第12話

 教室がざわつく気配になった。

 同じクラスでも知らない人は知らないことだろう。


「あなたのお父さん、有名な画家なんでしょ。でも超変人でパパがわざわざ家まで行ったのに絵を売ってくれないどころか、水をかけられたって言ってたわ。そんな常識のない人、死んで当然よね、死んだんでしょ」

 

 私は、このバカみたいに生き生きと喋る女を眺めていた。

 少しは情を示すかなと思って猶予をくれてやったのだが、意味がなかったようだ。


「まぁ、父親が変人なのは認めるし、死んでもいるけどさ。いまは実夕の話をしてて、私の人格とか遺伝とかかぶっちゃけ関係ないんだよね。証拠出せっていうけど、あんたこれのこと知らなかっただろ?」


 山口さんが眉を寄せる。

 私は拳を握り締める。迷いなんて最初からなかった。


「友達ならさ、普通心配するんだよ」


 私は言い終えたその瞬間、山口さんの頬を拳で思いっきり殴りつけた。彼女はボールのように吹っ飛んで、椅子から転げ落ちる。


 悲鳴が上がり、場が騒然とした。


 女王様の牙城が一瞬で崩れたのを見て、取り巻き二人は呆然とするだけだった。かかってくるなら容赦はしなかったけれど、つくづく自分を持っていない奴らである。


 山口さんは何が起きたのかわからなかったみたいだ。

 仰向けに倒れ、痛がるよりもただ呆然としていた。私は彼女の胸ぐらを掴んで無理矢理身体を起こさせると同じ頬をもう一度殴った。殺意を込めて、また一度殴る。


 自分の拳から血が出ているのがわかった。アドレナリンのせいか痛くない。

 私がいまもっとも感じているのは漫画で見るよりもこの行為がずっと不快ということだけだった。私は、必死に腕で顔を守っていた諸悪の根源を無理矢理立たせる。


「気に入らないならことあるならさ、卑怯なことしないで堂々としなよ。あんたの支配欲に付き合うほど他人は暇じゃないんだ」


 山口さんは悪魔を見るような眼で怯えていた。暴力を振るっている私は悪魔だろう。だが、暴力を暴力と思わないお前も同類だ。私は山口さんの後ろ髪を掴んでそのままそばの机の上に叩きつけた。

 

 実に不愉快だった。


 人を平気で傷付けて笑うこいつが。「痛い痛い」と喘ぐこいつが。

 こいつを殴って傷付けている私自身が。


 今すぐやめたい。それでも中途半端にするわけにはいかなかった。


「いい? よく聞いて。私はあんたが卑怯なことするたびに殴るわ。何回でも殴る。私に仕返しするならするといい。上履きを隠す? 教科書を燃やす? 髪を切る? 上等よ、なんでもしないさい。全部受けて立つわ。けど、される度に私は問答無用であんたを殴るわよ。私だけじゃない、他の子に同じようなことをしてるとわかったら、あんたがどうかも確認せずに殴るわ。その代わりっ」


 言葉を切って、理不尽な暴力に恐怖する山口さんの耳に呟いた。


「何もしないなら、何もしない」


 私は、殺すつもりの気持ちで山口さんの瞳を睨み付ける。


 騒音に気付いたのか、誰かが呼んだのか、隣りの教室から先生がやってきた。

 私は手を離して山口さんから離れる。彼女はもう放心状態で感情が死んでいるように見えた。

 やってきた教師に降参のポーズをする。もうやることは終わった。

  

 傍らで顔を覆って泣いている実夕を、私は見て見ぬ振りをした。

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