第十八話 威龍離脱
哉珂の背を追って一番最初に入った客桟へ入ると、店主は一瞬驚き声を詰まらせたがすぐに店員としての笑顔を取り繕ってくる。
「これはこれは。宿泊費に変更は御座いませんよ」
「宿代ならある。子供二人を一晩泊めてくれ」
哉珂は値上げ額だった一人銀一、二人で銀二は軽々と放り投げた。
朱の部屋から持ち出した金で、銀の一枚や二枚くらい無くなったところで分かりはしない。あまりにも平然と支払いをされ店主はめを丸くした。
「ほお……これはこれは……」
「部屋を用意してくれ。街からは見えず、街の外へ向かって大きな窓のある部屋が良い。できるだけ他の部屋と距離があればなお良し。あるか」
店主はすっと目を細め、じいっと哉珂を見つめた。
そして何かに納得したのか、極上の笑顔を作り大きく頷いた。
「ありますとも。ただ少々割高の部屋でして。銀二では足りませんねえ。そうですねえ。お一人金五というところでしょうか」
「何だ。その程度で良いのか。良心的だな。これで頼む」
いっそ尊敬できるほどのがめつさに威龍は唖然としたが、哉珂はやはり平然と一枚の硬貨を渡した。
渡したのは二人分の宿泊費金十にあたる白金一だ。白金を日常で見ることは無い。
そんな高額を持ち歩くのは高級店の商人か国の政治を担う宮廷くらいのものだ。
店主はぎょっと目を見開き、まじまじと白金を凝視する。
「それは先払いだ。俺が瀘蘭を出る時には白金一を追加で出そう。この子らが良い客桟だったと認めればその分も成功報酬として白金一を出す」
哉珂は実際に白金を見せ、くるくると玩具の様に扱った。大金を扱いなれてる姿はさぞ大金持ちに見えていることだろう。
店主はすぐににっこりと微笑み、従業員に目配せをする。従業員も大きく頷き、数名でばたばたと走り出した。
「有難うございます。すぐに準備致しますので一刻ほどお待ち頂けますか」
「準備はいいから今すぐ入れてくれ。子供の体調が悪い。今すぐ静かな場所で休ませたいんだ」
「そうでしたか。では回復するまで私の私室をお使い下さい。寝泊まりするだけの部屋ですが、離れのため他のお客様の声は届きません。従業員も立ち入り禁止ですので御用聞きに伺えませんが、いっそ静かでしょう」
「へえ。そいつは良いな。あんたが良いのならぜひ使わせてくれ」
「承知致しました。ああそうだ。これはお願いなのですが、お三方のご宿泊は内密にさせて頂いてもよろしいでしょうか。準備も無しにご宿泊へご案内するなど、店としては適切な提供ができていないも同然。念のためお客様用の部屋も用意し、ご来客があればそちらでお待ち頂きます」
店主はまるで威龍達が身を隠したいのを知っているかのように、徹底的に隔離できる提案をしてくれた。
客桟は当然だが旅人向けだ。定住している者は宿泊などしないだろう。
ならば同じように訳ありの客もいるのかもしれない。
(俺らが追い出されたのも誰かを匿ってたのかな。けどこんな大金出されちゃ心は動くよな。それに雛がいる以上これは正当な『神の子の保護』だ)
これほど高級な客桟なら出費も多いだろう。商売は提供するための原価と販売管理費があり、それを上回る売上がなければ利益が出ない。
ただ匿うだけなら犯罪に加担する可能性もあるが、雛さえいれば言い訳も立つ。
哉珂と店主は分かり合ったのか、含みのある笑みを交わした。
「ぜひそうしてくれ。だが客室を一つ無駄にさせるな。白金一追加しよう」
「恐れ入ります。離れへはこの鍵で裏口をご利用下さい。鍵の返却は不要です。実はたまたまこの後鍵を付け替える予定でしたのでこの後すぐ使えなくなります。お戻りの際は外を回って下さい」
「そんな大変な時に悪いな。ではその工事費は俺が負担しよう。金一で足りるか」
哉珂は金を一枚をぽいっと渡し、ひゅうっと店主は唸り声まじりで息を呑む。
ごくりと喉が鳴るのが聴こえて、店主はこれでもかというくらいの笑顔を見せた。
「ご配慮痛み入ります。ではどうぞご自由にお使い下さい」
「最良の提供に感謝する。威龍、行くぞ」
「う、うん」
店主は威龍達の事情は何も聞かず、道のりだけを説明するとくるりと背を向けた。
そして裏口の扉をくぐると、扉の向こうでごとんごとんと何かがぶつかるような音がした。そして店主が、この扉は壊れてしまったので倒れてくる、怪我をするから近付かないように、と名言する声が聴こえてきた。
「お金って凄い」
「金に従順な奴は使いやすいな」
「でもそんなにお金使っていいの? 白金一なんて絶対返せない額だよ俺は」
「薄珂の無事を確認する必要経費だ。それを渋るなら蛍宮を敵に回すということになる。そんな馬鹿はしない」
「あ……うん……そうだったね……」
金以上に権力とは恐ろしい。
威龍は薄珂の穏やかな笑顔に隠された闇を感じ、背筋に何度目かの寒気を感じた。
*
部屋に入ると、高級客桟とは思えないほど質素な部屋だった。
掃除はされているし寝泊まりできる状態ではあるがそれだけで、家具は戸棚が一つあるだけだ。
とても客に貸す部屋ではないが、客を探す場合は後回しになるだろう。
「さして目立たないな。良い部屋だ」
「うん。窓も大きいし」
哉珂は窓を開け、きょろきょろと景色を確かめた。
瀘蘭の街を背にしていて、大通りからも離れているため木々が生い茂っている様子しか見えない。今から逃げ出す威龍にとっては良い場所だ。
「よし。ここからは別行動だ。夜目は効くんだったか?」
「見える。生きてる動物と死骸を見分けるのも得意だよ。死骸の多い方には行かないことにしてる。死ぬような何かがあるってことだから」
「良いじゃないか。鴉は優秀だ。なら夜になってから逃げろ。今のうちに鳥に戻れ。先に雛を括りつけておこう。窓を空けておけば直ぐに飛べる」
「そうだね。うん」
鳥に戻った後は両手足が使えないので飛ぶ以外の事ができない。
人間の時に括りつけておくにしても、鳥になった時にしっかりとくっついているかは分からないから誰かの手が必要になる。
威龍は服を脱ぎ鳥になり、哉珂の前にとんとんと近づいた。
「少し絞めよう。雛が苦しくない程度にしておかないとな」
哉珂は威龍の背に回り抱っこ紐をぎゅっと引っ張ると、かちっと器具をはめたような音がした。作業はそれだけで、結び直す事も雛を動かすこともしなかった。
(凄い。結ぶより安定感あるし解ける心配もない。お腹側が綿で柔らかいから、雛を背中側から抑えても雛が圧迫される事はない。完全に鳥が赤ん坊を運ぶ用なんだ)
手で結ぶのはいくら気を付けても落ちる危険がある。だから長時間の飛行はできないし、これは一般的な荷運びでも同じだ。
しかも鳥獣人は絶対数が少ないため鳥獣人に配慮した専用品は多くない。
だが薄珂自身が鳥獣人で、かつ立珂と共に過ごすために必要な物は自分が気付く。
それを商品化する力もあるのでこうして威龍に提供することができる。
(始まりは自己満足だろうけど種族全員に役立つ。運搬できる商品の幅も広がるから荷運びを仕事にしてる鳥は給料も上がるだろうな。凄い。本当に凄い)
たかが紐だ。だがその素晴らしさは雛の幸せそうな表情をみれば深く実感できた。
「外す時はお前の肩にある金具の中央を押せ。そうすれば紐は解ける」
言われて見ると、嘴で突ける位置にくぼみがあった。強く押しても雛が圧迫されることも無いし、最悪、腕だけ人化すればすぐに外せるだろう。
どこまでも行き届いた仕組みに威龍は感嘆し息を吐いた。
哉珂は雛をそうっと撫で、小さな手を引いて威龍の腹を握らせる。
「雛。しっかり威龍にしがみついてるんだぞ」
「んっ」
「威龍。必ず華理へ行くんだぞ。それが笙鈴を救う事にもなる。万が一ここに誰かが来たら夜を待たずに行け。分かったな」
威龍がこくりと頷くと哉珂はよしよしと頭を撫でてくれて、部屋から出ていくと室内はしんと静まり返った。
今後ここに哉珂が来ないという事は捜査をしているか、捕まり動けなくなってしまったかのどちらかという事になる。
だがそのどちらなのか、威龍に知る事はできない。
(……哉珂、ごめん)
今全てを見捨てる覚悟が求められている。そして威龍はぐっと爪に力を込め、雛の心地良い寝息に飛び立つ誓いを立てた。
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