第3話 男と同居

「気分が悪くなったら、声をかけてください」


「ベッドを借りて、申し訳ない」


「いいえ、あなたは怪我人ですから、安静にしてください」



 フラウムはパルマをベッドに寝かすと、暖炉に薪をくべ、隣の部屋に入った。


 季節は秋だ。


 標高が高い場所なので、10月でも肌寒く感じる。


 寝室とダイニングは繋がっていて暖炉もあるが、仕事部屋は野草と薬棚があるだけで、暖をとれる場所はない。


 部屋には寒いとき用に、ブランケットは一枚置かれているが、それだけだ。


 このままでは、風邪を引きそうだ。


 ブランケットで体を包むと、作業台の椅子に座った。


 床に寝転ぶよりは、暖かだろう。


 作業台にうつ伏せ、目を閉じた。


 昼間、山を歩き薬草を採っていたので、体は疲れ果てている。


 最初は震えていたが、吸い込まれるように、眠りに落ちていく。



 +



 パルマ・クロノス


 パルマはベッドの中で、自分の名前だと教わった名前を心の中で呟いてみるが、自分の名前だとは思えない。


 着ていた血濡れた洋服も見せてもらったが、何も思い出せない。


 自分は誰だろうかと考える。


 ベッドルームと小さなダイニングルームは繋がっていて、部屋の端に厨房がある小さな家だ。


 彼女は名乗らなかった。


 気になったが、パルマも訊かなかった。


 パルマの体調を気遣って、部屋を暖めて、隣の部屋に入っていった彼女は、まだ幼く見えた。


 まだ子供だと言える年齢だと思える。


 疲れが出ているのか、彼女を見ると目がかすむ。


 けれど、美しい令嬢だと分かる。


 もしかしたら、女神様が降臨したのではないかと思った。


 慈悲深く、温かな食事と暖かな部屋にベッドまで与えられた。


 脇腹に怪我を負って治療をしたと言っていたが、見た目ではどこにも傷は残っていなかった。


 触れたら、多少違和感はあるが、痛みまではない。


 ――――――――帝国騎士団の制服。それに、剣。


 自分はそこに所属していたのだろうか?


 見せられた制服も見覚えがない。


 記憶を失い、これからどうして生きていくのか……彼女の世話になってもいいのだろうか?


 腕には瑠璃色のブレスレットをはめている。


 これが、水晶でできているのは覚えているし、魔術を使うのだと分かるが、全く自分が分からない。


 不安で、眠れない。


 強い風が吹いて、窓が大きく揺れた。


 冷たい隙間風が流れていく。


 彼女は寒くないだろうか?


 与えられた部屋は、暖炉が付いていて暖かだが、気温が下がってきているのが分かる。


 気になってベッドから降りた。


 ノックをしたが返事はない。


 そっと扉を開けると、作業室は冷え切っていた。


 こんな場所で眠っていたら風邪を引いてしまうかもしれないと思った。


 彼女はブランケットを体に巻き付けて、作業台にうつ伏せで眠っていた。


 部屋には入るなと言われていたが、寒そうに体を縮めている姿を見て、我慢ができなくなった。


 部屋に入ると、彼女を抱き上げて、寝室に連れてきた。


 軽い体をしている。


 力を込めたら、壊れてしまいそうな華奢な体を大切に抱いた。


 そっとベッドに寝かすと、冷えた彼女を抱きしめて目を閉じた。


 

 +



「え?」


 目を覚ましたら、男の腕に抱かれていた。


 この状況を理解できずに、目の前の分厚い胸板を見て、顔を赤らめた。


 居心地が悪い。


 いや、温かい。


 ベッドから降りようとしたら、体にブランケットを巻き付けたままで、身動きすらできない。


 ブランケットに簀巻きになった状態なら、何もされていないことは分かる。


 誰かに抱きしめられたまま眠ったのは、初めてだ。


 両親さえ、フラウムを抱いて眠った事はなかった。


 顔を上げて、よく見るとパルマは、端正な顔立ちをしていた。


 睫も長く、唇も形よく、教会の彫刻像を見ているようだ。


 フラウムを抱く腕は、逞しく、体つきも鍛え上げられた物だと分かる。


 今の状況が照れくさく、でも、嬉しくもあった。


 見も知らぬ男の腕に抱かれているのに、こんな節操のない自分が恥ずかしくなった。



「パルマ、……パルマ・クロノス、わたくしを拘束している腕を緩めなさい」



 恥ずかしく、凜とした声で命令した。


 瞼が震えて、ゆっくり瞼が開いた。


 瑠璃色の瞳が、フラウムをじっと見て、頬を染めて、慌てて拘束を解いた。



「すまない」


「あなた、作業室に入ったのね?入らないでと言ったのに」


「昨夜は、ずいぶん、冷えてきたのだ。風邪を引いてしまうかもしれないと思うと、放っておけなかった。同じベッドで眠ればすむことだと思ったのだ」


「うら若き乙女が見ず知らずの男性と同衾するなど、はしたない。わたくしは、軽い女性とは違います」


「すまない。命の恩人の貴方を傷つけるような事はしないと約束しよう。この部屋は暖かい。互いに暖を取る目的なら、貴方を温めたい」



 どこまでも真っ直ぐな瑠璃色の瞳は、真実を語っている。


 心眼で見なくても、その瞳を見れば、パルマは疚しい気持ちなど微塵もなかったのだと分かった。



「食事の支度をしたいの、手を離してください」


「すまない」



 背中を抱いていた手が離れると、途端に寂しいと感じた気持ちが、どんな気持ちであるかフラウムは分からない。


 体に巻き付けたブランケットを緩めると、フラウムはベッドから降りた。


 確かに夕べは寒く、フラウムもこのままでは風邪を引いてしまいそうだとは感じていた。


 部屋に勝手に入った事は、許せないけれど、体を労ってくれた気持ちは素直に有り難い。



「……ありがとう」



 背を向けてお礼を言うと、厨房の脇にある水桶から水をくみ、顔を洗った。


 冷たい水で、火照った顔は冷めた。


 タオルで顔を拭くと、暖炉に掛けてある鍋から湯を取り、カップに分けて置いた。


 普通なら紅茶でも淹れるところだが、フラウムは母の死因を知ってから紅茶を飲んでいない。この家には茶葉さえない。



「白湯ですけれど、よろしかったらどうぞ」



 声を掛けると、外に出て、野草や卵を持ってくる。


 空は晴れているが、かなり冷えている。


 野草を切って暖炉で調理を始めた。


 危ないが、ここに火が点っているなら、無駄な火は熾さない。


 パンも暖炉で温める。


 卵を使った簡単な料理を手早く作ると、パルマがフラウムの真似をして、顔を洗い、テーブルに着いた。



「上手いものだな」


「そうね、簡単な物しか作れないけど、パンは村で買ってくるの。昔は自分で作っていたのだけれど、美味しくできなくて、決まった金額が手に入るようになってからは、村で買うようになったの」



 フラウムは、お皿に卵料理とパンを置くと、フライパンをシンクに置いた。


 水につけておく。


 テーブルに着くと、一緒に食べ始める。



「いただきます」


「いただく」



 野草の卵炒めとパンだけなので、朝食もすぐに済んでしまう。



「おかずはもうありませんけれど、パンのおかわりはあります。いかがですか?」


「では、もう一ついただこう」


「粗末な物しかなくて、恥ずかしいのですけれど」


「いや、君は15歳くらいだろうか?」


「ええ、この間、やっと16歳になりました」


「ご両親は?」


「おりません。この地に来たのは13歳の頃でした。持ち合わせはある程度、持っていましたので、この家を買いました。薬草を採るついでに、野草を採り、野菜の代わりにしています。卵や肉やパンは村の市場で買っています」


「一人で全てしているのか?そんなに幼い頃から?」


「幼いと言っても、市井では13歳はもう大人と混じって働いています。わたくしも自立しただけです」


「薬を売って?」


「ええ、初めは子供の作る薬は得体が知れないと言われて、誰も買ってはくださいませんでした。3年前に流行性の疫病が流行ったときに、それに合わせた薬を作りました。皆さん、わらにも縋る思いで、買ってくださったのです。この村では、死人は出ませんでした。それ以来、お薬を置いていただいているのです。割安で提供しているので、収入は少ないですけれど、生活できるだけは、いただいています」



 医師として診られる技能も持っているが、あまり目立つことは控えている。


 いつまで、ひっそりと暮らせるのか、このまま歳を取って行くのも悪くはないが、あまりに孤独で、笑顔も忘れてしまう事もある。


 3年間、引き籠もって暮らしてきて、生活にも慣れてきたが、死ぬまで、ずっとこのように生きていくのも難しい。


 万が一、自分が病気になり山に野草を採りに行かなくなったら、万が一、薬が売れなくなったら、自分はこの小屋の中でひっそり息を引き取る事もあると考えたことは一度や二度ではない。


 この帝国を出て、流民として生活した方がいいかもしれない。


 やっと16歳になり、大人の仲間入りしたのだから、名前を変えて、生き直すのもありかもしれない。


 誕生日が近くなる頃から、フラウムは今後の事をよく考えるようになった。


 せっかく、緋色の血筋があり、病を視る力があるのだから、別の地に渡り、この力を生かして、もう少し割のいい仕事をしてもいいと考えている。



「名前を聞いてもいいだろうか?レディ」


「そうね、名前は忘れたの。レディもいいわね。よかったら、名前をつけてくださる?」


「名前を忘れた?」


「今のあなたと同じよ。パルマ・クロノスと呼ばれてもピンとこないのでしょう?」


「ああ、私は別人のような気がするのだ。昨晩も考えていたが、そんな名前を聞いても自分だとは思えない。帝国騎士団の制服を見ても自分の物だと思えない」


 フラウムは食器をシンクに運ぶと、暖炉に引っかけている鍋の中から湯を取りだし、コップに注いだ。


 熱々の湯が、白い湯気を上げていく。


「大丈夫よ、あなたは頭に傷を負っていないわ。ショックか、頭を打ち付けた衝撃で、一時的に記憶を失っているだけだわ。だから、少し落ち着いたら、自分の名前も立場も思い出すでしょう。どうして狙われたのかも全て。今は何も考えずにゆったりしたらいいと思うわ」


「それがレディの見立てなのか?」


「ええ、医療の知識は幼い頃から持っているの。記憶が戻ったら、わたくしのことも忘れてしまうかもしれないわ」


「レディの事は忘れたくはない。命の恩人の貴方を忘れるなど、神への冒涜に違いない」


「大げさよ」



 熱い湯をゆっくり口に運ぶ。


 決して美味しいわけではない。


 香豊かでもない。


 どこまでも、ただのお湯だ。


 自分で淹れれば紅茶も飲めるかもしれないが、娯楽にお金を回す余裕はない。


 母が買ってくれた宝石には、まだ手をつけていない。


 近い将来、この宝石を使い、異国へ向かうかもしれない。


 湯を飲み干すと、新たな水を暖炉の鍋に足して、片付けを始める。


 シンクに置いた食器は、そのまま外に持って行き、小川で洗う。


 フラウムの動きを、パルマはじっと追っている。


 冷えた外にまで出て、川で洗うフラウムを見ている。



「冷たかろう。私も手伝おう」


「いいのよ。すぐ済むわ」



 籠に洗った物を入れて、フラウムは立ち上がった。



「戻るわよ」


「ああ、外は冷える」


「あなたに外套を買った方がいいかもしれないわね」



 にっこり微笑んで、フラウムは家に戻っていく。



「荷物を持とう」


「ありがとう」



 パルマは、フラウムの手から籠を受け取り、一緒に歩いて行く。


 フラウムの手は凍えていた。


 その手を握りたくなったが、パルマは我慢した。



 +



 その夜から、フラウムとパルマは一緒のベッドで眠るようになった。


 パルマはフラウムに誓いを立てた。



「決して、貴方を危険な目に遭わさない。ベッドの中でも外でも、私が騎士であってもなくても、神に誓う」



 彼は無意識にしたのだと思う。


 従者の誓いをした。


 フラウムの前に跪き、フラウムの手の甲にキスを落とした。


 信じられない物を見て、フラウムは同衾を許した。


 彼はフラウムに命も掛けるという意味だ。


 フラウムも彼の記憶が戻るまで、他の地区に移動をするのはやめようと思った。それが、彼への誠意だ。


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