4話 森を抜けよう
オレが来た道に置いてきた目印なんてなんの意味もなかった。
ウェナはオレの前を軽やかに走っている。その足取りに迷いはない。木の根とかあって結構歩きづらいのに、するすると平気で進んでいく。やっぱり普段この森で暮らしてるから、こういう足場には慣れているんだろうな。
「あでっ」
デスが躓いた。
「だっ」
飛び出た枝に顔をぶつけた。
「ぐぁああっ!」
落ち葉の波に飲みこまれた。
「全然ダメじゃないかよ!」
「しかたねーだろ、こちとら外に出たの久々なんだから。クソっ、木漏れ日の間から燦々と降る陽光が眩しい!」
心配だ。こんな出不精が本当に魔女なのだろうか。実はオレは盛大な悪ふざけに巻きこまれているのではないだろうか。そんなことを道中考えた。三回くらい。
「しかたないです。魔女様は運動音痴なので」
ウェナは躓くこともなくスルスル木々の間を抜ける。こっちは本当に歩き慣れているようだ。
「おいおいハッキリ言うじゃないかウェナ。そういうしれっと毒があるところも素敵だぞ。しかしな、能ある鷹は爪を隠すと言うだろう。私はまだ本気を出してないだけさ」
「本気出さないと置いてっちゃいますよ」
意外とスパルタだ。たくましい。
というか、これくらいの図太さがないと魔女と暮らせなどしないのだろう。
「……三ヶ月魔法っ」
スタン、といつの間にかデスがオレたちの目の前に着地していた。
「フフフ、ちょいと遅いんじゃあないか、君たちぃ」
「魔女様いま魔法使った!」ウェナが指差す。
「どこにそんな証拠があるんだね? ん? いくら負けたのが悔しいからって言いがかりはよしたまえよ、ハハハハ」
「人としてどうかと思う」
「魔女様ひとでなし!」
「人じゃないです魔女でーす! ぐえっ」
本当に魔女なんだろうな、この人。
不安がモリモリ増していく。こっちを煽るのに夢中で後頭部を枝で強打するような人を頼っていいんだろうか。ああ、あっという間にうずくまった背が後ろに……
スタッとウェナは木の根を蹴ってオレの隣に並んだ。
「魔女様はすごい人ですけど、基本的にろくでなしなので雑に扱っていいですよ」
「威厳ないなー」
「威厳なんてないですよ。でもウェナはそこが好きなんです」
走りながらウェナはやっぱり目をキラキラさせていた。宝石でも眺めるように。先の世界を見上げて。
「魔女様も普通の人間と変わらないんだなって、思えますから」
共に目の前の茂みを飛び越える。視界が開けた。
「わぁ」
現れた緑の平原にウェナは気持ち良さそうに伸びをした。すうと息を吸った胸が膨らむ。本当に清々しそうだった。
「すーっとする!」
そう言って笑う。花が咲くみたいに鮮やかだと思った。
「あ、ごめんなさい……シウ君はそんな場合じゃないですよね」
と言って、口元を隠す。いや、とオレは前を向いた。
「その気持ち、わかる。久々に外でると気持ちいいよな」
「うおーっ広々として落ち着かない! 太陽ッ、テメェ調子乗ってピカピカしてんじゃねーッ! 光ってられんのも今のうちだぞコノヤロウ!」
ああもう台無しだよ。なんなんだよ、この人。外に出ただけでそれだけ悪態つけるのもはや才能だろ。
追いついてきたデスに白い眼を向ける。
「魔女様は日陰者なので……」
弟子に言われていいセリフじゃないぞ、命の魔女。でも、とウェナは続ける。
「きっと助けてくれます」
その言葉は強い確信に満ちていて、
それだけでオレはなんだか、少し安心してしまった。
誰も森に近づかないから、森までの道はみずみずしい青草でふっさり覆われている。オレたちはそれを踏んで、草原を一直線に貫くような裸の道に出た。村に唯一伸びる一本道だ。
森でまとわりついた魔力の空気を洗い流すような風に吹かれて、オレは村に歩を進めた。
歩いて、
歩いて、
歩いて、
「……あれ」
歩けど歩けど、たどり着かない。まさか。村までは十分もかからないはず。それなのに、視界には地平線まで伸びる一本道しか見えない。
「魔法がかけられてるな」
いつの間にか横に立っていたデスが言った。オレはスラッとした背の高い体を見上げる。
「魔力を感知して発動するタイプだ。呪術師や祈祷師への対策だろうな。解くことはできなくても、ああいう奴らなら魔法であることはわかるから」
パン、とデスが手を叩いた。ハッと顔を上げると、道の先にオレの住む村が見えた。
「生憎だけど、こちとら魔女だ」
悪い顔で笑って、悠々とオレの横を抜けていく。オレは慌てて後を追った。
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