場は大理石にする! 坊さん呼ぶ! お布施は千円だって!」

『なに四千円値下げしてんだ』

「たのむよお、刑務所の中から黙祷するからさ!」

『そんなものはいらないね』

 調子が出てきたボクは、ふんぞり返ってそう言った。

『ボクはそれを望んでいない。あなたが警察に向かおうものなら、ボクは絶対にあなたを呪います。一晩中あなたの傍にいますよ? トイレの時も、お風呂の時も、あなたの前に現れて、呪いの言葉を吐き続けます。もちろん、リングを見ている時に、テレビから…』

「貞子になろうとするな!」

『だから、これからボクを山に埋めに行ってください』

 そう言い切った。

『ボクはね、自殺するときに、こんな計画を立てたんだ。なるべく迷惑を掛けない…っていう計画をね。具体的に言えば、人に死に様を晒さない。死んだ後に、その後始末をさせない。誰の心にも傷を残すことなく、そのうちに忘れられる…っていうことです』

 肩を竦める。

『百合さんが警察に出頭したとして、警察署の人たちは、壮絶な取り調べを行います。ボクは司法解剖に掛けられて、血まみれの醜い姿を人に晒すことになります。そして葬式の時は、傷だらけの顔を人に見せることになる。もちろん、お坊さんの出張がある。これは立派に、人に迷惑をかけている…と言えますよ』

「まて、君が埋められたなら、きっと関係者が行方不明届を出す。それも立派に人に迷惑を掛けていると言えるじゃないか」

『警察が本腰を挙げて調査すると思いますか? 毎年八万件近い失踪者が出るんだ。警察が全部調査できるわけがないじゃないですか。ボク一人が失踪したところで、人に掛かる迷惑って言うのは微々たるものだと思いますけどね。きっとそのうち忘れられるんだ』

「私に迷惑が掛かるじゃないか」

『何をお、そっちが迷惑かけてきたくせに』

 ボクが「被害者」であり、百合さんが「加害者」。その関係性を彼女の鼻先に突きつけるということは、ナイフを首筋に当てていることと同じだった。

 百合さんは「ぐっ…」と唸ると、背中を丸め、恨めしそうにフロントガラスを睨んだ。そして、了承ともとれる言葉を発する。

「何処にする?」

 バンはそのスピードを緩めて、路肩に停車した。

「葵の死体を埋めに行くとして、何処がいい? 今どき、そう簡単に人に見つからない死体の遺棄場所なんて無いぞ?」

『一応、死ぬつもりでいたのが、威武火東山だったんです。あそこなら、標高そこそこ高いし、近くに町も集落も無いから、人が立ち入ることも無いかな…って』

 すると、百合さんは眉間に皺を寄せてこちらを振り返った。

「威武火東山だあ? あそこはダメだろ。五年くらい前に、ツキノワグマの研究チームが立ち入って、首吊り死体を発見してるんだから」

『へえ、絶好の自殺スポットですか!』

「馬鹿言え、つまり人に注目を浴びやすい場所ってことだろう。発見された死体は死後半年。私は嫌だぞ、一年も経たずに自分の犯行がバレるなんて」

『そう言われても、他に思いつかないし…』

 すると百合さんは意地悪な顔をしてボクを指した。

「言い出しっぺは葵、お前だからな。お前が探せよ」

『じゃあ、威武火東山に行ってください。半年でバレるかもしれないし、ばれないかもしれないってことでしょう? じゃあ、ボクは後者に賭けるので』

「やっぱ私が探す!」

 自分の命運がかかったことを他人に任せたくないらしく、百合さんはハンドルに脚を掛けると、スマホを取り出して、地図の確認を始めた。

「ってか、遺棄をするって言ったって、落ち葉の上にぽいっとするだけじゃダメだろ? 穴に埋めて、微生物に食べてもらわなくちゃな…。スコップが必要になるし…、そもそも、葵の死体を担いで山を登るなんて現実的なのか? いやまあ、葵の身体結構軽かったし…」

『血が抜けてますからね』

 そう言うと、なぜか嫌そうな顔でこちらを見てきた。

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