2.2 秘書の梢さんは、新人保育士。
「クソ…、喉が渇いた。」
無事、ホームについて新幹線を待つが、最も危惧していた問題が起きた。
「ごめん、僕ミルクの作り方…知らないんだよ…。第一こんなとこでお金もないのにミルクなんて作れるの…?」
水筒と哺乳瓶、そして粉末のミルクはリュックに入れたのだが、これらをどんな温度のお湯で、どの量を混ぜ合わせるのかおばあちゃんから聞いたことがない。
「水筒に入れた僕のお茶ならあるんだけど…。凛香ってお茶飲んだことあったっけ…?」
「よこせ。もう我慢ならん。」
「いけません。ぼっちゃま!」
リュックからバスタさんの声がした。
「この世界の赤ちゃんが、何を蓄えた時、何が起こるかわかりません。この世界にあまり詳しくない以上、ぼっちゃまの身の危険を守るわたくしの目が黒い内はミルクしか飲んではいけません。」
「そんなに言うなら、ミルクを作れ。」
「すみません。ぼっちゃま達が赤ん坊だった頃の世話は全てメイド達に任せていたもので…。」
「じゃあ何も飲めないじゃないか!馬鹿者!!」
「す、すみません!おぼっちゃまーー!!」
狸の目がうるうると揺れる。
イファニはともかく、凛香の体が心配だ。
でも、調べようにもスマホがない…。
「こうなったら月吉、新幹線に乗る前に赤ん坊の世話がまともにできるやつにミルクを作れと命じろ!」
「え!急に言われても…。」
みんな通勤通学途中で忙しなくホームを動き回っている。
「ええい!なぜ人は話しかけるのにそんなに恐怖心を抱く!?もういい月吉、もう一度わたしが見本を見せる。」
イファニはすれ違うスーツ姿の女性に声をかけた。
「おい、そこの女。わたしの好みだ。この旅に迎え入れよう。共に来い。」
信じられない。
僕はナンパという行為を0歳児の口から初めて生で目撃してしまった。
「え…?ええ??今、この子話さんかった…?」
女の人はおどおどと辺りを見回した。
この状況、かなりまずくないか…?
「すみません!今の声は僕なんです!気のせいです!」
「仕事は何をしている?」
うわ!僕の声に被せてきた!!
「保育士…、やけど…?」
「なんていう好都合なんだ!やはりわたしは生まれながらに運が良い。」
「ねえ…本当にこの子…、喋っとる…?」
凛香はベビーカーの中で腕を組み、上目遣いなのに下から見るような目で話し始めた。
「ふっ。わたしと行動を共にしたならば、これからそんな0歳児が喋るくらいじゃ驚きもしない程、お前の常識とやらをわたしならぶち壊せるぞ。名はなんという?」
「…粟波。
「梢、今からお前をわたしの世話係、もとい秘書に命ずる。」
言っちゃった…。
「とまあ、こんな感じの流れで大丈夫だ。月吉、やってみろ。」
「できるかあーーー!!僕はいきなり見ず知らずの人に自分の妹の世話をしろって言える程、まだ心が強くないんだよ!!」
「わかりました…。」
え…?
「ははー!良かったな。わたしがほとんどの話を理解させたおかげで、この女はお前に命じられたとたまたま認識したみたいだぞ!!ちなみにわたしはあんな大人に毛が生えたような若いガキは全く好みではないっ!!」
イファニは好き勝手散々毒を撒き散らした上、楽しそうに笑った。
その後、すぐに僕らの乗る新幹線がホームに入ってきた。
「実に順調だ。梢、話はあとだ。新幹線に乗れ。中でミルクを作ってもらうぞ。」
梢さん…。初めまして…。そしてごめんなさい。
通勤途中なのに、こんな事に巻き込んでしまって…。
後に引くに引けない状況を、心の中で謝罪し、僕達は新幹線に入った。
入るなり、すれ違う駅員に一応、グリーン車の座席を用意して。と命じると、見事ほとんど誰もいないグリーン車まで案内され、座席を回転し、4人で乗れるようにして、座った。
もうこの能力がある限り、僕は誰よりもVIPだ。
「梢、わたしはお茶を飲んでいいと思うか?」
座るなり、イファニは第一声を切り出す。
「あの…、歳はいくつですか…?」
「わたしは27だが?」
「違いますぼっちゃま。凛香殿のご年齢だと思われます。」
イファニ、意外と大人なんだな…。
というより、もうおっさん一歩手前じゃないか…。
「あ、そうか。…ん?いくつだ?」
「まだ0歳…、6ヶ月くらいだよ…。」
当然僕くらいしか知らないだろうから僕が答えを言った。
「えと…、乳児は麦茶のようなカフェインの入っていないお茶なら飲めますけど、少しでもカフェインが入っているお茶であるんなら、肝臓の代謝機能が著しく低い為、分解に時間がかかり、悪影響であることは変わりありませんね…。」
「おおーー。」
僕含め、三人の拍手が起きた。
わかりやすくて納得できる。
でも僕の入っているお茶が麦茶かどうかがわからない…。
「やっぱりミルクじゃないとダメそうだね…。」
「ええい!わたしなら大丈夫だ!こうなったら気合いで!」
「ダメだよ!凛香の体が悪くなったらどうするんだよ!!」
「うち…、一応ミルク、作れるよ…。」
「まぢですか!?」
梢さんはあまり自信無さげに言うが、この中で一番頼り甲斐がある。
やっぱりこの旅に大人は必要不可欠。
梢さんには申し訳ないけど、付き合ってもらう他ない。
「哺乳瓶と粉末のミルクがあるんだけど…。」
「うん。そしたら自販機で水買って、駅員さんに聞けば業務用の電子レンジがあるからそれで温めて作れるはず!!」
「梢…。わたしはここ最近でお前程頼れる女を見るのは久しぶりだ!!」
イファニは梢の脇腹をポンポンと叩き、褒め倒す。
「保育士なんだろ?これからの旅、頼りにしてるよ。」
「ああ、あれ…。実は、今日までやねん…。」
「ん?今日までとは…?」
梢さんは持っていたスーツケースからある封筒を取り出した。
「これ、退職届って言うて…、つまり、今日で保育士やめんねん…。」
「何?どうしてだ!?そこまで知識が豊富なのに!」
「普通ですよ…。うち、こんなおどおどした性格してるでしょ…?やからみんなに舐められちゃうし、先輩からもイラつかれちゃって…、長続きしないなあと思って…。この性格克服したいなあと思ってるけど、なかなかそれも上手くいかないし…。」
「何を言う。おどおどした性格なんて、この世界の人間全員同じだ。そこに強弱があるだけで、みんな怯えている。その先輩とやらもな。恐怖があるから人にあたる。その点、梢は自分から身を引く勇気というものが備わっている。それだけで、そいつよりかは勇気がある。安心しろ。今日からは、わたし専属の保育士だ。」
梢さんの瞳から、うるうると涙が浮かび、頬から流れ落ちる。
「ありがとうございます…。そんな事言われたの、初めてで…。」
0歳児が人間の理屈を語りだし、大人を泣かすほどの説得力で持って慰めている。
とんでもない光景を見ている気がする…。
「で、給料はどのくらいなんですか…?」
「は?」
梢さんは涙を拭きながら訊いた。
給料なんてあるわけないけど、0歳児に給料のことを話し出すこの人もどうかと思う…。
「とにかくまずミルクだ!ミルクを早急に作れ!」
「は、はい!わかりましたっ!!」
梢さんは僕から哺乳瓶と粉末ミルクを受け取り、早々と別の車両へと走っていった。
「『命』の能力がなくても、イファニの言葉遣いには何か特別な力がありそうだよ…。」
「能力の有無以前に、王子だからな。」
「ん?」
話をしている途中、突然イファニの座る座席の後ろから長い両手がニュッと伸びたのが見えた。
そして凛香の体を両手で掴まれたと思えば、ゆっくり持ち上がる。
「ぼっちゃまっ!!」
「なんだっ!?触るな!!」
凛香の体を掴んだ者の正体は、全く身に覚えのない男性。
しかし、その目は青く光っていた。
「その目は…っ!?」
見たことのある青い輝き。
僕はその青さを知っている。
「『命』の能力者!!?」
「違う!こいつは譲り受けた側ですっ!!」
青い瞳の男性は凛香を抱えながら、車両の出口へと駆け出した。
『まもなく、京都駅。京都駅です。お出口は〜。』
車内アナウンスが告げる。
この新幹線がもうすぐ京都駅に着くということを。
「まずいです!月吉殿!!何が目的かはわかりませんが、奴はイファニ様を知って、攫うつもりです!!」
バスタさんは先に走り出し、男の後を追う。
僕は突然の恐怖心で動けなくなっていた。
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