幽体の消費期限

飯山直太朗

 

「ねーえー、聞いてよー」


 本日は月曜日、天候は曇天、時刻は8時20分。私、加藤かとうはじめは大学構内の喫茶店の丸椅子に腰かけていた。学生達の利用を見越してか、この店はいつも朝早くから開店している。それに応えるように、さほど広くない店内は学生の談笑する声に満ちていた。もうすぐ一限の講義が始まるころだが、こんな時間にここで駄弁っている以上、一限の講義に出ようとする殊勝な学生はここにはいないとみえる。


「だーかーらーさー」


 私の使っているテーブルには、二人分のコーヒーカップと一個の花瓶が置かれていた。テーブルもカップも花瓶も、花瓶にされた花すらも、灰色尽くしであった。どういう花なのか知らないが、灰色の小振りな花弁が鈴なりになっている。窓からうかがえる灰色の空を横目に見つつ、それらの不可思議な一致が、何かしら不吉な予兆であるかのように感じられる。


「無―視ーるーなー」


 私の目の前には女学生が一名。亡霊のように長く伸びた髪の下から、恨めしげな視線をこちらに向ける。一音一音、不自然なほど引き伸ばされた発音は、駄々をこねる子供というよりはむしろ、高僧の梵唄ぼんばいを想起させた。はて、なぜだろう……。


「肇君。君の後ろに黒い影」

「はっ!」

私は驚いて後ろを振り向く。もちろん背後には誰もいない。彼女、芦屋あしや千里ちさとの術中にはまってしまったようだ。

「やっと注意を向けてくれたね。本日の議題は『霊体の消費期限』についてだよ」

「はあ……。またか」

 芦屋さんは私と同じ大学に通う哲学徒で、私の方はと言えば古代史を専攻していた。専攻こそ違うものの、同じ学部のよしみということなのか、彼女とはたびたび話す機会があった。そうして彼女はいつも、哲学なんだかオカルトなんだかよく分からない話題を吹っかけてきては、私を困惑させるのだった。

「これは私がバイト先で聞いた話なんだけどね。私去年の秋ごろ、古墳の発掘調査のバイトをしてたの。場所は町内にあるT古墳」

芦屋さんは病院とかテーマパークのお化け屋敷とか、いわくありげな場所ばかりをバイト先に選んでは、奇談怪談を収集するのを趣味としていた。T古墳とイニシャルで伏せられてはいるものの、そこは地元の人間なら容易に分かる場所だった。

「T古墳ねえ。ここらじゃ有名な遺跡だけど、幽霊が出るなんて聞いたことないなあ」

「今回は幽霊じゃないんだ。まあ霊障ってやつかな」

「ほう。まあ聞こうじゃないか」


「発掘調査で一緒になったおじいちゃんがいてね。彼は古墳のそばにある集落に住んでるんだけど、大雨が降った後とかに、時々古墳の近くで土器が見つかることがあったんだ。多分、古墳の一部が崩れて中の副葬品が流れ出したんだろうね。昔、同じ集落に住んでたおじいちゃんの隣人が、その土器を拾って自宅の居間で飾ることにした。

当時はお月見をする時に、持ち回りで村の人を自宅に招いて、一緒にお団子をいただく習わしだったんだって。その年は隣人の家でお月見をすることになってたから、皆彼の家に集まった。そうして土器が飾ってあるのを見たおじいちゃんは、『仏さんのモンを横取りするとは罰当たりが。返しに行きんちゃい!』と叱った。でも隣人はそれを聞き入れることなく、ある日事故で穴にはまって、半身不随になっちゃった。土器の祟りかどうか知らないけれど、一年とたずに亡くなったんだって」

「へえ。土器の祟りとは、ちょっと珍しい話かもね」

「そうでしょそうでしょ!」

彼女は嬉しそうに顔をほころばせる。これで終わってくれるといいんだが……。

「でも、本題はそこじゃないの」

駄目だったか。

「本題はね、幽霊はどのくらいの期間存在し続けられるか、ということなの。現代人の幽霊が出てくる話は無数にあるけれど、時代をさかのぼるほど『現役の』幽霊の話は少なくなる。例えば平安時代だと、現代でも『生きている』幽霊なんてほとんど存在しなくて、平将門や崇徳上皇みたいな大怨霊に限られちゃう」

「なるほど。将門の首塚は現代でも祟ると言われているね。でも大昔の幽霊で今も祟り続けるとされるものはごく稀で、それ以外の有象無象は時の経過とともに消滅する、つまり『死ぬ』ってことかな?」

「その通り。縄文時代とか弥生時代の霊って聞いたことないでしょ。今回の場合は古墳から出土した土器の霊障なわけだから、霊の寿命は古墳時代までが限界なんじゃないかなあ」

彼女が霊の存在をどこまで本気にしているか不明だが、ここはひとつ乗ってやろうか。

「一口に古墳時代といっても200年以上あるわけだから、正確な年代が知りたいところだね」

「ええと……。あの古墳は確か6世紀のものだから、霊の寿命は1500年程度なのかも」

「6世紀か。6世紀と言えば仏教公伝が538年だから、関係あるかも知れないね」

「なるほどぉ!」

彼女は奇声すれすれの大声を上げながら、テーブル越しに身を乗り出してくる。興奮した時の癖であるらしい。

「仏教の伝来に伴って輪廻転生思想が浸透し、日本国内のさまよえる霊魂はいずれ成仏すべき存在となる。成仏すなわち霊体にとっての死なり、そういうことだね肇君!」

「まあ、そうなのかもね。でもそうすると、輪廻転生思想を受け入れていない地域だと幽霊はこの世に存在し続けることになっちゃうんじゃないかな?そんな事例が果たしてあるんだろうか」


「そ・れ・が、あるんだよ!イギリスのドーセット地方で『紀元前700年の亡霊』という話があって、馬に乗った姿で現れるというんだ。さらにこの辺りでは『石器時代の幽霊』というのもいて、こちらは石斧を持っているんだとか。イギリスはキリスト教国だから輪廻転生思想がなくて、幽霊が生き続けられるってことだねぇ。私もクリスチャンになって『死なない幽霊』を目指そうかなあ」

芦屋さんは一人納得して、ひどく満足気である。

「で、どうして幽霊の寿命なんてことに興味を持ったんだい?」

私はかねてからの疑問を口にした。

「幽霊になれたらこの世に存在し続けられるから。『存在とは純粋な歓びである。悲しみとは全て影の如きものに過ぎぬ』ってね。」

「それ、誰かの名言?」

「アレイスター・クロウリー。稀代の悪魔崇拝者」

「よりによって……。芦屋さんはクリスチャンにはなれないね」

「あはは……。ところでさ、この花瓶、何だか分かる?」


 私たちのテーブルに置かれた灰色の花瓶。それは口がラッパ状になった小型の壺、とでも言うべき形状をしていた。ラッパの部分は壊れてしまったのか、途中で欠けてしまっており、胴の部分にはどういうわけか円形の穴が開いている。

「何これ?よく見ると不思議な花瓶だね」

「ふふふ、これが例の土器だよ。スエキのハソウって言うんだって」

「何だって!?いやまさか、レプリカだよね?本物だったら貴重な文化財なわけだし」

「肇君、もし本物だったら祟られるかもよ」

何という不意打ちだろうか。私はこういうのは苦手なんだ。今まで感じていた不吉な感じの原因はこれか。早々に立ち去らねば。

「肇君、逃げるの?ああそうか、30分過ぎちゃったからだね」

「え?」

私は腕時計を確認する。時刻は8時32分。講義は既に始まっている。

「ああ、祟られたよ」

私は意気消沈しつつも代金の支払いを済ませ、大急ぎで講義室へと走りだした。



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