第13話 もう一度 1

 母は離縁の申し込みをした。


 父は会いに来たが、お祖父様に毎回追い返され、紅茶で濡れたドレスから、トリカブトが発見された事とお祖父様の口添えもあり、離縁できた。


 正式に離縁ができると、フラウムは母と一緒に皇妃様に会いに行き、手紙を見せて、お妃教育をお休みすることを申し込んだ。


 皇妃様は手紙に書いてあることが信じられないようだったけれど、結果的に信じて、お妃教育はお休みできることになった。


 流行病が起きる時期が迫っている。


 お祖父様は馬車を用意してくださった。


 祖父と母と騎士達が数人で、一緒に旅に出た。


 初めて見る景色や宿のお風呂は珍しくて、母と一緒に過ごすことができることが楽しかった。


 キールの村に到着すると、空きの山小屋は一つしかなかった。


 そこを購入して、祖父は至急、小屋の中を住みやすいように綺麗にしてくださった。


 お風呂も作られた。


 準備が整うと、祖父と母は、「頑張りなさい」と言って、帰って行った。


 キールの村には祖父の侯爵家から騎士が派遣されて、山小屋を頻繁に警護されるようになった。


 初めての一人暮らしは、寂しく、孤独で、どうして、こんな事をしなくてはならないのかと、理不尽さに泣いた日もあった。


 そんな時は、母が書いた手紙を写した物を読んで、頑張ろうと心に力を蓄えた。


 時間があるときに、医学と魔術の練習に励んで、薬学も学んでいた。


 魔力を練り込んだ丸薬を作り、準備を始めた。


 流行病が起きて、すぐに丸薬を売りに行ったが、誰も買ってはくれない。けれど、子供が死にかけていた夫婦が、最初に薬を買ってくれた。


 その薬は、流行病によく効いた。


 フラウムは薬草を採りに行って、薬を作り続けた。


 薬は侯爵家から一緒に来た騎士の奥様が、薬屋を開いてくれた。そこで売っていた。


 フラウムは緋色の魔術師の一族であることを隠していた。


 平民の服を着て、目立たないように生活を始めた。


 お金にも苦労をせずに、食事も野菜を買えるし、卵やお肉も買えた。


 お皿は二人分、準備していた。


 皇子様が来るのを、楽しみに毎日、山へ入り薬草や野草を採りに出掛けていた。



 +



 フラウムは薬草を摘んで籠に入れていく。


 今日は雲が出ていて薄暗く雨が降りそうな天気だ。


 早めに帰宅した方がいいかもしれない。


 空を気にしながら、帰宅を決めると、家に向かって薬草を摘みながら歩いて行く。


 熊除けの鈴が、腰でチリンチリンと鳴る。


 深い山を抜け、草原が広がった。その時、大きな銃声の音がした。


「ひっ!」


 びっくりして、フラウムは飛び上がった。


 音は山の中ではなく、崖の上からした。


 咄嗟に崖の上を見ると、男達が集まっていた。



「盗賊?」



 いや、あれは、帝国騎士団の制服のような気がする。


 賊に襲われたのか、賊を襲ったのか?


 もう一度、銃声がした。



「逃げなくちゃ、いや、違うわ、ここで助けるんだわ」



 目の前には、川が流れている。


 急いで橋を渡った時に、人が流されてきた。


 流されてきた人は、橋の手前で石に引っかかって止まった。



(この人が皇子様?)



 濡れた洋服は赤く染まり、彼が怪我をしていると示している。


 このまま放置したら、死んでしまうかもしれない。急がなくは……。



「落ちたぞ、探せ」



 男の声がして、フラウムは泣きそうになりながら、川に引っかかっている男の元に走った。



「浮遊」



 男の体が浮き上がって、フラウムに付いてくる。


 フラウムは走った。


 とにかく、身を隠さなければならないと思った。


 目の前にある林まで走って、男を寝かすと、木の葉でその体を隠した。



「遮断」



 気配を隠す魔術を放って、フラウムも身を隠す。


 男達が川沿いを走って行く。



「いないぞ」


「流されたのかもしれない」


「もっと下流だ」


 男達は帝国騎士団の制服を着ていた。


 そうして、今、隠している男も、また帝国騎士団の制服を着ている。


 同じ制服を着ているのに、撃ち合ったのだろうか?



(この方が被害者よ。怖がらないで)



 男達の姿が消えたので、フラウムは隠した男を、もう一度浮遊させた。


 何度も読んだ手紙を思い出しながら、自分を励ます。


 フラウムは男を自分の家に連れて行った。


 魔術で浮かせたままで、剣を外し、濡れた洋服を脱がせて、クリーン魔法で全身を綺麗にしてから、ベッドに寝かした。


 傷は脇腹を撃たれていた。



「消毒」


「透視」



 傷を視て、魔術で治していく。



「治癒」



 手をかざして、意識を集中する。


 銃弾は貫通しているし、臓器は傷つけていない。


 脇腹の傷は、すぐに治るだろう。


 頭を視ると、幸い脳出血の様子はない。


 目を覚ませば、安心できるだろう。


 フラウムは治療を終えて、準備をしておいた平民の寝間着を着せた。


 この家には、フラウムしか住んではいない。


 それから、男が着ていた制服のポケットの中を探る。


 名前が刺繍されていた。


 ―――――パルマ・クロノス


 手紙にあった名前だった。


 フラウムは男をベッドに寝かせたままにして、今日採ってきた薬草を片付けることにした。


 しばらくは眠るだろう。


 その間に、やることはたくさんある。



 +



 お風呂に入って夕食を食べた後、フラウムは寝間着に着替えず、普段着を着ていた。


 見知らぬ男がいる家の中で、薄着な寝間着など着られないから。


 ベッドにもたれて、今日使ったブレスレットに魔力を注ぎ込んでいる。


 水晶が5つ並んだブレスレットの水晶は五芒星の形をとっている。その周りにくるりと一周水晶が並んでいる。水晶の数は20個ある。フラウムには大きな物だ。それは、皇妃様がお守りにとくださった物だ。その水晶に魔力を注ぎ込むと、透明な水晶が緋色になっていく。この色はフラウムの瞳の色と同じ色をしている。


 精神を集中させるその作業は、フラウムは好きな作業だ。


 まだ目を覚まさない彼の手首にも水晶のブレスレットをしていた。


 その水晶の色はラピスラズリのような、美しい瑠璃色をしていた。


 彼のブレスレットの形は、フラウムの物とお揃いだ。


 髪の色はプラチナブロンドで、目を開けたらさぞかし美丈夫だろうと思える。顔立ちもとてもいい。背丈もフラウムのベッドから足が出てしまうほどだ。背も高いのだろう。


 年の頃は20代前半のような気がする。



(このお方が、皇子様なのかしら?)



 水晶は使われた様子はなく、突然、襲われたような気がする。


 魔力を少しでも練って、魔法を使い戦ったのなら、水晶の中の魔力は減っているはずだが、使った様子は全くない。


 油断をしているときに、突然、襲われたのだろう。


 仲間か、友人か……どちらにしても気持ちのいい物ではない。


 人の裏切りほど、醜く残酷な物はないと、フラウムは思っている。



「……ん」



 苦しげな声を出して、彼が目を覚ました。


 フラウムは、彼をのぞき込んだ。



「お加減はいかがですか?」


「私は、どうしたんだろう?」


「覚えていらっしゃらないのですか?」


「ああ」


「お名前は覚えていらっしゃいますか?」



 彼は、手で額を押さえた。



「痛みますか?」


「ああ、痛いな」


「崖の上から落ちたようなのです。脇腹に銃で撃たれた怪我もしていました」


「そうなのか?」


「はい、治療はいたしましたが、しばらくは休んでいてください」


「世話をかけた」


「それでお名前は覚えていらっしゃいますか?」



 彼は、大きく息を吐くと、首を左右に振った。



「覚えていない」


「記憶がないのですか?」


「ないな」



 フラウムは、じっ彼彼の頭を視る。



(傷はない。出血もない。打撲はあるが、それ以外に外傷は擦り傷くらいだ)



「身につけていた洋服は、帝国騎士団の制服で、刺繍でパルマ・クロノスと記名されていました」


「パルマ・クロノス?」


「思い出せませんか?」


「思い出せない」

 


 彼は額を押さえて、目を閉じた。


 暫く、フラウムは彼の様子を見ていたが、嘘を言っているようには見えなかった。



(手紙にも記憶喪失と書いてあったわね)



「お食事は召し上がれますか?簡単な物しかありませんが」


「腹は減ったな」


「それでは、食事の用意をいたします。傷の手当てをするために、洋服を着替えさせました」


「ありがとう」



 暖炉で冷めてしまったスープを温めて、パンと鶏の煮物も温めた。


 男に目を向けずに、グラスとカトラリーをテーブルに並べると、素早く食器も並べていく。


 起き上がった彼がテーブルのところに来た。


 自力で歩けるようで、安心した。



「いい香りがする」


「簡単な物ですけど」


「ありがたい」



 椅子に座ると、並べられた食事を食べ出した。


 カップには温かな紅茶を入れる。



「美味しい」


「お口にあって、よかったです」


「お嬢さんが、作ったのか?」


「ええ」



 フラウムは、2脚しかない椅子の片方に座ると、食事を食べている彼を見ていた。


 思った通り、とても魅力的な顔立ちをしていた。


 瑠璃色の瞳は珍しいと言われている。


 フラウムが学んだ中で、この瑠璃色の瞳を持つのは、皇帝一家だと知っている。やはり皇子様のようだ。


 フラウムは幼かったので、社交界デビューはしてなかった。なので、皇子の姿を見たことはない。


 名前は知っているが、顔と一致はしない。


 平民の寝間着は粗末な物だが、彼が着ると、それなりに見える。


 寝間着は大きすぎず、ちょうどよかった。



「家族に連絡をしたらどうかしら?見知った相手に会えば、記憶は戻るかもしれませんよ」


「家族か……」


「嫌ですか?」


「私は命を狙われたのですよね?でしたら、記憶のない、今、ノコノコ顔を出すのは得策ではないと思うのですが、どうでしょうか?」



 どうでしょうか?と訊かれて、フラウムもそうかもしれないと思ったが、この家は狭い。


 二部屋あるが、一部屋は作業部屋になっている。


 ベッドも一つしかない。


 見知らぬ男と一緒に住む危険もある。


 なんと答えていいかわからない。



「できれば、記憶が戻るまで、お世話になれませんか?」


「この家にはベッドが一つしかないのです」


「お部屋は他にありませんか?」


「作業部屋しかありません」


「それでは、私は作業部屋をお借りしてもいいでしょうか?」


「お布団もありませんよ?」


「それでも、構いません」



 彼は深く頭を下げた。



(うっかりしていたわ。お布団を用意するのを忘れていたなんて)



「どうか、匿ってもらえないか?」


「わかりました。でしたら、わたくしが作業部屋で眠ります。作業部屋は薬剤の調合室なので、誰も入れないようにしております」


「それでは、貴方に迷惑をかけてしまいます」


「あなたを拾ってきたのは、わたくしです。ここに住ませるのなら、やはり作業部屋はわたくしが使います。あなたがお薬に混ぜ物をするのかわかりませんが、わたくしがしている仕事は、人の体を治すための薬の調合ですので。万が一などあってはならないのです」


「ご迷惑をおかけします」



 彼はまた頭を深く下げた。



 +




「気分が悪くなったら、声をかけてください」


「ベッドを借りて、申し訳ない」


「いいえ、あなたは怪我人ですから、安静にしてください」



 フラウムは彼をベッドに寝かすと、暖炉に薪をくべ、隣の部屋に入った。


 季節は秋だ。


 標高が高い場所などで、10月でも肌寒く感じる。


 寝室とダイニングは繋がっていて暖炉もあるが、仕事部屋は野草と薬棚があるだけで、暖をとれる場所はない。


 部屋には寒いとき用に、ブランケットは一枚置かれているが、それだけだ。



(手紙に書かれている事以外にも、自分でいろいろ考えなくては、布団を忘れるなんて、致命的ね)



 このままでは、風邪を引きそうだ。


 ブランケットで体を包むと、作業台の椅子に座った。


 床に寝転ぶよりは、暖かだろう。


 作業台にうつ伏せ、目を閉じた。


 昼間、山を歩き薬草を採っていたので、体は疲れ果てている。


 最初は震えていたが、吸い込まれるように、眠りに落ちていく。



 +



 パルマ・クロノス


 ベッドの中で、自分の名前だと教わった名前を心の中で呟いてみるが、自分の名前だとは思えない。


 着ていた洋服も見せてもらったが、何も思い出せない。


 自分は誰だろうかと考える。


 ベッドルームと小さなダイニングルームは繋がっていて、部屋の端に厨房がある小さな家だ。


 彼女は名乗らなかった。


 気になったが、自分も訊かなかった。


 自分の体調を気遣って、部屋を暖めて、隣の部屋に入っていった彼女は、まだ幼く見えた。


 まだ子供だと言える年齢だと思える。


 疲れが出ているのか、彼女を見ると目がかすむ。


 けれど、美しい令嬢だと分かる。


 もしかしたら、女神様が降臨したのではないかと思った。


 慈悲深く、温かな食事と暖かな部屋にベッドまで与えられた。


 脇腹に怪我を負ったって治療をしたと言っていたが、見た目ではどこにも傷は残っていなかった。


 触れたら、多少違和感はあるが、痛みまではない。


 ――――――――帝国騎士団の制服。それに、剣。


 自分はそこに所属していたのだろうか?


 見せられた制服にも見覚えがない。


 記憶を失い、これからどうして生きていくのか……彼女の世話になってもいいのだろうか?

 

 腕には瑠璃色のブレスレットをはめている。


 これが、水晶でできているのは覚えているし、魔術を使うのだと分かるが、全く自分が分からない。


 不安で、眠れない。


 強い風が吹いて、窓が大きく揺れた。


 冷たい隙間風が流れていく。


 彼女は寒くないだろうか?


 与えられた部屋は、暖炉が付いていて暖かだが、気温が下がってきているのが分かる。


 気になってベッドから降りた。


 ノックをしたが返事はない。


 そっと扉を開けると、作業室は冷え切っていた。


 こんな場所で眠っていたら風邪を引いてしまうかもしれないと思った。


 彼女はブランケットを体に巻き付けて、作業台にうつ伏せで眠っていた。


 部屋には入るなと言われていたが、寒そうに体を縮めている姿を見て、我慢ができなくなった。


 部屋に入ると、彼女を抱き上げて、寝室に連れてきた。


 軽い体をしている。


 力込めたら、壊れてしまいそうな華奢な体を大切に抱いた。


 そっとベッドに寝かすと、冷えた彼女を抱きしめて目を閉じた。


 

 +



「え?」


 目を覚ましたら、男の腕に抱かれていた。


 この状況を理解できずに、目の前の分厚い胸板を見て、顔を赤らめた。



 (なんて温かなんだろう)



 ベッドから降りようとしたら、体にブランケットを巻き付けたままで、身動きすらできない。


 ブランケットに簀巻きになった状態なら、何もされていないことは分かる。


 誰かに抱きしめられたまま眠ったのは、初めてだ。


 両親させ、フラウムを抱いて眠った事はなかった。


 顔を上げて、よく見ると彼は、端正な顔立ちをしていた。


 睫も長く、唇も形よく、教会の彫刻像を見ているようだ。


 フラウムを抱く腕は、逞しく、体つきも鍛え上げられた物だと分かる。


 今の状況が照れくさく、でも、嬉しくもあった。


 皇子様の腕に抱かれているのに、こんな節操のない自分が恥ずかしくなった。



「あなた、わたくしを拘束している腕を緩めなさい」



 恥ずかしく、凜とした声で命令した。


 瞼が震えて、ゆっくり瞼が開いた。


 瑠璃色の瞳が、フラウムをじっと見て、頬を染めて、慌てて拘束を解いた。



「すまない」


「あなた、作業室に入ったのね?入らないでと言ったのに」


「昨夜は、ずいぶん、冷えてきたのだ。風邪を引いてしまうかもしれないと思うと、放っておけなかった。同じベッドで眠ればすむことだと思ったのだ」


「うら若き乙女が見ず知らずの男性と同衾するなど、はしたない。わたくしは、軽い女性とは違います」


「すまない。命の恩人の貴方を傷つけるような事はしないと約束しよう。この部屋は暖かい。互いに暖を取る目的なら、貴方を温めたい」


 どこまでも真っ直ぐな瑠璃色の瞳は、真実を語っている。


 心眼で見なくても、その瞳を見れば、彼は疚しい気持ちなど微塵もなかったのだと分かった。



「食事の支度をしたいの、手を離してください」


「すまない」



 背中を抱いていた手が離れると、途端に寂しいと感じた気持ちが、どんな気持ちであるかフラウムは分からない。


 体に巻き付けたブランケットを緩めると、フラウムはベッドから降りた。


 確かに夕べは寒く、フラウムもこのままでは風邪を引いてしまいそうだとは感じていた。


 部屋に勝手に入った事は、許せないけれど、体を労ってくれた気持ちは素直に有り難い。



「……ありがとう」



 背を向けてお礼を言うと、厨房の脇にある水桶から水をくみ、顔を洗った。


 冷たい水で、火照った顔は冷めた。


 タオルで顔を拭くと、暖炉に掛けてある鍋から湯を取り、紅茶を淹れる。


 部屋にいい香りが広がっていく。紅茶をカップに注いだ。



「紅茶ですけれど、よろしかったらどうぞ」



 声を掛けると、外に出て、野菜や卵を持ってくる。


 空は晴れているが、かなり冷えている。


 野菜を洗い、サラダを作ると、暖炉で調理を始めた。


 危ないが、ここに火が点っているなら、無駄な火は熾さない。


 パンも暖炉で温める。


 卵を使った簡単な料理を手早く作ると、彼がフラウムの真似をして、顔を洗い、テーブルに着いた。



「上手いものだな」


「そうね、簡単な物しか作れないけど、パンは村で買ってくるの。昔は自分で作ってみたのだけれど、上手く作れなくて、断念したのよ。決まった金額が手に入るようになってからは、村で買うようになったの」



 フラウムは、お皿に卵料理とパンを置くと、フライパンをシンクに置いた。


 水につけておく。


 テーブルに着くと、一緒に食べ始める。



「いただきます」


「いただく」



 サラダと野草の卵炒めとパンだけなので、朝食もすぐに済んでしまう。



「おかずはもうありませんけれど、パンのおかわりはあります。いかがですか?」


「では、もう一ついただこう」


「粗末な物しかなくて、恥ずかしいのですけれど」


「いや、君は15歳くらいだろうか?」


「ええ、この間、やっと16歳になりました」


「ご両親は?」


「母が祖父の家におります。この地に来たのは13歳の頃でした。持ち合わせはある程度、持っていましたので、この家を買いました。薬草を採るついでに、野草を採り、野菜の代わりにしています。サラダの野菜や卵や肉やパンは村の市場で買っています」


「一人で全てしているのか?そんなに幼い頃から?」


「幼いと言っても、市井では13歳はもう大人と混じって働いていますわ。わたくしも自立しただけです」


「薬を売って?」


「ええ、初めは子供の作る薬は得体が知れないと言われて、誰も買ってはくださいませんでした。3年前に流行性の疫病が流行ったときに、それに合わせた薬を作りました。皆さん、わらにも縋る思いで、買ってくださったのです。この村では、死人は出ませんでした。それ以来、お薬を売っているのです。割安で提供しているので、収入は安いですけれど、生活できるだけは、いただいています」


「名前を聞いてもいいだろうか?レディ」


「そうね、レディも素敵ね。わたくしの名前はフラウムというのよ」


「フラウム?」


「ええ、そうよ。実家の都合で、修行の為にここで働いているのよ」


「ここで、修行をしているのか?」


「ええ」



 フラウムは食器をシンクに運ぶと、暖炉に引っかけている鍋の中から湯を取りだし、食後の紅茶を淹れだした。


 いい香りが広がる。



「大丈夫よ、あなたは頭に傷を負っていないわ。ショックか、頭を打ち付けた衝撃で、一時的に記憶を失っているだけだわ。だから、少し落ち着いたら、自分の名前も立場も思い出すでしょう。どうして狙われたのかも全て。今は何も考えずにゆったりしたらいいと思うわ」


「それがフラウムの見立てなのか?」


「ええ、医療の知識は幼い頃から持っているの。記憶が戻ったら、わたくしのことも忘れてしまうかもしれないわ」


「フラウムの事は忘れたくはない。命の恩人の貴方を忘れるなど、神への冒涜に違いない」


「大げさよ」



 紅茶をカップに注ぎ入れる。



「どうぞ。温かいうちに召し上がってくださいな」



 熱い紅茶をゆっくり口に運ぶ。


 香り豊かで美味しい。


 紅茶は母が時々、送ってくれる。


 紅茶を飲み干すと、新たな水を暖炉の鍋に足して、片付けを始める。


 シンクに置いた食器は、そのまま外に持って行き、小川で洗う。


 フラウムの動きを、彼はじっと追っている。


 冷えた外にまで出て、川で洗うフラウムを見ている。


「冷たかろう。私も手伝おう」


「いいのよ。すぐ済むわ」



 籠に洗った物を入れて、フラウムは立ち上がった。



「戻るわよ」


「ああ、外は冷える」


「あなたに洋服と外套を買った方がいいかもしれないわね」



 にっこり微笑んで、フラウムは家に戻っていく。



「荷物を持とう」


「ありがとう」



 彼はフラウムの手から籠を受け取り、一緒に歩いて行く。


 フラウムの手は凍えていた。


 その手を握りたくなったが、シュワルツは我慢した。



 +



 その夜から、フラウムと皇子は一緒のベッドで眠るようになった。


 皇子はフラウムに誓いを立てた。



「決して、貴方を危険な目に遭わさない。ベッドの中でも外でも、私が騎士であってもなくても、神に誓う」



 彼は無意識にしたのだと思う。


 従者の誓いをした。


 フラウムの前に跪き、フラウムの手の甲にキスを落とした。


 信じられない物を見て、フラウムは同衾を許した。


 彼はフラウムに命も掛けるという意味だ。


 フラウムは、早く彼の記憶が戻るといいと思った。同時に記憶が戻らなければいいのにと思った。



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