8話 命の使い方

 ジュドを説得することは叶わなかった。


 雨足が少し弱まったあたりで、ジュドは母さんのいる家に一人、向かってしまった。オレは何も言えず、後を追うことしかできなかった。


 中でデスとウェナ、そして母さんは談笑していた。今日は体調が良いらしい。血色よく、肌に赤みが差している。

 けれど、その額を侵食するように、昨日までなかった赤黒い紋様が浮いていた。オレは息を呑んだ。隣でジュドも言葉を失っていた。


「おー、来た来た」


 デスがひらひら手を振る。


「腹は決まったか」


 ジュドが前に出る。


「俺の寿命を使ってくれ」

「なりません」


 即座に返したのは、母さんだった。体は痩せ細っているのに、その声だけは思わず背筋が伸びるほど力強かった。


「私のためにシウが、ジュドが寿命を十年使う? 馬鹿なことを言わないで。そんなことのためにあなたたちの未来を使うくらいなら、死んだ方がマシだわ」

「ジオラさん。あなたが死んでしまったらシウは一人ぼっちになる。シウにそんな想いをさせたいんですか」


 母さんは押し黙った。ジュドはここぞとばかりに続ける。


「俺は両親がいないし、まだ若い。俺が一番ダメージが少ないんです。ジオラさん、あなたは生きるべきだ。みんなに愛され慕われている、あなたは」


 沈黙が流れる。オレたちの間に重い空気が立ちこめる。デスは膝にひじを突いて、ジュドと母さんを交互に見て、言った。


「許可すんなら、やるよ」

「やりません」母さんは首を振った。

「ジオラさん」

「なら、オレとジュドで五年ずつ」


 張り詰めていた空気が弾けたように、冷たい風が流れこんできた。みんながオレを見る。もう一度、同じことを言う。


「オレの五年と、ジュドの五年。それならどう?」

「可能ではある」デスは答えた。

「だとしても!」母さんは身を乗り出す。「ジュドとシウの命を五年……五年も使うなんて…………せっかく……」


 母さんは苦しげに咳をして、息をついた。ウェナがその背中をさする。


 再び重い沈黙が訪れる。これがベストだ。オレとジュドの五年。これが一番平等なんだ。あとは……あとは母さんを説得さえできれば……!


「それよぉ、俺の寿命も使えねぇかい」


 声はドアの方からあった。振り返る。ジンジスさんが丸い顔をひょいと覗かせていた。


「話を外で聞いてたんだけどよぉ、魔法っていうのか、それはよくわかんねぇけど、十年ありゃジオラの病気が治んのか。だったらさぁ、俺のも使ってくれよ。ジオラにゃ世話んなってんだ」

「ジンジスさん……」

「おい、話は聞いたぜ。俺のも使えよ」


 別の人が顔を出した。……え?


「なぁ、オメーらもいいよな!」

「オーウッ!」


 家の外から地鳴りのように声が響いた。思わずドアを全開にすると、向こうに畑で出会ったみんながいた。


「ちょっとアンタたち! 男衆が抜け駆けしようとしてるわよ!」


 と思ったら、おばちゃん隊もどやどや集まってきた。


「ジオラさん、アンタがいないと華がなくて男たちがやる気出さないのよ! 早く元気になってケツ引っ叩いてちょうだい!」


 村のほとんどみんなが集まっていた。ジンジスさんが呼んだ? デスが噂になった? わからない。わからないけど……

 みんな、母さんのために集まってる。


「おおー……数百人はいるな。これなら全員で分割して……なんだ、一人半月もありゃ足りるな」


 デスは両手を腰に当て、母さんを向いた。


「で、どうする? アンタが良いって言うならやるけど」

 母さんは、


「……」


 顔を俯ける。


「母さん!」

「ジオラさん!」


 みんなが口々に母さんを呼ぶ。合唱の中、「シウ君」とウェナに呼ばれる。


「何──」


 突然ぐいっと腕を引っ張られ、母さんの方にドンと突き飛ばされる。

 こけそうになったオレの体を母さんの腕が支えた。手が重なる。視線が交わる。今、と、思った。


「母さん!」


 ハッと母さんの目が見開かれる。じわりと、その瞳が潤んだ。


「……お願い……します」

「心得た」


 デスは人差し指と中指を合わせ、唇に当てた。指の間からふうと息を吹き出す。


「十年魔法」


 青色の煙が吹き出す。それが母さんにかかると、バチンッと何かが弾けるような音がした。

 母さんの額に張りついていた紋様が剥がれて、吹き飛んだ。赤黒いそれは塵となって、空気に消えていく。それが契機となったかのように、身体中の紋様がバリバリと剥がれて消えていく。


 たった数秒のことだった。


 たった数秒で、母さんを半年も苦しめていた魔法は跡形もなく消えた。


 オレが何か言う前に、母さんは強く、強くオレを抱き締めた。押し殺した声で泣いていた。オレもなぜだか……すごくうれしいのになぜか……泣いて、しまった。


「ありがとう……ありがとうございます……」


 母さんは途切れ途切れに礼を述べる。


「別に」デスは頭を掻く。「私は魔法をかけただけ。そこに至る覚悟も人望も、アンタら親子が築き上げたもんだよ」

「素直じゃないですね」


 茶化すように言ったウェナの頭を、「うるせーやい」とデスはくしゃくしゃ撫で回した。


「それにな」ふいに声を低めた。「まだ話は終わっちゃいない」


 オレたちは顔を上げる。


「なんだお前たち、みんなして集まって。ジオラに何かあったのか」


 人混みをかき分け、ビルムさんが入ってきた。ビルムさんは病の魔法が消え去った母さんの顔を見て、目を見開く。


「ああ、ちょうどいいや。なぁ、村長──」


 デスはぞんざいな口調で、事も無げに言った。


「お前だろ。シウに病の魔法かけたの」

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