第11話

 翌日。朝のホームルーム前。


 実夕は相変わらず山口さんグループ三人のそばにいた。私が持って帰った実夕の私物は一つを除いて母さんが実夕の家に届けてくれた。事情もある程度は話したのだと思う。

 

 だから私は、今日実夕は学校を休むだろうと考えていた。

 普通に逃げていいことなのに、心が強いなと思った。本当は実夕が休みの日にしたかったのだけど、仕方がないか。


 これまで意識の外に置いていた山口さんの声がどうしようもなく不快に聞こえてきた。苛つきを抑えるべく別に注意を向けると、堀越さんと仁科さんが心配そうに実夕を見ているのが視界に入った。

 昨日、彼女たちは謝っていた。見ていただけの自分たちに。


 この種の問題に対して、傍観者も同罪だという人がいる。ドラマでもよく見かける台詞だ。でも私は、本当にそうだろうか、といつも思っていた。

 そんなのは理想論だろうと。

 誰だって自分はかわいいし、進んで傷なんて負いたくないじゃないか。それをいけないことだと直接声を上げることが、誰かに助けを求めることが、どれだけの勇気がいることなのか。綺麗事を主張している人たちは本当に理解しているのだろうか。


 声を上げたら、それだけの代償を伴うことになる。


 紙に名前を書くことだって変わらない。必ず心に代償が付きまとう。


 被害者と傍観者は等しい。

 だからいじめはなくならないし、無くすためには当事者が声を上げるしかない。その声を拾うことが唯一周りにできることだろう。大人なら裁判をすればいい。

 では、子どもはどうすればいいか。声を出せない人は、出してもその声を潰されてしまう人はどうすればいいか。


 解決法は、一つしかないだろう。


 時計の針が一度動く。残り三分、先生がそろそろ来てもいい時間になった。

 私はゆっくりと立ち上がり、山口さんのところへ迷いなく歩み寄った。


「山口さん」


 椅子に座っていた彼女を見下ろし、彼女は私を見上げる。

 話すのは初めてだったし、こうして向き合うのも初めてだった。入学式の日以来、お互いに目が合うのすら避けていた節があった。


 私たちはどうしようもなく、天敵だったから。


「確か、朝宮さんだったかしら。何か用?」


 名前なんて覚えているくせに。いかにも好戦的な上から目線のセリフだった。小学校にいたリーダー格の子と存在がダブる。ふと、あの子の名前が荻野由香里だったと思い出した。


「なんだよ、何か用かよ」


 山口さんの隣りにいた女子が高圧的に距離を縮めてきた。もう一人も私を睨んできている。取り巻きには興味がない。こいつらは従う頭が無ければ自分で意見の一つもいえないカラッポな人種である。名前は忘れてしまった。

 

 私が手に持っている物に気が付いているのだろう。

 山口さんは頬杖をついて私を黙って見上げていた。わかっているのなら話が早い。 

 私は彼女の机に一度濡れて乾いた教科書を投げるように置いた。


「これは?」


「教科書」


「見ればわかるわよ、そのくらい」


「実夕の教科書だよ」


 教室は私たちの異様な空気に静まり返っていた。私と山口さんが睨み合っていると、実夕に袖を引っ張られた。


「……清佳ちゃん」


「ごめんね、実夕。見て見ぬ振りは出来ない性格なんだ。よく知ってるでしょ」


 山口さんから目を離さずに答えると彼女は反応を見せた。


「ふーん、高見はこの人に私のこと何か言ったんだ。気になるなぁ、友達として」


 思わず血管が切れそうになるが、まだ抑える。


「友達か。友達は友達の私物を、雨の降っているゴミ捨て場に捨てないと思うけど」


「なんのことかしら、そんな証拠があるの?」


 証拠、証拠か。

 確かにそれはない。必要とすら思っていなかった。

 私が答えないことに、山口さんは勝利を確信しているようだった。


「証拠もないのに犯人扱いなんて酷いわ、あー傷ついた。なんでこんな酷いことが出来るのかしら、あぁそうか」

 

 そして彼女は、私への対策として用意していたであろう手札を切った。


「あなた、朝宮貞一の娘だもんね」

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