第14話 もう一度 2

 朝目を覚ますと、彼は剣術の稽古をするようになった。


 その間に、フラウムは着替えて、食事の支度をする。


 剣の腕は落ちていないように見える。


 魔法を使いながら、剣を振るう。軽やかに地面を蹴って、剣を振る姿は、凜々しく頼もしく感じる。



「お食事です」


「ああ、ありがとう」


「動いて、傷は痛みませんか?」


「傷を負った覚えも、傷跡もないから、どこが傷なのかも分からないよ」


「そう、それはよかったですわ」



 彼は小川で手を洗ってから、家に戻ってくる。


 今日は干し肉の入ったスープとパンだ。


 彼には物足りないかもしれないけれど、豪華な食事を作ることはできない。料理を学ぶ時間がなかったのだ。


 食費は売った薬代で払えるので、お金に困っているわけではない。


 パンは多めに買っている。


 料理のスキルがあったら、美味しい料理が作れるけれど、難しい料理は作れない。


 お肉を焼いたり卵を焼いたり、するしか術がない。


 シェフがくれたのは、塩と胡椒だ。


 これがあれば、大概の物は美味しくなりますと笑っていた。


 彼が木を伐採して、薪にしてくれる。


 薪を買おうとしたときに、斧を買ってほしいと頼まれた。



「薪は私が作ろう」



 薪屋の叔父さんは不快そうな顔をしたが、薪代は高くて困っていた。


 一回の薪代で斧を買い、それから、彼が薪を調達してくれる。


 買った物は、彼が持ってくれる。


 まるで夫婦のようだと言われるが、言われるたびにフラウムは照れくさくなる。


 今は仮初めの恋人同士なのだ。


 期間限定であるが、フラウムは彼を好いている。


 彼もフラウムを好いている。


 夜眠る前に、おまじないのキスをくれる。


 額に、一つ。


 明日も無事でいられるようにと願いを込めている。


 彼は、自分の記憶が戻るのを恐れているのだ。それが分かって、受け入れている。


 きっと彼の記憶は、近いうちに戻る。


 それを寂しく思う。


 彼に抱きしめられながら眠りに落ちる前に、涙がこぼれる。


 このまま、記憶が戻らなければいいのに……。


 記憶が戻ったら、フラウムとの生活を忘れてしまうかもしれない。


 この想いは、フラウムの我が儘だ。彼のためを想うならば、一日も早く記憶を取り戻す事を願うべきなのに、日を追うごとに我が儘になっていく自分を止められなくなってきた。


 記憶を取り戻したら、彼はテールの都に一緒に戻ろうと言ってくれるだろうか?


 3年間の苦労は報われるだろうか?


 最近は、その事ばかり考えるようになり不安になる。



 +



 彼と一緒に住むようになって2ヶ月が過ぎた。もう12月だ。


 彼は木の伐採に行った。


 フラウムは薬草と野草を摘みに山に入った。


 雪が降れば、山には入れなくなる。その前に、できるだけ薬草と野草を取らなくてはならない。


 山の中を歩き、数少ない薬草を採る。


「雪が降りそうね」


 薬草の数も減っている。


 空には厚い雲が垂れている。そろそろ初雪が降るかもしれない。


 外套の襟元をギュッと締め付けたとき、前方から男性が歩いてきた。


 男性二人は、帝国騎士団の制服を着ていた。


 頭を下げ、すれ違おうとしたとき、声を掛けられた。



「この辺りで、背の高い瑠璃色の瞳の青年を見かけなかったか?」


「いいえ」



 鼓動が早くなる。


 フラウムは、咄嗟に魔術を使い目眩ましの術を使って、フラウムの容姿を曖昧にさせた。


 そうしないと、緋色の瞳に気づかれてしまう。


 彼も危険だが、同時にフラウムも危険なのだ。



「知りません。どなたをお探しでしょうか?」


「知らないなら、いいんだ」


「足止めさせて、悪かったね」


「そろそろ、雪が降る。下山した方がいいだろう」



 男達は20代後半だろうか?


 彼より年上のような気がするのだ。


 フラウムは頭を下げて、下山の道を進んだ。


 彼は下山しただろうか?


 木を切る音はしない。


 家の周りには、魔術で見えなくしているが、まだ彼を探す帝国騎士団の連中がいると分かって、急に不安になった。


 走って下山して、途中で転倒した。


 籠が転がって、急いで籠の中に薬草と野草を入れて、また走り出す。


 姿を見るまで不安で、怖くて、彼が消えてしまいそうで……。


 心が悲鳴を上げる。


 どうか無事でいて。心が叫ぶ。



 +



「皇子、シュワルツ皇子殿下、ご無事でしたか?」


「ずいぶん、探しました。そのお姿は、どういたしましたか?」



 帝国騎士団の制服を着た男が、突然、声を掛けてきた。



「おまえ達は誰だ」



 剣を抜こうとしたら、男達は跪き、頭を下げた。



「私はシュワルツ皇子殿下の側人のエスペル・ノアと申す。隣におるのが、同じく側人のケイネス・リザルドルフと申す」


「皇子は、私達の事を覚えていないのですか?」


「ああ。皇子殿下とは誰だ?」


「あなた様です」


「なんだと?」


「恐れながらシュワルツ皇子殿下、暗殺者は捉えました。シュワルツ皇子殿下は、視察を終えるためにパルマ・クロノスと衣服を交換し、馬にて先に帰還するところでした。そこを反逆者であるマキシモ・メルスに銃撃されたのです。その反動で崖から落ちて川に転落したようです」


「マキシモ・メルス率いる残党は、第二皇子の指示の元、動いたことが皇帝の調べで判明しました。妃様の魔術で、シュワルツ皇子殿下は存命だと分かりましたので、ずっと山の中を捜索しておりました」



 従者は、丁寧に言葉を紡ぐ。



「私はシュワルツ皇子だと?」


「記憶をなくしておいでですか?」

「ああ、ないが……だが……」


 シュワルツ皇子殿下と呼ばれて、記憶が遡る。



 +



「後は、戻るだけです。交代しましょうか?」


「そうだな。クロノスとは瞳の色が同じだけで、髪色も違うのに。影武者が務まるのだな」


「私は皇太子の従兄でございます。瞳の色以外は、あまり似ておりませんが、物真似の魔術を使うので、瓜二つです」



 馬車の中で衣服を交換して、二人で馬車から出てきた。


 並んで崖からの景色を見ていた。



「皇帝一家は、瑠璃色の瞳を持つ子供が生まれてくる」


「それ以外の子供は、魔力が低いので、権力争いから遠ざかっておるだけです」


「魔力、魔力と!魔力が強かった幼子がおったな」


「フラウム・マスカート伯爵令嬢ですね。プラネット侯爵家の長女、アミ・プラネットが恋愛結婚して、マスカレード伯爵夫人になった時の約束で、幼い頃から王妃教育をしてきた令嬢ですね。マスカート伯爵夫人は離縁をして、実家に戻り、令嬢もプラネット侯爵の名を受け継いでいますね。緋色の瞳を持ち、銀の髪がうっすらアメジストの色をした、たいそう美しい令嬢だったが、今は失踪したそうです」


「私も会ってみたいが」


「失踪したのは、3年前になります。13歳の幼子に生きるすべはないでしょう。残念ですが、諦めた方が賢明だと思います」


「母上の魔術で探すことはできないのだろうか?」


「慧眼や魔眼は魔力を大量に使いますので、何かの時以外は使いません」


「私の許嫁になったはずの令嬢ではないか。幼い頃からお妃教育を施して、私の元に嫁ぐ令嬢ではなかったのか?」


「王妃様は、試しておいでなのかもしれません。一人で生き延びていたら、そのときは迎え入れるつもりかもしれません」


「どうだかな?」


(ん?フラウム?)


 シュワルツが皇太子に決定したのは、3年前になる。


 ちょうど、フラウムが失踪した頃に次期皇帝が決まったのだ。


 この帝国では、第一皇子が即位するスタイルを取ってはいなかった。魔力の力が強い者が次期皇帝になる。ある程度、皇子が成長するまで、後継者は選ばれない。その反面、伴侶となる妃候補は、幼い頃に決められて、お妃教育を施される。


 現在、シュワルツの妃候補は何人かいるが、ダントツ一位を占めているのは、緋色の一族のフラウム令嬢だ。


 3年前に失踪したが、妃候補からは外されてはいない。


(まさか、私を救ってくれたフラウムだろうか?)


 平民の服を着ていたが、言葉遣いも上品で、紅茶もうまい。


(修行と言っていたな)


「シュワルツ皇子」


「なんだ?マキシモ・メルス」


 崖からの景色を見ていたシュワルツとクロノスが振り返った時に、突然、腹に痛みを覚えた。


 衝撃で体が浮き上がって、崖の下に落ちた。


 ドボンと川に落ちた。そこで気を失った。


 側人は、シュワルツの独り言のような回想を聞きながら、頷いていた。



「その通りでございます」


「その続きは、こうで、ございます」



 +



「死ね」


「マキシモ・メルス、謀反か?」


「パルマ・クロノス、貴様も死ね」



 胸を一撃されたパルマ・クロノスは、倒れた。


 お忍びで領地の視察をしていたシュワルツ一行には、最低限の近衛騎士と帝国騎士団しかいなかった。


 マキシモ・メルスは、帝国騎士団の連中を買収していた。


 近衛騎士のパルマ・クロノスは、崖の上で意識を失ったが、通りかかった大商人の馬車に拾われた。


 着ていた洋服が皇太子の物だった事から、保護され、王家に知らせが走った。


 妃はすぐに、シュワルツの生存を調べた。



「生きています」


「なんとしても、探し出せ」



 皇帝の勅令により、皇子探しが始まったのだ。


 慧眼を使った事で、事件の発端である第二皇子が捕らえられた。今は、地下牢獄に捕らわれている。


 我が子であっても、皇太子暗殺を企てた者は公開処刑になる。


 絞首刑の末に、腹を切り裂き、三日三晩、晒されるのである。


 その日を牢獄で待ちわびている。


 第二皇子の指示で動いた従者や騎士達も全て暴き出し、地下牢に捕らわれている。




「全て、思い出されましたか?」


「ああ」


「では、すぐに戻りましょう」


「待ってくれ。私を助けてくれたフラウムにお礼を言ってはいない。明日、いや、明後日、いや、もう暫く待ってほしい」


「何故です」


「フラウムを愛してしまったのだ」


「何をおっしゃる。皇太子殿下ともあろう者が、平民を本気で愛しているとでも?」


「継承を断っても、フラウムを諦めることはできない」


「では、そのフラウム様をお連れしては如何か?」


「連れて行ってもいいのか?」


「命の恩人であろう。王妃様も悪いようにはしないであろう」


「相談してみよう」



 シュワルツは、部下に頭を下げた。



「分かりました。明日、お迎えに上がります」



 側人二人はお辞儀をして、シュワルツから離れた。


 きっと一人は、監視をしているだろう。


 シュワルツは、フラウムになんと話そうか考えていた。


 彼女が買ってくれた斧を腰にぶら下げ、伐採してきた木を家の敷地内に引きずっていく。が、家が見えない。


 周りを見回しても、家があるはずのその場所には家はない。


 シュワルツは、そこら辺にかけられた魔術を見ていく。



(これは、なんと)



 シュワルツでも解くことは不可能。


 魔術を解くことは諦めて、そこにあるはずの家の庭に入っていく。すると、するりと見覚えのある家と庭が見えた。


 この家には、フラウムとシュワルツしか入れないようになっているようだ。



(そこまで、守られておるのか?愛されておったのか?)



 フラウムの事を想うと、胸がジーンと痛くなる。


 必ず連れて行く。


 けれど、この伐採した木をそのままにしておくこともできずに、木を小さく切って、薪を割っていく。


 フラウムが眠る前に泣いているのは、気づいている。


 別れが近いと気づいていたのだろう。


 フラウムがシュワルツを愛しているのは、一緒にいて分かる。


 シュワルツもフラウムを愛している。



 +



「あなた」



 フラウムが走って庭に入ってきた。



「どうかしたのか?」


「大変なの。まだ帝国騎士団の者達があなたを探しているの」



 フラウムは涙を流し、薬草の入った籠を落として、顔を覆った。


 涙がポロポロと流れている。


 転んだのか、ワンピースが破れていた。チラリと見えるフラウムの膝から血が流れている。



「フラウム、膝は痛まないのか?」


「そんな事よりも、逃げ出さなくては」


「どこに逃げるんだ?」



 そう聞かれて、フラウムは逃げ場所などないことに気づいた。


 この家にはしっかり結界が張ってある。


 見えなくなる魔術も何十もかけている。


 今、できることは全てしているのだ。



「逃げ場はないわ」



 小さく答えて、落とした籠を拾う。


 散った薬草と野草を拾う。


 シュワルツは、一緒に拾った。



「ありがとう。今日は何度も落としてしまったから、綺麗に洗わなくては」



 小川の方に歩いて行く後ろ姿は、寂しそうに見えた。



「木はもう切らなくてもいいわ。薪はあるだけで構わないから。もう森に行かないで」


「私の仕事を奪うのか?」


「森は危険よ。薪は買えばいいわ」



 森で何があったのか、フラウムは肩を落として、足を引きずっている。


 危険なのは、フラウムの方だ。


 やはり、彼女を置いて、ここを離れる訳にはいかない。


 どのように、説得をしようか?


 シュワルツは、フラウムの後ろ姿を見ながら、考えた。


 それにしても、この家は何十も魔術がかけられている。


 結界まで張っている。


 フラウムは何者か?


 正式な名前をどうにか聞き出したい。


 シュワルツは記憶を取り戻してから、この家が異常なほどの魔術がかけられた家であることに気づいた。


 遮断、結界、他にもあるだろうか?


 それも何重にもかけられている。


 こうして、自分は守られてきたのだと、今更気づいた。



 +



 狭いがこの家には風呂がある。お母様とお祖父様が用意してくださった物だ。洗い場と湯船もある。


 長い髪を洗って、体も洗う。湯船からお湯をくむと石鹸を流し、お風呂に浸かる。


 寒い季節になると、湯はすぐに冷えてしまう。


 慈愛の熱で温めて、ちょうどいい湯加減にしてお風呂から上がる。

 膝の怪我は、血を洗い流してから行った。


 傷が残っては、緋色の魔術師の一族の恥だ。


 足の捻挫は、暫く不自由な生活になるだろうが、治療をするまでではない。


 人には自然治癒力が備わっている。


 治癒魔法は、自然治癒では治らない限界の物に一般的に行う物だ。


 その見極めは術者の裁量による物が大きい。


 人によっては、フラウムの負った捻挫も、靱帯の損傷を強制的に治して、魔力を送り込むことで炎症を引かせる者もいる。


 フラウムは自然治癒を推奨している。


 自力で治るほどまでは、魔術で治すが、後は自己免疫を使い治す方が、病気に強い体になる。


 素早く体を拭くと、ワンピースを身につけた。


 暖炉で湧かせたお湯を取りに行く。


 危ないので、フラウムはこのときは、魔術を使う。


 転移魔法で湯船の中に湯を転移させ、水瓶の中の水を鍋にかける。


 水瓶の水もお風呂の湯船に転移させ湯加減を見る。


 減ったお風呂のお湯は足されただろう。


「あなた、お風呂にどうぞ」


「ありがとう。それにしても素晴らしい魔術だね?」


「え?」


 こんなことを言われたのは初めてだ。


 もしかして、記憶が戻り始めているのだろうか?


 もしかしたら、もう記憶は戻っている可能性もある。


「冷めるわ」


「ああ、いただくよ」


 彼は風呂場に行った。


 顔に塗るクリームと櫛を魔術で取り、顔にクリームを塗り、櫛で髪を梳かす。


 後は、手で暖炉の熱風を入れて、髪を乾かす。


 クリームと櫛は、元の場所に戻しておく。


 衣服やシーツの洗濯は、クリーン魔法を使う。


 水瓶の水が減ってしまったので、川の水を転移させて、浄化する。


 この家は、魔法にあふれている。


 彼がお風呂に入っている間に、魔法を使い、料理は手作りしている。


 ベーコンが安価で手に入ったので、今夜はベーコンを野草と炒めて、目玉焼きを添えた。


 暖炉でパンを温めておく。


 彼はパンを3個食べる。フラウムは1個だ。


「今日は豪華だな」


 お風呂から出てきた彼が、テーブルに並べられたお皿の上を見て、微笑んだ。


「ベーコンが売っていたの。野菜は野草だけれど。そうね、今日はいつもより豪華ね」


 カップに紅茶を入れて、パンを並べると、椅子に座った。



 二人で「いただきます」をして、食べ始める。


 静かな食卓だ。


 今日は彼は何も話さないし、フラウムも黙っている。


 いつもと雰囲気が違うような気がするのは、勘ぐりすぎだろうか?


 フラウムは不安に包まれていた。


 食器をシンクに運び、水をかけてから、食後の紅茶をコップに入れて、向かい合った。


「フラウム、お願いがあるんだ?」


「なにかしら?」


「フラウムは、貴族のお嬢様だろう?」


「どうして、そうおもうのかしら?」


 フラウムは彼の顔をじっと見た。


 彼も視線を外さない。


 見つめ合って、フラウムは、諦めのため息をついた。


「あなた、記憶を取り戻したのね?」


「ああ」


「それで、あなたは誰だったの?」


「その前に、フラウムの名前を知りたい」


 13歳で家を出て一人で生活を始めた彼女の名前をどうしても知りたかった。


「わたしは13歳でこの地に来るように言われて、ここで暮らしているの。名前はフラウムよ」


「もしかして、母の名は、アミ・プラネット侯爵だね?」


「母の名を知っているの?」

「あなたの名は、フラウム・プラネット侯爵令嬢だね?」


「ええ、そうよ。それで、あなたは誰だったの?」


「この国の皇太子であるシュワルツ・シュベルノバ。シュベルノバ帝国第三皇子だ」


「そう、その瞳を見た時、帝国の血を引いた者だと思ったわ」


「どうか、私と一緒に戻ってはくれないか?私はフラウムを好きになってしまった。今更、別れたいとも思わない」


「一緒にいってもいいのかしら?わたくしは、いつまで、ここで修行をしていろと言われていないの。帰ってもいいのか分からないの」


 涙が、ポロポロこぼれる。


 一緒にと言ってもらえて嬉しかった。


 本当は、3年間この日が来るのを待っていたのだ。


「フラウムが、私を守ってくれたように、今度は私がフラウムを守ると約束しても一緒に来てはくれないのか?記憶が戻ってから初めて気づいたのだが、この家は、何重にも魔術がかけられ、結界まで張ってあった。外から、この家は見えなかった。それほど強い魔法がかけられていた。それは私への愛情なのだろう?」


 シュワルツの手が、フラウムの手を握る。


「どうかお願いだ。一緒に来て欲しい。私はフラウムを愛している。万が一、フラウムを妻にできないなら、皇太子の座を兄弟に譲る」


「そこまで、本気で思っているの?」


「本気にさせたのは、フラウムだ」


 フラウムは「連れて行ってください」と、頭を下げた。


「ありがとう、フラウム」


「わたくしこそ、ありがとう」



 フラウムは魔術を使って、食器とフライパンを綺麗に洗い上げ、籠にあげた。


 シュワルツは、起用に魔術を使うフラウムを見て、その魔力に驚き、そして、その美しさに感動した。


 フラウムはシュワルツにかけていた魔術の一つを解いたのだ。


 鮮明にフラウムが見える。


「ごめんなさい、あなたに、わたしの姿が鮮明に見えない魔術をかけていたの。緋色の一族だと知られるのが怖かったの」


「なんと美しい」


 目を引くのは緋色の瞳だ。薄紅色に染まった頬に、銀の長い髪はほんのりピンクかかった薄紫色をしていた。太陽の下で見たら、きっともっと美しく見えるだろう。


「出発はいつですの?」


「明日、従者が迎えに来る」


「着ていくドレスは持っていないわ」


「普段着で構わない。途中でドレスを調達しよう」


 フラウムは頷いた。


「薬棚を片付けなくては」


「手伝おう」


「お願いします」


 フラウムは席を立った。後から、シュワルツついて行く。隣の部屋に入って、作りかけの薬を仕上げて、瓶に詰めた。空の旅行鞄の中に薬造りの材料と器具を入れていく。母から手渡された医学書と魔術書を数冊入れる。何かあったときのための宝石と貯めた賃金も入れる。この家の権利書も入れておく。


「それを持って行くのか?」


「母が用意してくださった物です。実家に戻って、勝手に帰ってきたことをわびなければなりません」


「それなら、私が連れ戻したと、詫びよう」


「ありがとうございます」


 洋服や下着は、布に包んだ。


 旅の間の着替えが必要だ。


 夏の服は置いていくが、すぐに持ち出せるように布に包んで置いておいた。



「準備はできたか?」


「ええ、後は明日の朝にでも」


「では、今夜はもう寝よう。いつもより遅いよ?」


「はい」


 二人で荷物をダイニングに運ぶとベッドに入った。


 シュワルツがおまじないのキスをくれる。


「フラウム、愛している。これからは一緒に幸せになろう」


「シュワルツ、ありがとう」


 ベッド中で抱きしめられて、フラウムは甘えるように胸に頬を寄せる。


 静かに目を閉じて、眠りに落ちていく。


 今日は、嬉しくて涙が出た。



 +



 翌朝、食事を終えると、家の周りに張っていた魔術を全て解除した。そうしなければ、シュワルツのお迎えが来られない。


「あなた、薬を納めてきます。少し待っていらして」


「気をつけていくんだよ」


「ええ」


 昨夜作った薬を持って、フラウムは騎士の家に向かった。


「おはようございます」


「お嬢様、おはようございます」


「皇子様の記憶が戻ったの。今日、テールの都に皇子様と戻ります」


 騎士は、ユンガー・プラネット子爵だ。奥様はエル・プラネット子爵夫人。歳の頃は50代過ぎの夫婦だ。


 祖父がフラウムを心配して、配置してくれた夫婦だ。この3年間、いろいろ補佐をしてくれた。


 エルは家の中に招いてくれた。



「お嬢様、お召し物を預かっております」


「エル、本当に?」


「3年間、よく頑張りました」


「ユンガー、ありがとうございます」



 二人は村の中にある小さな小屋に住んでいた。



「我々もテールの都に戻ります。後を追う形になります」


「それなら、この薬はどうしましょう?」



 エルが薬を受け取ってくれた。



「これは、教会に寄付してもよろしいでしょうか?」


「もちろんですわ」



 エルはテーブルに薬の瓶を置くと、奥の部屋に向かった。



「皇子様とは仲良くしていらっしゃいますか?」


「ええ、とても素敵な皇子様ですわ」



 ユンガーは安心したように、微笑んだ。



「お嬢様、ドレスは一着、届いております。アミ様からです。王妃様との謁見の時に着るようにとの事です」


「ありがとうございます」



 フラウムは衣装箱と靴の箱をもらった。



「あなた、届けてくださいな」


「そうしよう」



 ユンガーが衣装箱と靴の箱を受け取ってくれた。



「今までありがとうございます」



 フラウムは、夫妻にお辞儀をした。


 家に戻ると、立派な馬車が来ていた。


 皇太子の護衛としては少ないように感じるが、帝国騎士団の制服を着た男性が何人かいた。


 正装したシュワルツはとても素敵だ。待っていてくれたのか、馬車の近くに来てくれた。



「フラウム、待っていた」


「シュワルツ、この方は、三年間、わたくしをサポートしてくださった、ユンガー・プラネット子爵です。母からの荷物を預かってくれていたようです」


「シュワルツ皇太子殿下、ご無事でなりよりです。フラウムお嬢様は、今日という日を迎える為に、この地に向かい暮らしておいででした。よろしくお願いします」


「ユンガー、余計なことはいいのよ。ドレスを運んでください」


「フラウム、それは、本当の事なのか?」


「旅は長いわ。その間にお話をしましょう」



 シュワルツの従者が、ユンガーから荷物を受け取ってくれた。



「では、お嬢様、お気をつけて。我々は、後から追いますので」


「テールの都で」



 フラウムは、ユンガーに淑女の礼をした。


 フラウムはシュワルツと家の中に戻ると、荷物を騎士に預けて、家の中の施錠をしていった。


 暖炉の火は落とされていた。


 水瓶の水は転移魔法で小川に流し、シーツでくるんだ。


 ベッドも家具も食器も、全て、綺麗にくるみ、いつ誰が来ても使えるようにした。



「ここに戻るつもりなのか?」


「ここは、お祖父様がいらっしゃるかもしれません」


「そうか」


 シュワルツは、ホッとしたように微笑んだ。



「では、参ろう」


「はい」



 シュワルツとフラウムは馬車に乗った。



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