第7話 豪華な旅
テールの都まで、馬車で一週間かかると言われた。
騎士を連れた馬車は宿場町に着くと、立派な宿屋の前に止まった。
「今夜はこちらで、お休みください」
馬車の窓から声をかけたのは、シュワルツの側人の一人、エスペル・ノアだった。
ケイネス・リザルドルフが、馬車の扉を開けてくれる。
「さあ、皇子」
「フラウム、行こう」
「ええ」
シュワルツは先に馬車から降りると、フラウムに手を伸ばした。
その手を取ると、引き寄せられて、抱き上げられた。
「歩けるわ」
「まだ、足が痛むのであろう」
「もう、平気よ」
「私が抱き上げたいのだ」
フラウムは、今夜、強制的に足首の捻挫の治療をしようと思った。
恥ずかしくて、顔も上げられない。
案内された部屋は、寝台が二つある、広い部屋だった。暖炉があり温かい。
「温泉が湧いておりますので、大浴場になるそうです」
温泉は入った事はなかった。
一人旅をしたときは、安宿を探して、一番安い部屋を探した。子供だけだと知ると泊めてもらえる宿もなく、野宿をすることも多かった。
こんな立派な宿に泊まるのは初めてだ。
「フラウム様、生憎、女性の従者は同行しておりませんが、一人で平気ですか?」
「大丈夫ですわ」
「暫く、貸し切りにしていただくので、お先にお風呂にどうぞ」
「ありがとうございます」
「フラウム、私と一緒に入るか?」
「駄目です。わたくしは未婚ですので、殿方に裸体を見せるなどはしたないことですわ」
「そうか、残念だな。子供でも作って帰ったら、父君も母君も喜びそうだと思ったのだが」
「とんでも、ありません」
フラウムは、シュワルツの手を振り払って、着替えを手にする。
「お風呂に行ってきます」
シュワルツをさっさと置いて、顔を真っ赤に染めたフラウムは、貸し切りになったお風呂に向かっていった。
「一緒に参ろう。少しからかってみただけだ。フラウムの嫌がる事はせぬ」
「あなた、記憶が戻ったら、なんだか意地悪になったわ」
フラウムは頬を染めたまま、シュワルツを睨んだ。
どんなに睨まれても、フラウムが愛らしくて仕方ないシュワルツは笑顔だ。
+
「気持ちがいいわ」
溢れるほど湯が沸いている。
肩までゆっくり浸かる湯は、3年ぶりだ。
「あの家は、お風呂の設備がなかったのよね。お風呂を作ればよかったわ」
3年分の疲れが、お湯に溶け出すようだ。
もし、あの家に戻ったら、お風呂を作ろうと思った。
(水は川から転移させて、湯を慈愛の熱で温めればできたわね)
湯船を置く場所はどこがいいか考えるが、湯浴みをしていた狭い場所しか思い当たらない。洗い場が見当たらない。あの家では難しいだろうか?
小さな湯船を置いたら、洗い場はできるかしら?
そうしたら、家の改装をしなくては。
防水処理をして、水が流れるようにしなければ、体は洗えない。
あの家に戻るかもしれないと思っているのに、どうして、一緒に来てしまったのだろう。
皇妃様は許してくれるか分からない。
好きになったシュワルツと一緒になることもできないかもしれない。
それに、実家に帰れない。帰ったら、きっと殺される。
母のように……。
(これから、どうしたらいいのかしら?)
シュワルツが誰かと結婚するところを見ることになるかもしれない。
そうしたら、自分は正気でいられるかしら?
(わたしは平民になったのだから、予定通り、この帝国を出て行こうかしら?)
母の実家を頼ることも考えた。
緋色の血族なのだから……そうすると、一族の誰かと結婚を勧められる。
シュワルツと結婚できないなら、それもいいかもしれない。
毎日働いても、安い賃金で食べるものもない時もあった。
愛はなくても結婚はできる……。
お風呂の中で、フラウムはいつしか泣いていた。
「フラウム」
突然、名前を呼ばれて、フラウムは慌てて返事をした。
「気分でも悪いのか?出てこないから心配になった」
「今から出ます」
「外で待っている」
「……はい」
フラウムは顔を洗って、大きな湯船から立ち上がった。
用意されたタオルで髪と体を拭うと、持ってきたワンピースを着る。
脱衣所から出ると、本当にシュワルツは待っていた。
フラウムを見ると、優しく微笑む。
「心配した」
「3年ぶりの暖かなお風呂に感動していました」
「あの小さな家では、かけ湯だったな」
「ええ、あの家にお風呂は置けないか考えていました」
「フラウム、もう手放すつもりはないよ。あの家に戻ることもないから。そんな心配はするな」
シュワルツの指が、フラウムの瞼に触れる。
「一人で泣くな」
「……はい」
シュワルツは軽々フラウムを抱き上げた。
宝を抱くように横抱きにされて、頬が熱くなる。
「フラウムは温かいな」
「あなたは冷えてしまったわね。ごめんなさい」
「気にするな。今、フラウムで暖を取っている。
部屋に戻ると、床に下ろされた。
部屋の中には暖炉があった。
室内は暖かい。
フラウムは鞄を開けると、クリームと櫛を出した。
顔にクリームを塗ると、髪を梳かした。
「フラウム、櫛を貸してくれるか?」
「すぐに済むわ」
「いや、私がフラウムの髪を梳かしたいのだ」
「そんなこと、殿方はしないわ。父だってしてなかった」
両親を思い出して、父の愚行も一緒に思い出して、唇をかみしめる。
「私の父は、母の髪を梳かしていた」
「素敵なご両親ね」
「ああ」
フラウムの手から櫛をもらうと、丁寧に髪を梳かしてくれる。
同時に、温風が出て、髪も乾かしてくれる。
「魔法を使っているの?」
「ああ、記憶を取り戻したら、魔法の使い方も思い出した」
「記憶は戻ると思っていたけど、わたしは思い出さないでって思っていたの」
「別れるのが辛かったのだろう?」
「そうよ」
「私も思い出さなくてもいいと思っていた。あの生活が幸せだったのだ」
「でも、思い出してしまった。わたしは、すごく不安なの。テールの都で、どこに住むの?実家に帰ったら、虐められて殺されるわ。母の実家に身を寄せれば、血の濃い者同士、政略結婚を勧められるわ。お金は僅かしかないから旅館にも泊まれない。家も借りられないかもしれない。田舎とは違うもの」
フラウムは大きなため息をこぼした。
「宮廷に住めばいい」
「未婚のわたしは宮廷に住めないわ」
「結婚をしよう」
「そんなに簡単じゃないわ」
髪が乾いたフラウムを、シュワルツは抱きかかえた。
「今は私を信頼してくれ」
フラウムはシュワルツの胸で頷いた。
「ドレスと宝石をプレゼントしよう」
「それよりも、銀のスプーンをくださいませんか?とても怖いの」
「銀のスプーンか、すぐに手配をしよう」
扉がノックされた。
フラウムは、シュワルツから離れようとしたが、シュワルツが手を離してくれない。
「なんだ?」
「お食事を運ばせてもよろしいでしょうか?」
「頼む。その前に銀のカトラリーを揃えてくれ」
「かしこまりました」
エスペル・ノアが出て行った。
「シュワルツ、お歳は幾つなの?」
「話してなかった。私は21歳だ。誕生日が来たら22歳になる」
「お誕生日はいつですの?」
「1月15日だ」
「寒い季節ですね」
「フラウムはいつだ?」
「あなたを見つけた前日ですわ。10月12日です」
「視察がもう少し遅ければ、フラウムに会えなかったかもしれないのだな?」
「そうね、わたしはこの地を離れようかと迷っていましたから」
「ずっとフラウムに会いたいと思っていたのだ。次期皇帝になる事が決まるまで、お妃候補には会えない決まりになっていた。私が次期皇帝に決まった時には、フラウムは失踪していた。母君に慧眼を使ってもらいたいと思っていたが、慧眼は帝国に危機が訪れた時にしか使ってはならないと決められていた。フラウムのように、幼い身で慧眼を使える者は、この帝国でも数少ないだろう。私も得意ではない」
「でも、魔力切れを起こしてしまったの。役に立てない。あれから、何度も慧眼をしてみたけれど、どうしても犯人を追えないの。あっ、でも、父を視れば分かるかもしれないですね?見ず知らずのメイドを探したから分からなかったけれど、父が主犯であるなら確かめられそうです」
どうして気づかなかったのだろう。
すぐにでも確かめたくなった。
ブレスレットに触れる手を握られて、フラウムはシュワルツを見上げた。
「もうすぐ食事だ。どうしても確かめたいのなら、食事の後にしてくれないか?」
「分かったわ」
「フラウムはずっと自作の粗末な食事しか食べていなかったのだろう?」
「そうね、お金がなくて食べるものがないときもあったわ。13歳の子の薬は売れなくて、誰も手を出そうとはしなかったの。流行病の時は、薬に魔力を込めていたの。確実に効く薬だった。子供が死にかけていた人が、最初に買ってくれたの。その子供は回復していったわ。それ以来、薬は順調に売れていったわ。毎日、魔力を込めた薬を作っていたわね。村の誰も死なずに済んだときは、とても嬉しかった。安値で売っていたから、儲けはほとんどなかったけれど、心は満たされたわ。それから、いろんな薬を作っていったの」
昔を思い出して、フラウムは微笑んだ。
シュワルツの手が、フラウムの手を握る。
「今日、持って行った薬の賃金はもらわなかったのだろう?」
「そうね、あるだけになるから、必要な人に渡るといいけれど。庄屋のおじさん、強欲だから、どうなるかしら?」
テーブルに豪華な食事が並びだした。
まだ湯気が出ている食事は、ずっと食べていなかった肉や魚を使った物だ。
「美味しそう」
母が生きていた頃は、殺されたシェフが美味しい料理を作ってくれた。
その頃に戻ったようだ。
暖炉の前から、テーブルの前に移動すると、目の前にシルバーのカトラリーが並べられていく。
「そのカトラリーはフラウム専用だ。毒が含まれていれば、変色するだろう。紅茶もこれで安心して飲めるであろう?」
「用意してくださったの?」
「当たり前だ。私も用心のために、お揃いで購入した」
「ありがとう。他人が作った物が怖くて、食べられなくなったの」
「毒味もされている。安心して食べなさい」
「ありがとう」
シュワルツは肉を豪快に切って、フラウムのお皿に置いた。
大きな魚の素揚げも、食べやすいようにお皿に置いてくれる。
スープはしっかりとした調味料で味付けされて、美味しい。お肉もお魚も野菜のあんかけも、忘れていた味だ。
「とても美味しい」
シュワルツは優しく微笑む。
「フラウムの作った食事も美味しかったが、これも美味しいな」
「わたしが作っていた物なんて、料理って呼ばないわ。比較するなんて烏滸がましいわ」
「そんなことはないぞ」
「シュワルツは優しすぎます」
「フラウムにだけだ。こちらの料理も食べなさい」
「うん」
甲斐甲斐しく世話を焼かれて、いつもよりもずいぶん食べていた。
シュワルツもいつもよりたくさん食べていた。きっと質素な料理は、シュワルツには物足りない物だったに違いない。
食事を終えて、眠る支度をする。
揃いのガウンが置かれていて、フラウムも着替えた。
フラウムはベッドに座ると、ブレスレットに片手で触れて、精神を集中した。
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