第12話

 女性は運転席に戻った。

 キーを捻ってエンジンをかけると、シートベルトをする。もう二度と人は撥ねまい…という意思表明か、力強くきびきびとした動きだった。

「よし」

 なんて言って、ハンドルに手を掛ける。

「じゃあ、今から警察に向かうね」

『あ、はあ…』

 あまりにもあっさりとしていたから、言葉の歯切れが悪くなった。

『そんなあっさりと…』

「飄々としているのは罪の意識から逃げるためだよ。君だって、昔怒られた時、自分が悪いとわかっていながらも、友達に先生の悪口を言って強がっていただろう?」

 なんて言って、アクセルを踏む。

 バンはゆっくりと走り出し、落ち葉が散らばる道を走り出した。

 ボクはシートをすり抜けて、助手席に腰を掛ける。シートベルトをしようと思ったのだが、当然、触れることはできなかった。

 なんだか落ち着かないボクの横で、女性は話を続けた。

「一応自己紹介、しておこうか?」

『あ…、はい』

「どっちからする?」

『じゃあ、一番身元が分かっていなくちゃいけない、ボクからで』

 律儀に手を挙げてから、自己紹介をする。

『ボクの名前は、アオイです。ビャクゴウアオイ』

「ビャクゴウ?」

 珍しい苗字だと思ったのか、女性は横目でボクを見た。

「それって、どう書くの?」

『簡単ですよ。お花の『百合』と書いて、『ビャクゴウ』って読むんです。『アオイ』は単純に『葵』って書きます。青い百合ですね! いやまあ、葵はまた別の花ですが』

 すると女性は、ははっと笑った。

「へー、私と一緒じゃん」

『一緒? あなたもビャクゴウさんなんですか?』

「いや、漢字が一緒なだけ」

 バンは緩やかなカーブを曲がった。

「私の名前は、キリシマユリ」

『キリシ…、マユリ?』

「霧の、島の、百合で、『霧島百合』」

『はへえ、そういうこと』

「まあ、同じ名前同士、仲良くしようじゃないか」

『ええ、一生恨むことにしますよ』

 その手には乗るまい。ボクはにこやかに、悪霊になることを宣言した。

 霧島百合さんは、苦虫を噛み潰したような顔をして、ハンドルに顎を乗せた。

「いいじゃないか。私はこれから一生刑務所暮らしなんだ。君が手を下さなくとも罰は受ける。それよか、さっさと天国に行っておくれ」

『そうしたいところですけど、実際ボクはこの世に留まっていますから』

「やっぱり、お経をあげないとダメか…」

 ちっ…と舌打ちが聴こえた。それから、拙い御経。

「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー、はらそーぎゃーてー、ぼーじーぞうすいたくあんみそしる…」

『憶えてないんかい』

 霧島百合さんも本気ではなかったようで、すぐに唱えるのを止めた。とも思えば、次に彼女は、自分の人生を嘆き始める。

「私の人生、本当、最悪だな」

 小石が跳ねる音が車内に響き渡る。

「今までも終わっているとは思っていたけど、まさか人を殺すとは思わなかった…。しかも、轢き逃げだ。自分がいよいよ終わっているって実感して泣きたくなる」

 実際、彼女の目は潤んでいた。

 とは言え、殺されたボクの前で、自分の人生を嘆かれるのは鼻につく。

『ボクはあんたのせいでこれからの人生を送ることが出来ないんだ』

「それは悪かったと思ってるよ。本当に思っている」

 悪路だというのに、霧島百合さんは首を捻ってボクを見た。ボクは直ぐにフロントガラスを顎でしゃくり、前を見るように促す。

 霧島百合さんは、こほん…と咳ばらいをしたうえで、言った。

「別問題だろう? 君に対して罪悪感を抱くのと、自分の人生に対して嫌悪感を抱くのは。道に財布を落として誰かに拾われたなら、もちろん犯人は責められるべきだが、落とした奴の間抜けさだって注意はされるべきだ」

『うーん…』

 よくわからない。そもそも、『あんたのせいで云々』は、本気で彼女を責めるために言ったわけではなかった。あくまで、ボクは「被害者」であり、彼女が「加害者」であるという立ち位置を守りたかったのかもしれない。

「だから、警察に行くまでの間くらい、自分の人生について嘆かせてくれよ」

『ボクに聞こえないように言って欲しいですね』

「まあまあ、笑えてくるよ?」

 霧島百合さんは調子を取り戻したように笑い、ボクにこんなことを言った。

「いい親に恵まれなかったんだ。私の母親は、結婚する前から私を身籠ってね。父親には逃げられた。中絶しようと病院に駆け込んだんだけど、もう遅くて、渋々生むことになった。生まれた後は、一応育ててくれたけど、新しい男ができてからは全く相手にされなかった…。いや、その新しい男に襲われそうになることが多々あったよ」

『…はあ』

 何と返せばいいのかわからなかった。

「おばあちゃんは優しかったんだけどね。すぐに死んじゃった」

 肩を竦めた霧島百合さんは、首を傾け、パキッ! と鳴らした。

「高校進学を機に、家を出た。アルバイトしながら通ったんだけど、毎日ひもじい思いをしたよ。部活はできない。携帯もゲームも、流行りのパフェとかクレープとかにつぎ込む金も無くて、友達ができなかった…。それだけならまだしも、服や靴を買う金も無かったからね…、みすぼらしい恰好をしていたから、そのうち虐められるようになって…」

 運転しながら、霧島百合さんはボクの方を振り返った。

「君もわかるだろ? 女子の虐めがどんなかって…」

『まあ、わかりますねえ…』

 経験したことがあるボクは、ぶるり…と震えた。

『ボクは教科書を隠されました…』

「私なんて、鞄ごと川に落とされたよ」

『あ、じゃあ、ボクは自転車をゴミ回収場に放置されて、そのまま持っていかれましたよ』

「なにをお、私なんて、掲示板に嘘八百書き込まれて、知らない男からレイプされそうになったんだからね」

『いやいや、じゃあ、ボクは不良グループが警察沙汰起こした時に、名前挙げられて、危うく逮捕されそうになったんですから』

「この野郎…、じゃあ、私は、プールの授業で、水着に切り傷を入れられて、男子もいる中で青い尻を晒したんだ」

『ボクなんて、裸に剥かれて廊下に放り出されましたよ。しかも写真を撮られました。多分、掲示板を漁れば今もネットの海を漂っています』

「……………」

 何やら喉にものが詰まったような顔で、百合さんはボクを見た。

「ちょっと待ってろ、もっと酷い虐めを受けた気がする。今思い出すから」

『不幸オーディションでもやっているんですか?』

 呆れたボクは、「もういいですよ、ボクの負けです」と自分の負けを認めた。

 しかし百合さんは、右手でハンドルを支えながら、左手で自身の頭を殴り、彼女が黒歴史として封印していた記憶を呼び起こした。

「あ、思い出した。上履きを捨てられて、靴下で階段を降りていた時に、背中を押されたんだ。踏みとどまれなくて、そのまま転げ落ちて、頭を五針縫った」

 ほら…と言って、彼女は赤茶色の前髪をかき上げる。なるほど確かに、そこには縫い傷が残っていた。

「治療費はなんでか、私もちだったね」

 手を下した百合さんは、にやっと笑ってみせた。

「私の勝ち」

『ええ、もう、あなたの勝ちでいいですよ』

 百合さんは話を続けた。

「大学に行きたかったんだけどね、流石に無理だった。だから、すぐに就職したんだけど、まあ上手くいかないわな…。なんか、勝手に母親の借金の連帯保証人にさせられて、借金取りに追い立てられる毎日。おかげで会社の評判も悪くなって、もう四回もクビになっちゃった…。私は品行方正で働いていたつもりだったんだけどねえ…」

『でも、発注数間違えて、会社を倒産させたって…』

 そう言った瞬間、百合さんは後頭部を殴られたかのような悲鳴を上げると、急ブレーキを踏んだ。バンは、劈くような音を立てながら、カーブに差し掛かったところで停車する。

 幽霊も慣性の法則が適応されるらしく、ボクはガラスから上半身が出た状態で、彼女に聞いた。

『あと、商品券の換金がバレてクビにされたって…』

 ガラス越しに、恨みがましい視線を向けられた。

「くそ、悪霊め。人が胸のうちに隠していたことを読み解くなんて…」

『あんたが独り言呟いていたんだろうが』

 そう言いながら、助手席に座り直す。

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