第4話 不安

 朝目を覚ますと、パルマは剣術の稽古をするようになった。


 その間に、フラウムは着替えて、食事の支度をする。


 剣の腕は落ちていないように見える。


 魔法を使いながら、剣を振るう。軽やかに地面を蹴って、剣を振る姿は、凜々しく頼もしく感じる。



「お食事です」


「ああ、ありがとう」


「動いて、傷は痛みませんか?」


「傷を負った覚えも、傷跡もないから、どこが傷なのかも分からないよ」


「そう、それはよかったわ」



 パルマは小川で手を洗ってから、家に戻ってくる。


 今日は干し肉の入ったスープとパンだ。


 彼には物足りないかもしれないけれど、豪華な食事を作ることはできないし、材料も安くはない。薬は売れるが、店に置かせてもらっているので、手数料も取られる。手元に来るのはわずかだ。


 今までは一人で暮らしていたが、今は二人分、食費がかかる。


 パン代も安くはない。


 切り詰めて生活している。


 けれど、薪代は払わなくてもよくなった。


 彼が木を伐採して、薪にしてくれる。


 薪を買おうとしたときに、斧を買ってほしいと頼まれた。



「薪は私が作ろう」



 薪屋の叔父さんは不快そうな顔をしたが、薪代は高くて困っていた。


 一回の薪代で斧を買い、それから、彼が薪を調達してくれる。


 浮いたお金で、コンロの魔石もわずかに買えた。


「レディ、薬の手数料が高すぎではないか?」


「ええ、5割持って行かれているの。高すぎると言ったことがあるの。そうしたら、薬は置かないと言われたの。仕方なく、店主の指示した額を払っているの。わたしが子供だから、言いなりになると思ったのでしょう。わたしも収入源がなくなると困るから我慢しているの。自分でお店を出すことも考えたの。でも、店番をしていたら、薬草が採れないでしょう。だから、仕方ないの」


「私が物申すか?」


「あなたは、わたしの婚約者でさえないの。他人に言われたって、無視されるだけだわ」


「それなら、婚約者になろう。夫婦でも構わない」


「それは駄目よ。今は記憶を失っているだけで、自分の本当の意思ではないわ。誤解をしては駄目よ」



 フラウムは、彼の瞳の色で、皇帝の一族の可能性があると推測している。


 一途な瞳を向けられ嬉しく思うが、この気持ちは、いつかは忘れなければならない物だと思っている。


 彼の記憶が戻ったら、この土地を離れようと強く思い始めた。


 少なからず、彼と一緒に過ごすうちに、心に強く想う気持ちが湧いてきた。


 それが恋だと、この頃、気づいている。


 フラウムは、彼の一途さに惹かれている。


 名前も聞かれるのを嫌がっていると分かると、フラウムの事をレディと呼び、守ってくれる。


 フラウムもパルマ・クロノスとは呼ばずに、あなたと呼んでいる。


 仮初めの恋人同士なのだ。


 期間限定であるが、フラウムは彼を好いている。


 彼もフラウムを好いている。


 夜眠る前に、おまじないのキスをくれる。


 額に、一つ。


 明日も無事でいられるようにと願いを込めている。


 彼は、自分の記憶が戻るのを恐れているのだ。それが分かって、受け入れている。


 きっと彼の記憶は、近いうちに戻る。


 それを寂しく思う。


 彼に抱きしめられながら眠りに落ちる前に、涙がこぼれる。


 このまま、記憶が戻らなければいいのに……。


 この想いは、フラウムの我が儘だ。彼のためを想うならば、一日も早く記憶を取り戻す事を願うべきなのに、日を追うごとに我が儘になっていく自分を止められなくなってきた。


 別れの日、笑顔で別れられるように心の準備が必要だと思う。



 +



 彼と一緒に住むようになって2ヶ月が過ぎた。もう12月だ。


 彼は木の伐採に行った。


 フラウムは薬草と野草を摘みに山に入った。


 雪が降れば、山には入れなくなる。その前に、できるだけ薬草と野草を取らなくてはならない。


 山の中を歩き、数少ない薬草を採る。



「もう冬ね」



 薬草の数も減っている。


 空には厚い雲が垂れている。そろそろ初雪が降るかもしれない。


 外套の襟元をギュッと締め付けたとき、前方から男性が歩いてきた。


 男性二人は、帝国騎士団の制服を着ていた。


 頭を下げ、すれ違おうとしたとき、声を掛けられた。



「この辺りで、背の高い瑠璃色の瞳の青年を見かけなかったか?」


「いいえ」



 鼓動が早くなる。


 フラウムは、咄嗟に魔術を使い目眩ましの術を使って、フラウムの容姿を曖昧にさせた。


 そうしないと、緋色の瞳に気づかれてしまう。


 彼も危険だが、同時にフラウムも危険なのだ。



「知りません。どなたをお探しでしょうか?」


「知らないなら、いいんだ」


「足止めさせて、悪かったね」


「そろそろ、雪が降る。下山した方がいいだろう」



 男達は20代後半だろうか?


 彼より年上のような気がするのだ。


 フラウムは頭を下げて、下山の道を進んだ。


 彼は下山しただろうか?


 木を切る音はしない。


 家の周りには、魔術で見えなくしているが、まだ彼を探す帝国騎士団の連中がいると分かって、急に不安になった。


 走って下山して、途中で転倒した。


 籠が転がって、急いで籠の中に薬草と野草を入れて、また走り出す。


 姿を見るまで不安で、怖くて、彼が消えてしまいそうで……。


 心が悲鳴を上げる。


 どうか無事でいて。心が叫ぶ。



 +



「皇子、シュワルツ皇子殿下、ご無事でしたか?」


「ずいぶん、探しました。そのお姿は、どういたしましたか?」



 帝国騎士団の制服を着た男が、突然、声を掛けてきた。



「おまえ達は誰だ」



 剣を抜こうとしたら、男達は跪き、頭を下げた。



「私はシュワルツ皇子殿下の側人のエスペル・ノアと申す。隣におるのが、同じく側人のケイネス・リザルドルフと申す」


「皇子は、私達の事を覚えていないのですか?」


「ああ。皇子殿下とは誰だ?」


「あなた様です」


「なんだと?」


「恐れながらシュワルツ皇子殿下、暗殺者は捉えました。シュワルツ皇子殿下は、視察を終えたためにパルマ・クロノスと衣服を交換し、馬にて先に帰還するところでした。そこを反逆者であるマキシモ・メルスに銃撃されたのです。その反動で崖から落ちて川に転落したようです」


「マキシモ・メルス率いる残党は、第二皇子の指示の元、動いたことが皇帝の調べで判明しました。妃様の慧眼で、シュワルツ皇子殿下は存命だと分かりましたので、ずっと山の中を捜索しておりました」



 従者は、丁寧に言葉を紡ぐ。



「私はシュワルツ皇子だと?」


「記憶をなくしておいでですか?」


「ああ、ないが……だが……」



 シュワルツ皇子殿下と呼ばれて、記憶が遡る。



 +



「後は、戻るだけです。交代しましょうか?」


「そうだな。クロノスとは瞳の色が同じだけで、髪色も違うのに。影武者が務まるのだな」


「私は皇太子の従兄でございます。瞳の色以外は、あまり似ておりませんが、物真似の魔術を使うので、瓜二つです」



 馬車の中で衣服を交換して、二人で馬車から出てきた。


 並んで崖からの景色を見ていた。



「皇帝一家は、瑠璃色の瞳を持つ子供が生まれてくる」


「それ以外の子供は、魔力が低いので、権力争いから遠ざかっておるだけです」


「魔力、魔力と!魔力が強かった幼子がおったな」


「フラウム・マスカート伯爵令嬢ですね。プラネット侯爵家の長女、アミ・プラネットが恋愛結婚して、マスカレード伯爵夫人になった時の約束で、幼い頃からお妃教育をしてきた令嬢ですね。緋色の瞳を持ち、銀の髪がうっすらアメジストの色をした、たいそう美しい令嬢だったが、母が亡くなってから、失踪したそうです」


「私も会ってみたいが」


「失踪したのは、3年前になります。13歳の幼子に生きるすべはないでしょう。残念ですが、諦めた方が賢明だと思います」


「母上の慧眼で探すことはできないのだろうか?」


「慧眼や魔眼は魔力を大量に使いますので、何かの時以外は使いません」


「私の許嫁になったはずの令嬢ではないか。幼い頃からお妃教育を施して、私の元に嫁ぐ令嬢ではなかったのか?」


「皇妃様は、試しておいでなのかもしれません。一人で生き延びていたら、そのときは迎え入れるつもりかもしれません」


「どうだかな?」


 シュワルツが皇太子に決定したのは、3年前になる。


 ちょうど、フラウムが失踪した頃に次期皇帝が決まったのだ。


 この帝国では、第一皇子が即位するスタイルを取ってはいなかった。魔力の力が強い者が次期皇帝になる。ある程度、皇子が成長するまで、後継者は選ばれない。その反面、伴侶となる妃候補は、幼い頃に決められて、お妃教育を施される。


 現在、シュワルツの妃候補は何人かいるが、ダントツ一位を占めているのは、緋色の一族のフラウム令嬢だ。


 3年前に失踪したが、妃候補からは外されてはいない。


 一度、顔だけでも見ておけばよかったと思っても、皇太子になるまでは、妃候補に会うことは許されていなかった。



「シュワルツ皇子」


「なんだ?マキシモ・メルス」



 崖からの景色を見ていたシュワルツとクロノスが振り返った時に、突然、腹に痛みを覚えた。


 衝撃で体が浮き上がって、崖の下に落ちた。


 ドボンと川に落ちた。そこで気を失った。


 側人は、シュワルツの独り言のような回想を聞きながら、頷いていた。



「その通りでございます」


「その続きは、こうで、ございます」



 +



「死ね」


「マキシモ・メルス、謀反か?」


「パルマ・クロノス、貴様も死ね」



 胸を一撃されたパルマ・クロノスは、倒れた。


 お忍びで領地の視察をしていたシュワルツ一行には、最低限の近衛騎士と帝国騎士団しかいなかった。


 マキシモ・メルスは、帝国騎士団の連中を買収していた。


 近衛騎士のパルマ・クロノスは、崖の上で意識を失ったが、通りかかった大商人の馬車に拾われた。


 着ていた洋服が皇太子の物だった事から、保護され、皇帝に知らせが走った。


 皇妃はすぐに、シュワルツの生存を調べた。



「生きています」


「なんとしても、探し出せ」



 皇帝の勅令により、皇子探しが始まったのだ。


 慧眼を使った事で、事件の発端である第二皇子が捕らえられた。今は、地下牢獄に捕らわれている。


 我が子であっても、皇太子暗殺を企てた者は公開処刑になる。


 絞首刑の末に、腹を切り裂き、三日三晩、晒されるのである。


 その日を牢獄で待ちわびている。


 第二皇子の指示で動いた従者や騎士達も全て暴き出し、地下牢に捕らわれている。



「全て、思い出されましたか?」


「ああ」


「では、すぐに戻りましょう」


「待ってくれ。私を助けてくれたレディにお礼を言ってはいない。明日、いや、明後日、いや、もう暫く待ってほしい」


「何故です」


「レディを愛してしまったのだ」


「何をおっしゃる。皇太子殿下ともあろう者が、平民を本気で愛しているとでも?」


「継承を断っても、レディを諦めることはできない」


「では、そのレディをお連れしては如何か?」


「連れて行ってもいいのか?」


「命の恩人であろう。皇妃様も悪いようにはしないであろう」


「相談してみよう」



 シュワルツは、部下に頭を下げた。



「分かりました。明日、お迎えに上がります」



 側人二人はお辞儀をして、シュワルツから離れた。


 きっと一人は、監視をしているだろう。


 シュワルツは、レディになんと話そうか考えていた。


 彼女が買ってくれた斧を腰にぶら下げ、伐採してきた木を家の敷地内に引きずっていく。が、家が見えない。


 周りを見回しても、家があるはずのその場所には家はない。


 シュワルツは、そこら辺にかけられた魔術を見ていく。



(これは、なんと)



 シュワルツでも解くことは不可能。


 魔術を解くことは諦めて、そこにあるはずの家の庭に入っていく。すると、するりと見覚えのある家と庭が見えた。


 この家には、レディとシュワルツしか入れないようになっているようだ。



(そこまで、守られておるのか?愛されておったのか?)



 レディの事を想うと、胸がジーンと痛くなる。


 必ず連れて行く。


 けれど、この伐採した木をそのままにしておくこともできずに、木を小さく切って、薪を割っていく。


 レディが眠る前に泣いているのは、気づいている。


 別れが近いと気づいていたのだろう。


 レディがシュワルツを愛しているのは、一緒にいて分かる。


 シュワルツもレディを愛している。


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