05.吟遊詩人の独り言
*
光漂う漆黒の空間に取り残された男は、先程まで人がいた空間に向かいひとしきりに何かを叫んだ後に肩で息をする。
荒い息づかいだけが空間に響き渡りやがてそれは静かにおさまっていく。
そして今度は少しずつ妙に楽しげな声に変わっていき、やがて男は宙を浮遊し大声をあげ笑いながら腹を抱えて転げまわっていた。
「はぁ、やられたな。クク…ああ愉快だ。」
男の口調は本来の尊大なものに変わる、先程の口調は来客用で仕事用だ。
愉快なことこの上ない、こんなに楽しいのは久しぶりの事だった。
やはり自分の目には狂いはなかったと満足気に口元に笑みを浮かべる。
普段であるのなら最後の一人を見送った後は疲労と虚無感しか感じない。
大量に押し寄せる『代用品』の『
ここには他の異世界や空間と違い人間でいう『日数』と呼ばれる正確な感覚のものはない。だが『区切り』はあるのでそれを男は日数と数え呼んでいる。
今回の男の一日は人の暦で言えば20年程、彼にとってはたった一日だ。
それだけ神というのは人とは感覚が異なる『異質』な存在だ。人がこの『異質』を理解することは永遠に来ないだろう。
むろんこれで男の仕事が終わったわけではない。全ての世界の監視をする、それがこの空間を『境』の『至高の君』より預かり受けた男の役割だった。
正確に言えば全てではないが、大まかに言えば『全て』になる。一部どうしても監視や管理が出来ない異世界が存在するからだ。
それは『神檻』のように特殊な場所や、世界を管理する神が死に絶えている場合になる。自身の力が及ばない場所などもそう、ランクに関係なくそういう世界もあるのだ。だから大まかに言えばそれらの場所を省いた『全て』の世界が自分の管轄になるのだ。
常に世界を監視し調整や修正箇所を確認していく。その合間に人が作った『芸術』を読み学び遊び密かに楽しむ。ここ暫くの間そういう日々が続いていたのですっかり忘れていたのだ。本物の『放浪者』と言うものを。
なにせ本物の『放浪者』がここに現れたのは人の暦で言えば1000年以上ぶりだったのだから。
便利な『代用品』を用いる事態が増える毎に何故だかは分からないが、かわりに『放浪者』が現れづらくなってしまった事に気が付いたのは大分経ってからの事だ。
それを上には既に報告してあるが、いかんせん『修正』の殆どが『代用品』で間に合ってしまっていた為に、あまり問題視されてはいなかった。
だが今回の『アルトイオ』の件で痛感する。やはり『代用品』は補えない事態が発生すると言う事を。
今更『代用品』の使用をやめることはしないだろうが、いつまた『アルトイオ』のような事態が起きるとも限らない。
「やはり『
神々の間でも『幻』とされる伝説の『時空渡り』
過去にも目撃例は数名、その殆どが人の形をし、『神々の理』にすらも縛られずに自由に異世界間を行き来できるという。
『異世界渡り』の能力を持つ神や人は稀にいる。
人の場合は最近だと『神』から特別な祝福を受け、神と同様それ以上の力を与えられた人間の話が一つ。それともう一つ『異世界渡り』を持つ神から直接能力を奪い取り、次々と『異世界潰し』を行った人間の話なら耳にした。
一時期凄い勢いで星が消滅していくものだから、初めはどうしたものかと思ったが、いつの間にかパタリとなくなり、その人間は消息を絶ち今は落ちついている。
噂では『神檻』に無理やり入り込み、中で管理する神に殺されたと聞いたがそれが本当かどうかも怪しい話だ。
基本として『異世界渡り』は神のみが持つ能力であり、与える事、奪う事でしか人が持つことはない。
しかもこの能力は神ですら使うことに『ペナルティ』が発生する。
力が半減したり、姿が保てなくなってしまったり、『神力』をかなり消費する等様々だ。
しかし『時空渡り』にかんしてはこれに非ず、『異世界渡り』の『ペナルティ』は一切なくどの世界の中でも違和感がなく溶け込めてしまうらしい。
お陰で目撃例があるものの、その性質からか認識がし辛くなっている為、どの神も彼らに深く接触した例がない。
人間でありながら生まれながらに神の『上位変換』の能力を持っているという、何とも不思議な話だ。過去の自分ならば信じることは決してなかった。
だが最近は男も気がついている。人の可能性は計り知れず、時には神の予想をも超えていくものだと言う事を。
密かに世界を監視しつつ探してはいるが、無論全く見つからない。
「こちらに引き込む事が出来れば全てが解決するのだが。」
これほど大変な思いをしなくてもと、宙に漂いながら男の口元は常に笑みが浮かぶ。楽しくて楽しくて仕方がない。
男の脳裏には先程の『彼』の姿とやり取りが浮かぶ。ああ今日はなんと良い日だろう。
今日の『区切り』の近づいた頃に突然追加で転送されてきた人間、今日も今日とて大量に『代用品』にすらならない『
少しおかしいと思いつつも、『彼』を見れば一目で気に入ってしまったのだ。
神は美しいものを好む、男もその例にもれなく美しいものが好きだ。
とても美しい造形の人間だった。
少し長めの短髪に左のサイドだけ長く伸ばし緩く編んでいる。
蜂蜜を溶かしたかのようにとろりと輝く金色の髪は、本来ならばもっと輝いているのだろう。残念なことに生きてきた場所のせいか毛先は痛み色は少しだけくすんで見えていた。
形の良い眉に少しだけ薄めの唇、整った顔のパーツにバランスの良くスッと通る鼻筋。閉ざされたままの切れ長の双眸は、どのような色の瞳をしているのか好奇心がかき立てられる。開いている所がとても見てみたかった。
白い肌に纏う色は色あせた黒。やややぼったい軍服と傷だらけの安っぽい黒皮鉄の胸当て、胸元には大きな穴が開いていて纏う黒い色に不釣り合いな程映える白い肌がみえている。これが直接の死因だろう、服も体もボロボロであちこちが傷だらけ。それなのになぜこんなにも気高く高貴に見えるのだろうか。
漆黒と光が支配する空間の中にいてもその姿は遜色なく輝いていた。
美しい神族に見慣れていた自分ですら見惚れてしまう程の美しさ、おおよそ人が持っていてはならないものだ。
存在そのものが『魔性』、神族や魔族にはよく見るがこんな人間がいるのかと息をのむ。
これは本物の『放浪者』かもしれない。
今までの見目麗しい者や生まれが高貴な者、知恵のある者や力を持つ者などは沢山見てきた。
それらは全てが優秀な者達であり『本物』にも『代替品』にも関係なく数多く存在してはいたが、それでも人の域を出るなんていう事はなかった。
ここまで心惹かれる存在に出会うのは久しぶりだった。それこそ1000年よりもはるかに前の話だ。
見た目だけではない、不思議な色の魂をしていて圧倒的に存在感が違うのだ。
まだまだ手付かずの『
普段ならばここに来た者たちは一まとめにして同じ空間に押し込めておき、一人ずつを取り出してこちらに呼び処理をするのだが、彼だけは同じ空間の端に静かに横たえておいた。自分が声をかけるまでは目を覚ますことはまずない。そういうシステムにこの場所はなっているのだから。しかし万が一でも目を覚まし、逃走されて勝手に別次元に行かれてはたまらない、過去にそういった出来事起きた例もなくはないからだ。ここには異世界以外にもつながっている場所が多数あるのだ。だから男は自分の目に届く範囲に彼をおいておきたかった。
浮かれる気持ちを抑えながら男はまた『
今日の『
途中からいっそのこと彼を残した残りの全ての『
やっとの思いで彼以外の全ての『
あらかた愚痴を吐き出せば、ふと先程残しておいた金色が視界に入った。駆け寄りたい気持ちを抑えてゆっくりと近づく、決して彼を起こしてしまわないように。
覗き込みよくよく眺める、何度見ても飽きない美しい造形と不思議な色の魂。いっそのことこのまま暫く起こさずに手元に置いておいて飾っておこうかと思う程だ。
だがそれ以上に彼がどういった人物かと言う事に強く興味を持ってしまい、胸に沸き起こる強い探求心には勝てず彼を起こすことにしたのだが…......
「しかし『神』を担ぐとは良い度胸だったな。」
そもそも全てがおかしな話だった。
この空間では
それなのに彼はとても自由奔放だった、普通に男との会話を楽しんでいたのだから。
あの素晴らしい造形や魂をむざむざと世界に飲み込み消してしまうのは余りにも惜しくて、たとえ『
それに男は彼がゲーマーであると思ってしまった、
どう考えてもそんな物がある世界から来た者ではないだろう。彼は神がいない世界からきている可能性が高いのだから。
少し考えればわかることなのに、今日の一番初めに来た
内容のリアルさからみても彼はあの『
これでも自分は『神』の中でもかなり慎重で疑り深いはずだ、だからこそこの役割を命じられているのだから。なのに疑わなかったのは『疑う』という選択肢すら頭の隅にもなかったからだ。
彼は異能者なのか、それともそういう性質を持つ人間だったのか。
あれは強い『魅了』だ。この空間に居てすら抗えない程の強い魅了を持つ人間に出会うなどだれが思うだろう。
思えば彼には終始魅了されていた。本来話してはいけないシステムの事や転生の事情、果ては最も口にしてはならない『
無論そんなことをすれば処罰されかねないのだが、そんなもの知ったことではない。結局は断れてしまったがそれで良かったと今は思っている。すでに『完成された芸術品』に付属品をつけるなど野暮なことだ。万に一つでもあの魂の輝きが失われるのは困る。
「何もいらない」と言われた時のあの眼はとても良かった。
宝石のように煌めく淡い色の青い瞳が刺すように鋭くこちらをじっと見ていたのだ。
あれは余計なことは決してするなという『命令』だった、神である自分に向かってだ。よもや『至高の君』以外に自分に命令をしてくる者が現れるなんて思いもしなかった。
思い出しただけでもゾクゾクとする。この空間内にいるのにも関わらずに自分の意志を押し通したのだ。彼は完全に異常でいかれている、なんという強い精神力の持ち主なのだろう。
そんな人間が、『本物の放浪者』が、あの『アルトイオ』に降り立つのだ。
問題が起きないわけがない。
アレが人の世にうまく溶け込めるわけがない、あれ程のカリスマ、あれ程の異常性。あれ程の狂気。
どうしたって周りは巻き込まれるはずだ、更に言えば彼自身も普通の生き方をしようとは思っていないだろう。
全てを分かった上で『
「さて、これから急いでもう一仕事をするか。」
『アルトイオ』への入り口はもうふさいだ。彼に渡した光は『アルトイオ』への入り口の『鍵』そのものだったのだから。
鍵は彼の体内に溶け込み、次の肉体の一部となるだろう。
何か悪さをするわけでもない、ただの目印のようなものだ。『アルトイオ』の入口の権限を彼に預けただけだ。
マーキングぐらいならしても許されるだろう、それぐらいの楽しみはさせてくれても罰は当たらないはずだ。
これでもう自分ですらこの世界『アルトイオ』を管理する権限がなくなった。しかし彼のこれからの「
もう何人たりとも彼の邪魔はしないしさせない。こちらからも余計な干渉は一切行わない。それを彼は望んでいるのだから。
思う存分に好きにすればいい、自分はその手助けをしている。神は気に入ったものにはとても寛大な存在だ。
鍵は彼が亡くなれば自然とこちらに帰ってくる。
それか返しに来てくれれば…ありえない話だが彼の場合はどうだろう、それもあるのかもしれない。
「ああ、愉快愉快。」
次は配信したシナリオの消去だ。消去をすることで異世界での『アルトイオ』への関心やブームを去らせることが出来る。
これから現れる者達には別の異世界を救ってもらわないとならない。まだまだ沢山あるのだ、修正箇所は無限にも等しい。
男がくるりと指先を回せば宙に漂う一部の光が集まり大きな正方形の画面になる。光る文字盤、『モニター画面』と呼ばれるものが現れ、そこにある『アルトイオ』の文字を男は指でなぞり消去した。
「休暇をとるのは1000年ぶりだな。」
一日だけならば仕事に支障はきたさないはずだ、恐らくは。
いい加減に自分は働き過ぎだ。だからこれは良いんだと誰に言い聞かせているのかブツブツと呟いている。
こんなに面白い事が起こる可能性の高い「シナリオ」を後から読むなんてことを男にはできなかった。
現在進行系『リアルタイム』でこのシナリオは眺めていきたい、その為にも最高のつまみと酒を用意しなければと、男はまた指を動かして光を集める。光は集まり形を変え、光り輝くテーブルと椅子が漆黒の空間に現れた。そこに優雅に腰をかけ、更にまた指先を今度は何もない空間を切り裂くように動かせばスッと光の線が現れる。淡い光が溢れだした切れ目に手を入れて男のお気に入りのグラスにワイン数本、それにチーズや肉のようなものが乗った皿を取り出してテーブルに並べた。
ワインの栓を抜きグラスに静かに注ぎ、くるりと鼻先でグラスを回して香りを楽しんでから男はグラスに口をつけた。ああ染みる、激務の後に飲む酒は格別だ、いい酒ならばなおさらだ。
「彼は『アルトイオ』のシナリオを「全く知らないまま」向かってしまったのだったな。」
彼は『聖悪女』どころか『異世界転生』すらもよくわかっていないようだった。あの様子ならシナリオなど知るわけもないだろう。
全てにしれっとしてものだから解っているとばかり思っていた。本当にいい度胸をしている。
あそこまで『バグ』が起こり『カオス化』している場所で今更シナリオも何もない。毎回巻き戻すたびに中の『塵』達が好き放題するものだから、全く違うものになってしまっていた。もはや余計な知識など不要だろう。
ただ面白いことに『本物』の『放浪者』を向かわせた場合、本人が望もうと望んでいなかろうと必ず『修正点』には行きつくようにはなっているのだ。
その為彼は彼女と必ず出会うことになるだろう。彼女を救うかどうかはまた別としてだ。
『愛し子』が死んでしまう大きな原因、回避しなければならない事。
それは 『愛し子』に『人間』を決して殺させてはならない これだけだ。
頼んではいないが彼には修正できるだろうか、それとも無視をするのだろうか。彼がどちらを選んでも構わない。
むしろこれ以外の答えでもいい。例えば彼自身が『愛し子』を殺すとかでもいい。彼の好きにすればいい、それだけの権限を彼には与えたのだから。
元々が『完全にリセット』をかける予定だったのだ、今更あわてる必要はない。これからどう転ぶのかをこちらは楽しく傍観させていただくとしよう。
モニターを『アルトイオ』、彼の生まれる場所に切り替える。
まだ誕生はしていない、彼の「
上機嫌でチーズを口に含みワインを一口流し込めば、チーズはねっとりと口の中でとけふわりと豊潤な香りが口内を満たした。この香りがたまらない。
ああそう言えばと男は別れ際の事を思い出す。
別れ際の衝撃で普段ならば『放浪者』の全てに行う、一種の『祝福』のような挨拶をするのを忘れていた。
彼は自分から『祝福』すらも受け取らなかった、それがとても彼らしいと思わずにはいられない。
男はモニターを見ながらワインの入ったグラスを高らかに掲げた。
口には笑みを浮かべ、だが目は決してモニターからは離さない。
心底楽しげな表情を浮かべたまま男は誰に聞かせるわけもなくつぶやいた。
「 『 放 浪 者 』 様 に 幸 あ れ。 」
序章~終~
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます