文章を読む「体力」の話 (自戒を込めて)

二木

読書はハードルが高い

ここに白状するが、私は文章が読めない。

正確に言うなら、文章を読むという行為には、私にとって突破しなければならない高いハードルが幾つかあるために、読めないのだ。


私は天性の遅読家だ。

文庫本サイズの紙面に、ビッチリと埋め尽くされた活字の羅列は、自然と情報が目から滑り落ちてしまう。

だから、その情報を落とさないように気力を保ってなきゃいけない。

そういうのは疲れやすい。一度読書に使える体力が底を尽くと、その本をもう一度開くまでに、場合によっては数週間かかる始末だ。


この世界はただでさえ読み物で溢れているのに、尚、新しい本は生み出されてくる。

つまり、このまま未消化の読み物が増えるということは、そのまま「新しい面白いコンテンツ」に出会う機会損失なのである。

最近は自分の中にあるそうした向きを自覚して、意識的に「情報を落としてもいい」読書を心掛けるようにしている。


「斜め読みなんてけしからん、神聖な物語の世界に耽溺するには一字一句丁寧に味わうべし」といった呪いは不要だということだ。

結果として人は、一字一句の表現なんて正確には覚えきれないものだし、そういったディテールは覚えようとして覚えるものでもないだろうという割り切りこそ肝要なのである。

むしろ、スラスラと読めるうちは無理に立ち止まらず、歩くように読んでいくと不思議と疲れないものだ。

まぁ、こういうのも性分であるから、完全に矯正など出来ない。自分を許す心も必要なのだ。

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