2.7 河童堂温泉の湯加減いかがですか?
カコン
ししおどしの心地良い音が風情ある雰囲気を漂わせ、ベランダに設置された露天風呂はどこか懐かしい安心感のする檜の香りで、心が落ち着く。
檜風呂に張った湯に体を沈めると、溢れた湯で湯気が吹いた。
夜空は田舎と違い、真っ暗で、田舎の虫やカエルの音は一切聞こえない静寂な夜を貫いていた。
今頃、家族は目が覚めて、自分達全員が一斉に気絶した事に驚愕し、凛香と僕がいないことで二度、驚愕している頃だろう。
気絶している間に、凛香と僕が誘拐犯に連れ去られたと思い、自分達を、悔やみ罵り、後悔しながら捜索願を警察に提出するところまで見える。
誘拐犯…。やってることは今の僕らと変わらないか…。
河童堂二階の『
どの記事もトレンド入りし、大変な騒ぎとなってしまっている。
ガラガラ…。
「すみませーん!たばこ吸うても大丈夫ですか〜?」
窓を開け、ベランダに裸足で入ってきた梢さんが、顔を赤らめながら僕に訊いてきた。
「あー…、うん。だいぶ酔ってますね…。」
部屋では、呑み会が3時間程続いている。
と言っても、酒が呑める人間はルカフさんと梢さんだけだけど…。
「お風呂、気持ちいい?」
竹の仕切り越しから、声が流れてきた。
カチッ!ライターの音が鳴り、しばらくすると、タバコの煙が夜空へ舞った。
「はい。すごいですよねこの部屋。ベランダに源泉かけ流しの檜風呂付いてるなんて贅沢ですよ。」
「今じゃ、月吉君に入れない施設なんてないもんね〜。」
酔っ払った梢さんは、他人事のように言う。
「梢さん、すみません。こんな事に巻き込んでしまって……。」
「うちはどうせ家に居たって職もないし、彼氏もおらへんし、酷い生活してた思う。でも、今は楽しい。うちが必要とされとる場所ってのが、ここの様な感じがして。」
梢さんは少し声のトーンを落としてそう言った。
梢さんがどういう人で、どういう生活をしているか、僕はまだ全然わかっていない。
通勤の通りすがりに拾って、妹のミルクを作らせたり、アキレス腱に哺乳瓶を投げられたり、ライブで人にもみくちゃにされたり。
そんな理不尽でも、この人は今が楽しいと言っている。
大人の世界というのは、そこまで生きにくいものなんだろうか?
部屋の中は、以前ガヤガヤと騒がしい声が聞こえる。
この中で、実年齢が一番低いのは僕だ。
残りはみんな大人で、ルカフさんも酒が呑める歳らしい。
イファニとルカフさんも、それこそ最初は真面目な話をしていたが、酒を呑みはじめるとこの有り様だ。
やっぱり兄妹なんだなと思う。
僕と凛香も、大人になったらああやって、一緒に酒を呑み交わす日が来るのだろうか?
「そろそろうちも入ろかなあ〜。」
梢さんはたばこを咥えながら、亜麻色の髪を二つに結い、スーツのボタンを一つずつ開けていく。
「ちょちょちょっ」
僕は急いで湯から腰を上げ、梢さんの手を止めた。
「何してるの!」
「え、入ろうと思って。」
「まだ僕入ってるでしょーが!ていうかお酒飲んだ後、風呂入っちゃいけないんだよ!!」
「6歳が何言うてるんですか〜?月吉君が一人でお風呂に入ってる方が世間では普通じゃないよ?」
薄桃色の下着が露わになり、僕は咄嗟に目を伏せた。
「あ!僕のぼせちゃうから上がろっかなあ〜。」
「え!もうちょっと話しようよ!まだうちの事聞いてほしいことあんねん!だってまだ知り合ったばっかやろ!?」
「あ、明日!明日聞くから!!」
僕は足を上げ、早々とシャワー室まで駆け込んだ。
「ちぇ。意外とお増せさんなんやから。可愛くない。」
ガラガラ。
隣で引き戸が開いた。
「どうした梢。わたしが聞こうじゃないか。」
「え…?」
「お供します。ぼっちゃま。」
「ちょうど風呂にして寝るとこだった。入らせろ。そのついでに聞いてやる。」
「きゃああああああ!!!」
梢さんの悲鳴がシャワー室にまで聞こえてきたと思ったら、
バシャバシャと激しい水音を立てて、梢さんが暴れている姿がシャワー室のガラス越しにぼんやり写った。
「バカッ!!部屋が濡れるだろうが!!」
夜が更けていく。
今頃の家族を考えるのはやめた。
今、考えなきゃいけないのは、凛香とイファニだ。
両方を救えるのは、事情を把握して、大人ではなくて、『命』の能力を借りている僕だけだ。
必ず、両方助けるんだ。
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