第5話 好きだから

「あなた」



 レディが走って庭に入ってきた。



「どうかしたのか?」


「大変なの。まだ帝国騎士団の者達があなたを探しているの」



 レディは涙を流し、薬草の入った籠を落として、顔を覆った。


 涙がポロポロと流れている。


 転んだのか、ワンピースが破れていた。チラリと見えるレディの膝から血が流れている。



「レディ、膝は痛まないのか?」


「そんな事よりも、逃げ出さなくては」


「どこに逃げるんだ?」



 そう聞かれて、フラウムは逃げ場所などないことに気づいた。


 この家にはしっかり結界が張ってある。


 見えなくなる魔術も何十もかけている。


 今、できることは全てしているのだ。



「逃げ場はないわ」



 小さく答えて、落とした籠を拾う。


 散った薬草と野草を拾う。


 シュワルツは、一緒に拾った。



「ありがとう。今日は何度も落としてしまったから、綺麗に洗わなくては」



 小川の方に歩いて行く後ろ姿は、寂しそうに見えた。



「木はもう切らなくてもいいわ。薪はあるだけで構わないから。もう森に行かないで」


「私の仕事を奪うのか?」


「森は危険よ。薪は買えばいいわ」



 森で何があったのか、レディは肩を落として、足を引きずっている。


 危険なのは、レディの方だ。


 やはり、彼女を置いて、ここを離れる訳にはいかない。


 どのように、説得をしようか?


 シュワルツは、レディの後ろ姿を見ながら、考えた。


 それにしても、この家は何十も魔術がかけられている。


 結界まで張ってある。


 レディは何者か?


 名前をどうにか聞き出したい。


 シュワルツは記憶を取り戻してから、この家が異常なほどの魔術がかけられた家であることに気づいた。


 遮断、結界、他にもあるだろうか?


 それも何重にもかけられている。


 こうして、自分は守られてきたのだと、今更気づいた。



 +



 この家の風呂は、一人がやっと入れる桶に湯を張って、石鹸で洗い、湯が入れられた別の桶の湯を使ってかけ湯をするだけだ。


 フラウムは髪が長いので、洗うのは大変だ。


 何度も切ろうとしたが、母の面影があるフラウムは、髪を切ることで母の面影をなくしそうで、不自由な生活を受け入れている。


 膝の怪我は、血を洗い流してから行った。


 足の捻挫は、暫く不自由な生活になるだろうが、治療をするまでではない。


 人には自然治癒力が備わっている。


 治癒魔法は、自然治癒では治らない限界の物に一般的に行う物だ。


 その見極めは術者の裁量による物が大きい。


 人によっては、フラウムの負った捻挫も、靱帯の損傷を強制的に治して、魔力を送り込むことで炎症を引かせる者もいる。


 フラウムは自然治癒を推奨している。


 自力で治るほどまでは、魔術で治すが、後は自己免疫を使い治す方が、病気に強い体になる。


 浸かっていた桶をクリーン魔法で洗い、体を拭くと、ワンピースを身につけた。


 暖炉で湧かせたお湯を取りに行く。


 危ないので、フラウムはこのときは、魔術を使う。


 転移魔法で桶の中に湯を転移させ、水瓶の中の水を鍋にかける。


 水瓶の水もお風呂の桶に転移させ湯加減を見る。


 かけ湯のお湯は強制的に水を温めた。それを転移させる。



「あなた、お風呂にどうぞ」


「ありがとう。それにしても素晴らしい魔術だね?」


「え?」



 こんなことを言われたのは初めてだ。


 もしかして、記憶が戻り始めているのだろうか?


 もしかしたら、もう記憶は戻っている可能性もある。



「冷めるわ」


「ああ、いただくよ」



 彼は風呂場に行った。



 顔に塗るクリームと櫛を魔術で取り、顔にクリームを塗り、櫛で髪を梳かす。


 暖炉の前で、手で暖炉の熱風を入れて、髪を乾かす。


 クリームと櫛は、元の場所に戻しておく。


 衣服やシーツの洗濯は、クリーン魔法を使う。


 水瓶の水が減ってしまったので、川の水を転移させて、浄化する。


 この家は、魔法にあふれている。


 彼がお風呂に入っている間に、魔法を使い、料理は手作りしている。


 ベーコンが安価で手に入ったので、今夜はベーコンを野草と炒めて、目玉焼きを添えた。


 暖炉でパンを温めておく。


 彼はパンを3個食べる。フラウムは1個だ。



「今日は豪華だな」



 お風呂から出てきた彼が、テーブルに並べられたお皿の上を見て、微笑んだ。



「ベーコンが売っていたの。野菜は野草だけれど。そうね、今日はいつもより豪華ね」



 コップに白湯を入れて、パンを並べると、椅子に座った。


 二人で「いただきます」をして、食べ始める。


 静かな食卓だ。


 今日は彼は何も話さないし、フラウムも黙っている。


 いつもと雰囲気が違うような気がするのは、勘ぐりすぎだろうか?


 フラウムは不安に包まれていた。


 食器をシンクに運び、水をかけてから、食後の白湯をコップに入れて、向かい合った。



「レディ、お願いがあるんだ?」


「なにかしら?」


「名前を教えてはくれないか?」


「レディでいいのよ。それとも名付けをしてくれるの?」


「捨てたい名前を知りたい」


「どうして?」



 フラウムは彼の顔をじっと見た。


 彼も視線を外さない。


 見つめ合って、フラウムは、諦めのため息をついた。



「あなた、記憶を取り戻したのね?」


「ああ」


「それで、あなたは誰だったの?」


「その前に、レディの名前を知りたい」



 13歳で家を出て一人で生活を始めた彼女の名前をどうしても知りたかった。



「わたしは13歳で家出をしたの。家名はその時、捨てたわ。ただのフラウムよ」


「母の名は、アミ・プラネット侯爵だね?」


「母の名を知っているの?」


「レディの名は、フラウム・マスカート伯爵令嬢だね?」


「家名は捨てたの」


「どうして?」


「父と母は周りの反対を押し切って恋愛結婚をしたのに、父は母を裏切っていたのよ。母は毒殺されたの。


 わたしの13歳の誕生日の前だったわ。お妃教育から戻ったら、母はもう亡くなっていた。この瞳で母を視たの。


 毒による殺害だと分かった。父はシェフを犯人にして、シェフはたいした取り調べも受けないまま処刑されたの。


 最後まで無罪だと言っていたわ。わたしは慧眼を使って、母の死因を調べていった。母はお茶会の紅茶を飲んで死んだの。


 そこから更に遡った。誰が母のカップに毒を入れたか知りたかったの。知らない顔のメイドが、母のカップに毒を塗っていたわ。


 それを指図した犯人を捜したかった。けれど、まだ12歳のわたしの魔力ではそれ以上、慧眼を続ける力はなかったの。


 魔力切れを起こしたの。悔しかった。もっと力があれば、犯人が分かったのに。けれど、恋愛結婚をしたはずの父が、母の埋葬から1週間後に継母と義妹を連れてきたのよ。義妹はわたしより、たった一つしか歳が違わなかった。


 父は、母をそんなに早くに裏切っていたのよ。継母に母の私物を全て与えて、わたしには屋根裏部屋に移れと言ったのよ。わたしに毒を盛られるかもしれないなんて言って。わたしは屋根裏部屋に移って、食事ももらえなくなったわ。


 母を殺したのは、慧眼を使わなくても分かったわ。父よ。母の次はわたしを殺すと思ったわ。だから、ドレスを全て売って、資金を貯めたの。宝石は全て持ってきたわ。万が一の時は換金しようと思って。でも、母が買ってくれた宝石だもの。売れるはずがないわ。お小遣いも全て持ってきた。


 苦労しても、食べるものがなくても、自分で稼いで生きていかなくてはならなかったの。16歳の誕生日を迎えたら、この帝国から出て行こうと考えていたわ。緋色の一族の名前を知らない国に行けば、わたしは医療行為ができる。今より、稼げるわ。そんな時に、あなたを助けてしまったの。そして(好きになってしまった)……」




 フラウムは一気に話して、彼の顔をじっと見た。




「それで、あなたは誰だったの?」


「この国の皇太子だった。シュワルツ・シュベルノバ。シュベルノバ帝国第三皇子だ」


「そう、その瞳を見た時、帝国の血を引いた者だと思ったわ」


「どうか、私と一緒に戻ってはくれないか?私はフラウムを好きになってしまった。今更、別れたいとも思わない」


「行かない」



 フラウムは目を反らした。



「フラウムは私を好きだと思っていた」


「思い上がりよ」



 涙が、ポロポロこぼれる。


 本当は一緒にと言ってもらえて嬉しかった。


 けれど、お妃教育から逃げ出したフラウムには、もうその資格はないのだ。


 きっと他にもお妃候補はいたはずだ。



「ならば、どうして泣いておるのだ?」


「好きになってしまったから行かない。別れは辛いわ。殺されるのも怖いし、別れさせられる未来しかないなら、わたしはあなたを心に想いながら、違う土地で暮らすわ」


「フラウムが、私を守ってくれたように、今度は私がフラウムを守ると約束しても一緒に来てはくれないのか?記憶が戻ってから初めて気づいたのだが、この家は、何重にも魔術がかけられ、結界まで張ってあった。外から、この家は見えなかった。それほど強い魔法がかけられていた。それは私への愛情なのだろう?」



 シュワルツの手が、フラウムの手を握る。



「恋愛結婚は、もう信じられないの。きっと思い違いよ。父だって母を裏切ったの」


「だが、母君は父君を信じていたのではないか?」



 その通りで、涙が、またポロポロと流れる。


 母は死んでも、きっと父を想い続けているはずだ。



「どうかお願いだ。一緒に来て欲しい。私はフラウムを愛している。万が一、フラウムを妻にできないなら、皇太子の座を兄弟に譲る」


「そこまで、本気で思っているの?」


「本気にさせたのは、フラウムだ」



 フラウムは「連れて行ってください」と、頭を下げた。



「ありがとう、フラウム」



 フラウムは魔術を使って、食器とフライパンを綺麗に洗い上げ、籠にあげた。


 シュワルツは、起用に魔術を使うフラウムを見て、その魔力に驚き、そして、その美しさに感動した。


 フラウムはシュワルツにかけていた魔術の一つを解いたのだ。


 鮮明にフラウムが見える。



「ごめんなさい、あなたに、わたしの姿が鮮明に見えない魔術をかけていたの。緋色の一族だと知られるのが怖かったの」


「なんと美しい」



 目を引くのは緋色の瞳だ。薄紅色に染まった頬に、銀の長い髪はほんのりピンクかかった薄紫色をしていた。太陽の下で見たら、きっともっと美しく見えるだろう。



「出発はいつですの?」


「明日、従者が迎えに来る」


「着ていくドレスは持っていないわ」


「普段着で構わない。途中でドレスを調達しよう」



 フラウムは頷いた。



「薬棚を片付けなくては」


「手伝おう」


「お願いするわ」



 フラウムは席を立った。後から、シュワルツがついて行く。隣の部屋に入って、作りかけの薬を仕上げて、瓶に詰めた。空の旅行鞄の中に薬造りの材料と器具を入れていく。家から持ち出した母の医学書を入れる。この家の権利書も入れておく。



「それを持って行くのか?」


「これがあれば、わたしはどこでも薬を作ることができるわ。万が一、一人になっても生きていく術があるの。これは保険よ」


「フラウム、まだ不安なのか?」


「不安はあるわ。わたしは3年前にお妃教育から逃げたのだから」



 仕舞っていたお金と母が買ってくれた宝石も鞄に詰めた。


 旅行中の着替えになる洋服や下着は、布に包んだ。


 夏物の洋服は、纏めて布に包んで置いた。


 また着る事があるかもしれない。


 フラウムは、シュワルツを不幸にしてまで結婚を考えてはいない。



「準備はできたか?」


「ええ、後は明日の朝にでも」


「では、今夜はもう寝よう。いつもより遅いよ?」


「はい」


 二人で荷物をダイニングに運ぶとベッドに入った。


 シュワルツがおまじないのキスをくれる。


「フラウム、愛している。これからは一緒に幸せになろう」


「シュワルツ、ありがとう」



 ベッド中で抱きしめられて、フラウムは甘えるように胸に頬を寄せる。


 静かに目を閉じて、眠りに落ちていく。


 今日は、涙は出なかった。


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