21 パンはいりませんか?

「モナル坊ちゃんなら診療所の方じゃないかのぅ。最近はこもりきりだったそうじゃ」


「診療所ですか」


「場所は――」


 仕事終わり、パティエンテがモナルの部屋を訪ねると部屋の中には気配が全くなかった。

 あれから何度か食事に誘ったが、断られてばかりで今日こそはと意気込んでいたというのに。


 出かけているのだろうが彼の居そうな場所など皆目見当がつかない。ならば、とウォレロに居場所を聞いてみたのだ。

 するとおおよそであるが心当たりのある居場所を教えてくれた。


「ありがとうございます。4番通りから赤い看板の建物ですね」

「気を付けての」


 パティエンテの腕っぷしの強さは既にウォレロの元にも届いていた。

 何より、元冒険者のオリヴィエからというお墨付きをもらっていたのだ。

 だから夜の出歩きに大した心配はされておらず、自由に歩き回っていたのだ。


 向かう先はこの街一番の診療所、クレイグ医院だ。

 モナルはそこを拠点にクエズイモの調査を行っているらしい。


「邪魔をしないよう、差し入れだけしてしまいましょう」


 診療所ということは、他にもヒトがいるのだろう。何人いるかわからないから多めに差し入れを用意した方がいいだろう。

 きっと他の人も食べていればモナルもつられて食べてくれるはずだ。


 パティエンテはちょうど目に付いたパン屋に入った。モナルが何を好んでいるのかわからない。

 けれどもこの前、一緒に夜食を食べた記憶からパンであれば受け取ってくれるだろうと考えたのだ。


 はじめて入ったパン屋は閉店間際で、客の数はまばらだった。

 他の客の見様見真似でトレイとトングを持ち、パティエンテは目に付いた麦パンをのせようとして――


「あ……」


 困った。

 トング越しでは力加減がわからない。パンとは柔らかいもの。潰してしまいそうで怖かった。


「どうしたんだい?」

「パン屋のヒト。すみません、私はパンを掴むのが苦手なのです。気を付けてのせますので少しをお待ちを」


 見かねた店主が声をかけてきた。

 ここにいては他の客の邪魔だと急いでパンをとる。


「あっ」


 ぐしゃり。

 やはり急には上手くいかないもので、見事に潰れた。


「すみません!」

「気にしないで。それで、どれが欲しいんだい?」


 店主がさっとトングをもって隣に立つ。

 代わりに取ってくれるらしい。

 

「いえ、これはわたくしが食べるのでこのままで。他はヒトにあげたいので端から端まで、1種類ずつお願いします」

「太っ腹だね! どうせそろそろ閉店だし安くしとくよ」

「ありがとうございます」


 時間をかけすぎるとかえって失礼だと店主にパンを頼む。今日は給金を貰ったのだ。

 せっかくなのでモナルの為に使いたかった。


 紙袋一杯のパンを抱え、パティエンテは店を出る。


◆◆◆


 クレイグ医院は冒険者を相手にしている診療所だ。

 大きな病院に担ぎ込む前の応急処置に使われることも多い。


 “ご自由にお入りください”

 そう書かれている看板に従いパティエンテは診療所の扉をくぐる。


「ごめんくださ――」


 中の人間にモナルの所在を訪ねようとして、パティエンテの言葉は途切れた。


「クソ役人がッ!」


 怒鳴り声が響く。

 大柄な鎧を着た男。きっと冒険者だ。

 魔物の血の匂いがこびりついている。が腕を振り上げているのが見えた。


「ねぇそこのヒト。モナルに何をしているのですか?」


「あ゛あ゛あああ!」


 すかさず間に入り、ぎゅっと腕を掴み上げる。

 パティエンテの後ろにはモナルがいる。

 殴られそうになっていたのを見て身体が咄嗟に動いていた。


「早く教えてください。私にもわかるように」


 冒険者の腕がミシミシと音を立てている。

 更に大きな悲鳴があがった。


 悲鳴がうるさい。

 パティエンテは腕を掴みながら、聴力を意図的に落としていく。

 彼女は音量を下げたつもりだがそれで常人並みの聴力だった。


「ヒト、魔力で身体を強化しているのでしょう。おおげさな反応はやめてください」


 冒険者からは身体を流れるように張り付く魔力の流れを感じた。

 これはロースラグの騎士たちの使う基本の魔法である。


 強化した身体で他人を殴るなんて悪いヒトだ。それも丸腰の相手モナルを殴ろうとするなんて。

 パティエンテは呆れ顔をする。


 この中で我に返ったのはモナルが一番早かった。


「やめろ。そいつを放せ、エンテ」


「離したらまた暴れてしまうかもしれません」


「腕がもう腫れてるだろ。そんな気力はない」


「でも。このヒトは身体強化をしているのですよ。すぐに治して暴れてしまうかもしれません」


「こいつにそんな精度の身体強化は出来ない。いいから放せ」


 モナルの言葉を無下にはできないとエンテは渋々冒険者を掴む手を緩めた。

 すると次の瞬間にはのたうち回っていた。


「あれ? あの、大丈夫ですか」


 もしかして力加減を間違えてしまった?

 演練に来た騎士たちとじゃれて遊んだ時と同じぐらいの力だったのに。


 パティエンテは冒険者の隣にしゃがみこむ。

 自分でしでかしておいてオロオロとしていた。


「あっ! 美味しいパンがあるのです。ここに来る途中食べましたが、絶品でした。あなたにもあげますから――」


「この馬鹿!」


 片手に抱えたままの紙袋からパンを取り出そうとしていると、ついにモナルが怒鳴った。

 転げまわる冒険者にパンを押し込もうとする少女。

 下手をしたら窒息モノである。

 普段は物静かな男であるが目前で置きそうな殺人事件は見過ごせなかったのだ。


 この騒ぎは奥に居た院長が血の匂いを纏わりつかせ「うるせぇですね」と、地の這うような声で出てくるまで続いた。

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