第十六話 決断
麻薬規制は世界中で今最も注視されている分野である。
まず大前提として、人間と獣人は一見して同じ形態だが体内構造は全く違う。そのため医療も独立しており、それぞれ専門医がいる。
特に獣人は難しく、獣種が異なれば必要な処置が異なる。専門医を増やすどころか研究の進行自体が遅いのだ。
中でも鳥獣人のように絶対数が少なく治験者が集まりにくい獣種は未知と言ってもいい。人間のように一つの医療で種族全体を賄う事はできないのだ。
そして有翼人は獣人以上に専門医療が発達していない。
世界人口から見ても少ないうえ、未だに有翼人を嫌悪する者も少なくない。
合理的な考え方をする人間にとって、庇護を求められる母数が多い獣人の研究が優先されたのだ。何しろ医療は無料提供する物ではなく、技術を販売して生活費にする物だ。収益にならない研究を続ける事はできない。
それに、とりあえず人間の医療を施せばそれなりに効果があるのだ。
そのため『獣人に禁止とされる医療は避ける』という対応ででまとめられている。
その中でも全種族共通で禁止とされるのが麻薬である。
原材料や効能は様々だが、医療が共通しないので処置ができない場合が多い。
例えば、人間は一般的な薬で治療可能でも、その薬自体が獣人には使用禁止だった場合処置を施せない。
だというのに他種族由来の麻薬を摂取する者がおり、悪化すれば打つ手なしで死亡するのは必然だ。
これは特に獣人に多い。理由は単純に医療が未発達だからだ。
有翼人に関してはそれ以前の問題で、何が麻薬となりうるかも分からない。
結局有翼人に対してできることは『国が認可した薬以外は使わない』という共通認識を普及させるに留まり、それ以外の薬物全て『麻薬』に括った。
だがあくまでもそういった認識でしかなく、規制する法はない。
そもそも法律とて完璧に全世界で成立しているわけではない。人間が手を尽くせる一部地域に留まり、獣人優位の排他的な国は依然として平均寿命が短い。
そんな国家規模の問題が教会で行われているということだ。
(こんな大きい問題に関わるのか俺は。薄珂みたいな力を持たない俺が。逃げるしかできない俺が……)
威龍はがっちりと雛を抱きしめ、変わらず呼吸し生きていることを確かめた。
いつの間にか眠ったようですやすやと寝息を立てている。だがこれ以上関わればこの愛らしい寝顔を失うかもしれない。
地下の子供達は健康に過ごしているようではあるが自由はない。物心付いた時からあの環境で育てば世界の広さを知る事すらない。
雛も捕まったら雛の世界は教会だけになってしまう。それも麻薬製造の人生だ。
起こりうる最悪の事態を認識し、雛に降りかかる事態の恐ろしさに威龍は震えた。
「威龍。お前は今すぐ瀘蘭から逃げろ」
「……え?」
「ひとまず最初に泊まった客桟へ行け。金に弱いあたり教徒じゃないだろう。金ならいくらでもあるから積んでやれ」
哉珂は朱の部屋から持ち出していた革袋を取り出し持たせてくれた。
中には金銀銅の硬貨がぎっしりと詰め込まれている。これだけあればあの客桟だって安宿に見えてくる。
ほいほい受け取って良い金額ではなくて戸惑ったが、それに気付いた哉珂は威龍の腰下げ鞄にぎゅっと押し込んだ。
「あの客桟は街外れで高台のうえ相当大きい。あれより低い高度で飛べばこっちからも見えないだろう。地理を覚えろ。朱の迎えを待ちたいがそうも言ってられない」
哉珂は机の引き出しから大きな紙を取り出した。紙には地図が描いてある。
そして左上の『瀘蘭』と書いていある場所をとんと指差し、つうっと大通りを示す線を辿っていく。
「道なりに真っ直ぐ進めば華理へ着く。谷間を抜ければ人間の舗装した道路に出るからそこまで行けば安全だ。華理宮廷が警備員を配置してる」
「……詳しいね。隊商はこういう情報を集めるのに必死だよ」
「方向音痴の隊商長と一緒にすんなよ。睡眠と休憩は鳥のまま木の上でしろ。連中はお前が鳥だと知らないから気付かないだろう。雛はお前の羽で隠せ」
「うん。薄珂の抱っこ紐は頭から身体全部隠せるから大丈夫だよ」
道さえ分かれば華理は遠くない。威龍一人が全力で飛べば一日で事足りる。
だが雛を抱えて行く以上は高度も速度も出せないし休憩も多く必要だ。できれば徒歩でゆっくり進んでやりたい。
しかしそれではゆうに十日はかかる。大人の脚で追いかけてこられたら終わりだ。
なら追われていない今のうちに逃げるしかないだろう。
だがそれは薄珂たちを見棄てるということだ。現時点、薄珂達がどうなったかは毛の一筋も行方は掴めていない。教会に捕まっていたら、薄珂はともかく朱と立珂はどうなるか分かったものではない。
(薄珂たちを諦めるのか。こんなに良くしてもらったのに俺は)
貰うだけ貰って、将来の心配までしてもらったのに生死すら確かめず放り出す。
威龍は己の無力さが悔しくてぐっと強く唇を噛んだ。しかし哉珂はぽんっと優しく頭を撫でてくれる。
「薄珂なら大丈夫。権力者は殺さず利用するもんだ」
何も答えられなかった。聞く限りそうなのだろうとは思う。
麻薬製造機にしかならない雛と親代わりでしかない威龍は生かす必要などない。
だが自らが高貴な身分であり複数国の宮廷とも繋がっていて、さらには有名店の経営者となれば生かして利用する一択だ。
だが威龍が見捨てる事実は変わらない。雛のためにはそうするべきと分かっていても、初めてできた隊商隊員以外の友人を見捨てられるほど威龍は非情にはなれない。
「薄珂ならお前を見捨てるぞ」
「……え?」
「立珂のためなら地位も権力も友も愛も、取巻く全てを切り捨てる。だが切り捨てた相手に許されるような縁を作りながら生きている。だからあいつは凄いんだ」
「け、けど、見捨てて、死んだらどうするんだ」
「どうもしない。そういう事だったとして死を悼め」
「……それでいいの?」
「それは何を基準にするかで違う。お前は自分を許さないだろうが法はお前を責めない。罪じゃないからな。守れるものには限りがあるんだ。どんな天才でも権力者でもだ。なら守るべきものを守れ。お前が守りたいものは何だ」
「雛……」
「お前にできる事はなんだ」
「飛んで逃げる……」
「そうだ」
哉珂はぐりぐりと力強く頭を撫でてくれた。
それでいいんだ、そうするべきだと、まるで父か兄のように導いてくれる。
今も、今までも。
「……華理で待ってる。だから薄珂たちを連れて来てね」
「ああ。それじゃあ客桟へ行こう。交渉は俺がやる」
「うん」
威龍は薄珂がくれた小刀を腰下げ鞄から取り出し懐に移した。
(何かあれば目を潰す、だったよな)
薄珂は穏やかそうに見えて恐ろしい。思い返せば最初からそうだった。きっと常に立珂の事を考えているからだろう。だからこそ威龍は薄珂を頼もしく思った。
(これが縁なんだ。薄珂のために何かしたいって俺が思うのも薄珂の作った縁)
とても優しい人だと思ったけれど、計算付くで生きているのかと思うととても恐ろしく、同時に尊敬できた。
威龍はいつも通り雛だけを抱きしめ、屋敷を離れて客桟へ向かった。
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