第8話 お母様

「シュワルツ、慧眼をするわ。苦しんでも、起こさないで」


「ああ、分かった」



 意識を集中していく。


 緋色のブレスレットの中の魔力が練られていく。


 ……

 …………


「あなた、最近、お帰りが遅いのね?領地で何か問題でも起きたの?」


「いや、領民が税金が高いと代表を何人か連れて、面談にやってきているんだ。こちらとしても、できるだけ領民に苦労をかけないように気を配っているのだが、道路の整備や土砂崩れの予防などしなくてはならない。領民の意見だけを聞くのも限界があると思わないか?」


「ええ、そうね。でもね、あなた、こう何日も泊まりでお仕事をしていたら、体に悪いわ。フラウムも寂しがっているわ」



 懐かしい母の声は優しく、父の健康を心から案じている。



「仕事なのだから仕方がないだろう」



 母の手が、そっと父の手に触れた。その手を父は撥ね除けて、苛々と応接間を歩いている。



「苛立つ事が多いのね。精神が落ち着くお茶でも淹れましょう」



 母は応接室から出て行った。



「全く茶を飲んだくらいで精神が落ち着くとでも思っておるのか?気楽な女だ。魔術は俺より上だし、緋色の魔術師と言われた魔女だ。人を癒やし、貴族からの謝礼金も弾んでいたが、結婚してからというもの。魔術もほとんど使いやしないから謝礼金も入りゃしない。お茶代も出ないじゃないか。娘も金ももらわず皇帝の元にやりやがって。何が約束だ。俺に似もせず、誰の子かも分からん。そんな娘に愛情など湧くはずがないだろうに。騙されたとも知らずに、馬鹿な女だ」



 父は窓辺で月を見ながら、小さな声で母を侮辱していた。


 俯瞰しているフラウムの胸はチクンと痛みを残す。


 これが、自分の父の姿だ。



「おとうさま」



 ノックの音がして、入ってきたのは幼いわたし。


 あれは、6歳か7歳か、それくらいの時期かしら?



「フラウム、皇妃様とは上手くやっているのか?」


「うまくですか?皇妃様はおかあさまのようにお優しいですわ。今日は一緒にお茶を淹れる練習をしましたの。おとうさまにもお茶を淹れて差し上げますわ」


「さしあげますわ……か、上品に話したって、まだ子供だ。俺の子だから嘘つきかもしれないな?」


「わたくしはうそつきではありませんわ」


「わたくしだと?フラウム、上品に話したところで、緋色の血は、穢れたのだぞ。今は望まれているが、年頃になれば、その血の穢れが魔力の弱いいらない子になるに決まっている。アミを誘惑し、緋色の魔術師と言われた血を穢すのが俺の役目。どうだ、成功しただろう?アミは皇帝とは結婚しなかった。この国を更に強固にする血は、少しでも減らせとの隣国サルサミア王国、キリマクルス・サルサミア国王の指示だ」


「おとうさま?」


「アミよりもフラウムの方が魔術は弱いだろう?それでいいんだ。皇太子とも結婚しなくてもいい。よわーい、帝国を作れとのお達しだ」



 髪を突然掴まれ、振り回される。



(お父様は諜者(ちょうじゃ)なの?隣国サルサミア王国、キリマクルス・サルサミア国王が指示をだしているのね?)



「いたいわ、おとうさま、やめて」



 フラウムは振り回されて、突然、髪を離されて、小さな体が勢いよく飛ばされていく。


 ガツンと顔がテーブルに当たって、フラウムは床に倒れた。



「うわーん」


「お嬢様!」



 侍女のミリアンが抱きしめるのと同時に、息をのんだ母が部屋に飛び込んできた。



「フラウム、どうしたの?怪我をしているじゃないの。ミリアン、フラウムを動かないように押さえていて」



 母はハンカチで血を拭うと、フラウムの顔に手をかざす。



「おとうさまが……」


「今は黙っていらっしゃい、フラウム。傷が残るわ」


「……はい」



(あの時、わたしは顔に怪我をしたんだったわ。それをお母様が治してくださった)



「もう、いいわよ。お部屋で暴れたらいけません」


「暴れていません。おとうさまが」


「ボタンに髪が引っかかって、少しビックリしただけだな?なあ、ミリアン」


「はい、そうでございます」



(ミリアン?誰だっけ?そんな侍女いたかしら?ミリアンもお父様と同じ諜者なの?)



「フラウム、よかったな。顔に傷が残らなくて。傷物になったら、次期皇妃にはなれないからな」


「そうよ。フラウムは私達の子供だけれど、この帝国の子と同じなの。きちんと自覚しなさい」


「はい、おかあさま」


「ミリアン、フラウムを寝かせてちょうだい。明日もお妃教育があるわ」


「かしこまりました」


「フラウム、おやすみなさい」


「おかあさま、おやすみなさい」


「お父様には言わないの?」


「おとうさまは、きらいです」


「フラウム、お父様は、お仕事がお忙しいのよ。せっかく帰ってきてくださったのだから、きちんとご挨拶なさい」


「……おとうさま、おやすみなさい」


「おやすみ、フラウム」


 ……

 …………


 ふらりふらりと意識がさまよう。



(お父様とミリアンを探るのよ)



 魔術を高める。


 指先が水晶玉に触れている。


 緋色の水晶玉は、既に2つ空になっている。


 ……

 …………


 濡れた音がする。


 クチュクチュヌチャクチュ……


 なんの音だろう?


 部屋の中は暗い。



「ああん、旦那様」



 フラウムは目をこらした。


 暗闇の中で、男と女が睦み合っていた。


 フラウムはまだ性的な事は何も習っていなかった。


 それが何か分からず、暗闇の中を近づいていく。


 父が裸のミリアンと抱き合っている。


 抱きしめているだけではなくて、父がミリアンに腰を激しくぶつけている。


 胸を揉み、激しく接吻している。


 もしかしたら、子を成す行為なのかもしれないと思った。


 父は不貞をしていた。


 これは不倫だ。


 部屋の中をよく見ると、我が家であった。


 客間の一室だ。


 お母様はどうなさっているの?


 フラウムは母を探して、家の中を彷徨った。


 母は自室で刺繍をしていた。


 けれど、その目元は涙で濡れていた。


 母は父が不倫をしていることに気づいていたのね。



(お母様、どうしてお父様をお叱りにならないの?お母様はそれで幸せなの?)



 フラウムは母の横に座って、母の横顔を視ていた。


 慧眼の中で慧眼を使った。



『あの侍女は辞めさせましょう。ミリアンは、エリックを誘惑するわ。こんな早い時間から客間で抱き合うなんて、わたくしの事を蔑ろにして酷い。実家に相談しようかしら?けれど、あんなに恋愛結婚だといって結婚したのに、きっと笑われるわね。それに、フラウムが結婚するときは、片親じゃ肩身が狭いわよね』



(わたしのために、我慢していたの?)



 母の声を聞いて、触れることができない母を抱きしめた。


 扉がノックされた。



「どうぞ」


「奥様、お嬢様が泣き出しまして」


「あら、フラウム、どうしたの?」


「お母様、怖い夢を見ました」



 9歳か10歳のフラウムが母に抱きついていった。



「まだまだ子供ね」



 優しい手が、髪を梳く。



「お母様と一緒にお部屋に行きましょう」


「手を繋いでいて欲しいの」


「いいわよ」



 小さなフラウムは部屋から出る前に、慧眼しているフラウムを視ていた。


 もしかして、気配に気づいて見に来た可能性もあるわね。


 フラウムは昔から気配に敏感だった。



(後は、何が必要?毒を塗った女よ)



 今度はお茶会の前に飛んだ。


 家のメイドが慌ただしく、お茶会の準備をしている。キッチンの方に歩いて行くと、亡くなったシェフがケーキを作っていた。


 フラウムはメイドの顔をじっと見て歩いた。紅茶のカップに毒を塗っていた女を捜す。



(見覚えのない顔の女だったわ。あ、いたわ)



 女に近づき、再度、『慧眼』を行う。



『毒は塗ったわ、大丈夫、上手くいくわ』



「エミリア、そろそろお迎えだ」


「ええ」



(エミリア?お父様の再婚の女の名前だわ)



『これで結婚できるわ、エリック』



「皆さん、今日は粗相のないように、お願いしますね」



(お母様)



 お母様と目が合った。


 まるでこちらにいらっしゃいというように、お母様が空き部屋に入っていった。


 フラウムはその後を追う。



「幾つのフラウムかしら?この間も来ていたわね」


「お母様、わたしの姿が見えるのですか?」


「ええ、それは慧眼ですね」


「お願いがあるの。今日、紅茶は飲まないで。殺されてしまうの。エミリアがカップに毒を塗ったの。死んでしまうの。お願い。お母様」


「指示をしているのは、エリックね」


「そうよ、お父様なの。今、証拠集めをしているの」


「幾つのフラウムなの?」


「16歳よ」


「お父様とは仲良くしているの?」


「13歳で家を出たわ。お父様は女を連れてきて、わたしの居場所はなくなったの。女はエミリアよ。わたしより、一つ年下の娘がいるわ」


「そんなに大きな娘が?」


「だから、運命を変えましょう。紅茶を飲まないで」


「今日、殺されるのね?」


「お願い、紅茶を飲まないで。わたしを遺して死なないで」


「これは運命なのでしょう?」



「飲まなければ、運命だって変えられるわ」


「ここでお茶を飲まなければ、シュワルツ皇子と会えないわよ」



 お母様は微笑んだ。



「お母様、慧眼を?」


「フラウムにできることは、私にもできるわ」


「それでも、生きて欲しい。そうよ、おじいさまに助けを求めましょう」


「無理よ。今のフラウムを消してしまうわ」


「そんなの、どうでもいいの。お母様、お願いします。紅茶を飲まないで」


「フラウム、愛しているわ。幸せになって」



 母の手がフラウムを抱きしめた。


 実態がないはずなのに、暖かな体温を感じる。


 視界が暗くなって、体が重くなる。



「魔力切れだ」


 聞き覚えのある男性の声が聞こえる。


 抱きしめていたのは、シュワルツだった。


 フラウムは、声を噛みしめて泣く。



「お母様とお話ができたの。お茶を飲まないでってお願いしたのに、飲んでしまったのね」


「今は少し眠りなさい」



 フラウムのブレスレットの水晶玉は、全て透明になっている。


 泣いていたフラウムは、気絶するように眠りに落ちた。


 涙で濡れた顔を乾いたタオルで拭くと、そっと唇を合わせた。


 シュワルツの魔力をフラウムに送っているのだが、僅かにしか送れない。


 魔力切れを起こしても死ぬことはないが、体が疲労で重くなる。


 希に発熱を起こすことがあるので、薬もあるが、今は休んだ方がいい。


 慧眼は、ただでさえ魔力を使う。


 普通は、一度の場所、事を調べるために短時間だけ使うが、フラウムは1時間近く慧眼を使っていた。一カ所ではなく、何度も時間を渡っていたのだと想像が付く。


 母と会話ができたのならば、相当の力を使っていたのだろう。


 シュワルツにはできない魔術だ。皇帝一家では、唯一、母が使い手だが、一カ所に渡り、一つのことを調べるだけで寝込む。それほど難しい魔術なのだ。


 シュワルツは従者を呼んだ。



「皇子、どうかされましたか?」


「皇帝に手紙を書くときは、フラウムの事は内密にと書き添えて欲しい。フラウムは実の父に命を狙われておる。帝国を揺るがす秘密を抱えておる。暗殺されては困る」


「どのような秘密でしょうか?」


「詳しくは、訊いてはおらんが、実家に知られないように連れ帰りたい」


「かしこまりました。早速、早駆けを送ります」



 従者は、深く頭を下げた。


 シュワルツはフラウムを腕に抱いたまま、寝台に横になった。


 フラウムが時々、口にした単語を組み合わせたら、想像以上に帝国を揺るがす言葉になる。


 訊いたら、話してくれるだろうか?


 こぼれた涙を、手で拭うと布団をしっかり掛けて、一緒に眠った。



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