7話 二人のヒミツ

 翌朝は雨だった。


 どんよりした黒い雲がずっと先まで続いていて、息を吸うたび湿った風が喉を降りていった。こういう日はみんなほとんど外に出ない。


 ドアを開けて外を伺うと、ジュドの家の軒下で空を見上げるウェナを見つけた。


「ウェナ」


 駆け足で軒下から軒下へ走る。ウェナは雨雲も吹き飛ばせそうな明るい顔で手を振った。


「昨日はごめん」オレは一番に頭を下げた。

「だいじょーぶ。ジュドさんが泊めてくれたから。あと魔女様も叱っておいたよ。『言い方を考えなさい!』って」


 肩を竦めてしょぼくれるデスを想像してオレは思わず吹き出す。ああ、もう。ウェナには助けられてばかりだ。


「おお、シウ少年。私らをほったらかして今頃なんの用だ」


 窓が開いてデスが顔を出した。ウェナに睨まれ、「やべっ」とすぐさま引っ込む。


「あの、昨日の話、聞かせてほしいんです。寿命と魔法にどんな関係があるんですか」


 デスはひょこっと頭だけ出した。くいくいと中を指さす。


「入りな」


 中にはジュドもいた。ベッドに腰かけ、「おう、シウ」と笑いかけてくる。農具の手入れをしているようだった。


 デスはテーブルに肘をつき、どこか不機嫌そうに目を細めている。ウェナが優秀な見張りになっていてオレを弄れないのが不満なのだろう。……性格悪っ。


 オレとウェナは正面の椅子に並んで座った。テーブルの上にはジュドが作ったのか、朝食らしい卵のスープが湯気を立てている。デスはそれを一口すすって、「まず」とゆっくり言った。


「昨日言ったことはそのままだ。お前の母親は助けられない。寿命が足りないからだ」

「魔女様……っ!」

「大丈夫、ウェナ。ありがとう」


 オレは体を乗り出す。


「寿命が足りないっていうのは」

「……私の魔法は命の魔法。寿命を糧に使う。お前の母親にかかった魔法を解くには十年の寿命が必要。だが、もうそれだけの命が残っていない。シックの魔法に蝕まれすぎた」

「それは、必ず母さんの寿命じゃなくちゃダメですか」

「何が言いたい」


 オレは自分の胸に手を当てた。心臓が激しく鳴っている。けど、言うんだ。言うんだ、オレ。


「オレの寿命で、母さんの魔法を解いてください」

「やなこ~った」


 腕をバタバタさせてデスはのけ反った。


「お願いします! 絶対に母さんを助けたいんです! オレはどうなってもいいから!」

「なら、まず母親に言いな。許可を得られたらそうしてやる」


 オレは急いで席を立つ。


「まぁ、待てよ」


 呼び止めたのはジュドだった。農具を磨く手を止めて、ベッドから立ち上がる。


 「落ち着け。焦るのはよくわかる。だからこそ落ち着くんだ。……少し話そう」


 察したようにデスが椅子を空ける。ジュドは入れ替わりでそこに腰を下ろす。


「ほいじゃ~、私らは先に母親に事情でも説明してくるかな。ウェナ~」


 はーい、とウェナも立ち上がり、二人は出ていく。


「ああ、一個聞き忘れてた」


 外に出る直前、デスは足を止めてオレを振り返る。


「シウ少年、お前、ここ一年で体調崩したことあるか」

「え? あ、えっと……年の始めに結構重いのに」

「しばらく外出られてなかったよな」ジュドが付け足す。「せっかくシウが治ったと思ったら、今度はジオラさんが……」


 ふーん、なるほどな、と何かに納得して、デスはさっさかその場を後にした。残されたオレはどこか気まずい心持ちでジュドと対面する。


「スープ飲むか」


 オレはうなずいた。ジュドの卵スープは昔から好きだ。さらっとしていて、すごく胃に優しい。調味料なのか、どことなく甘い匂いもする。


 目の前にお椀が置かれる。黄身と白身が溶けた、透明なスープ。一口飲むと、それだけで体がポカポカしてくる。


 雨の音は窓の向こうで続いていた。


「デスさんとウェナちゃん……不思議な人たちだな。西の森から連れてきたんだって?」


 また叱られると思って首を竦めながらうなずく。ジュドは意外にも明るく笑った。


「すごいな、お前。あそこ、昔っから謎だったけど近寄ると気持ち悪くなるし、毒が漂ってるんだと思ってたよ」

「正解だよ。毒だし、下手すりゃ死ぬって」

「え、よく生きてたな」


 半分死んでた、とは言えない。ああ、そうか。生きて帰る人がいると、どんどんこうやって危険性が軽視されて事故率が上がるのか。注意喚起は注意しなければならないからするのだ。当たり前だけど。


「しかし、ウェナちゃん……あの子いい子だな。夕飯も朝飯も作るの手伝ってくれたし、気配りも完璧だった」

「……デスさんは?」おそるおそる聞いてみた。

「あの人はー……あー……愉快な人だよな」


 相変わらずだったらしい。初対面の人に目を逸らされながら人柄を話されるって相当だと思う。それとなく伝えてあげようかな……「人としてマズイよ」って。

 スープをまた一口。


「お前、ウェナちゃんに気があるだろ」


 むせた。テーブルにド派手に卵が飛び散る。透明なスープで良かった。まだ綺麗だ。そんなわけあるか。


「見てりゃわかるぜ~。惚れる気持ちもわかる」


 けどなぁ、となぜか大仰に息を吐く。


「残念だが……その気持ちは叶わないかもしれない」

「なっ、なんで!」


 思わず聞き返してしまった。いや、これは恋心を認めたわけでは決してない。興味だ。知的好奇心なのだ。オレの、純朴な。

 ジュドは声を潜めた。


「あの二人な、夜にキスしてたんだ」

「えっ」

「俺は寝てるフリしてたんだけどさ、しっ~かり唇と唇で、バッチリしてたぜ。恋仲……俺にはそうとしか思えなかった」

「そ、そんな……」


 目の前が暗くなる。ウェナ、どうして……よりにもよってあんなロクデ……いやあの、個性的な人を……。そういう人がタイプなの……?


 年上で、背が高くて、個性的な人が好みなの!?


 しばらく茫然自失のまま天井を見上げていた。残っていたスープを流しこむ。優しい味だ。ジュドのスープは失恋にも効くらしい。

 空になったお椀を置く。


「美味かったか?」

「心に沁みた……」


 そうかそうか、とジュドは満足そうに笑った。オレは心身ともに(主に心理的ダメージで)疲れはて、テーブルに突っ伏す。


「俺の十年を渡す」


 顔を上げた。正面で、ジュドは真面目な顔してオレを見つめている。


「何言ってんだよ!」


 対面で太い腕をテーブルに乗せるジュドに食ってかかった。


「デスさんの言うとおりだ。ジオラさんがお前の命を使わせるわけがない。だから、代わりに俺の寿命を使ってもらう」

「そんなこと……そんなこと、オレが許さない!」

「なら、ジオラさんは死ぬ」


 オレは思わず言葉を止めてしまった。デスは言っていた。もう十年も寿命が残っていないと。それなら、あと何年、何日生きられるのだろう。明日も母さんは目を覚ますのだろうか。


「お前も知ってるように、俺には両親がいない。村の前に捨てられていた俺を育ててくれたのはこの村で、なにより俺を生かしてくれたのはジオラさんなんだ。あの人のためなら、十年ぐらいいくらでもやれる。誰も悲しまない俺がやるべきなんだ」

「……悲しむよ。オレと母さんが、みんなが」

「ジオラさんが死ぬ悲しさより、ずっとマシだ」


 オレは……オレは、次に紡ぐべき言葉を見失って、ついに黙ってしまった。黙るしかできない自分が腹立たしい。

 ノックがあった。


「おぅい、ジュド。ちと農具の治し方教えてくんねーかー……あれ、シウもいるじゃねぇか」


 お節介焼きのジンジスさんが顔を出す。ジュドはすぐに立ち上がった。


「わかりました。後でもいいですか」

「おう、急ぎじゃあねーからよ。ところでシウ、お前ん家になんか綺麗な姉さんが出入りしてっけどよ、あれ医者か」

「えっと……医者……みたいなものかな」


 魔女だと言ってまた面倒な説明をするのはゴメンだ。ジンジスさんは「そうかぁ」と腕を組んだ。


「おっかさん、治るといいなぁ。村の奴らは飯作ってもらったり服繕ってもらったり、みんなジオラの世話んなってっから。手伝えることあったらなんでも言えよ」


 肩を叩かれて、オレは曖昧な笑みを返すことしかできなかった。

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