第6話

 母さんはの服装は着飾っていて、よそ行きの格好だった。


「服、綺麗じゃん」


「ありがと。あんたの入学式だったからね。でも、先に帰るなら帰るで言って欲しかったんだけど」


「あー、ごめん。探すの面倒だったから」


「そういうところ、父親に似てるわねぇ」


 ため息をついて、母さんは家に上がってきた。


「あんたの方は、やっぱり似合ってないわね。セーラー服」


「うるさいな、わかってるよ」


「大丈夫大丈夫。夏くらいには成長して女らしくなるわよ」


「その頃には夏服になってるけどね」


 互いに笑いながら、母はそのまま床に座った。ここには椅子は一つしかない。


「で? なんかあったんだろ」

 

 母さんは私の心を見透かすに聞いて来た。

 

 変人だった父が急死したのは、二年前だった。

 このアトリエで深夜まで絵を描いていたときに倒れ、母さんが様子を見に行った早朝には心臓が止まっていた。

 それ以来、母と二人で暮らしている。幸い、知る人ぞ知る有名な画家だった父が故人になってからは、絵の価値が上がっているとネットにあったし、学芸員だった母さんはいまも仕事は辞めていないので生活には困っていないのだと思う。

 けれど、父がいなくなってからの母さんは、少し疲れているようにみえた。


 話すべきか、迷った。


 別に、実夕がいじめられているとは限らないし、取り越し苦労かもしれない。

 ここで母さんに話すのは無駄に心配をかけるだけではないか。


「あらよっと」


 真剣に考えていると、母の変なかけ声と共に、椅子が崩れるように倒れた。たまらず私の身体は床へ転がった。


「痛ぁ、何すんのよ」


 見ると母の手には四つある椅子の脚一本があった。母は悪巧みをする大人の笑みをつくりながら言った。


「この一本だけ取れやすく細工してるのよねぇ、あんたの親父は人の話を聞かない奴だったから、大事な話があるときはこうして強制的に聞かせるの」


「暴力的だなぁ」


「交渉手段と言ってほしいわね。無視する側が悪い」


 父がどうか知らないが、私は無視をしていたわけではないのに。

 そう訴えようとするも母は椅子の脚を元に戻して、今度は自分が座った。


「私は聞くだけだよ、清佳。何もしない」


 見下ろしてくる顔を見て、ため息が漏れた。

 私が考えていることなんて全てお見通しのようである。さすがは親といったところか。私は床にあぐらをかいて座し直した。スカートだけど、まぁここではいいだろう。

「話すだけだけど」と前置きして、私は今日一日の学校での出来事を話した。

 中学進学の初日は、もっと明るい話にしたかったのだが、私の唯一の親友の話だ。そうも言っていられなかった。


 一通り話し終えると、母さんはなるほどねぇー、と唇を尖らせていた。


「まず実夕ちゃんが、公立に来てたってのがびっくりだわ。実夕ママと最後に話したのいつだったかなぁ。入学式でも会わなかったし」


「本人は私立落ちたからって言ってたけど」


「でも、多摩創では成績一番だったでしょ? あの子が滑り止めの学校まで落ちるもんかしらねぇ」


 私と実夕が通っている多摩創塾は住宅街の中にある夫婦で経営をしている小さな塾だった。

 小さくともこのあたりの地域では、進学したいという子から学校の勉強に遅れないようにという子まで、小学生から高校生までの子どもの面倒を見てくれる有名な塾だ。受験となると予備校やら有名な進学塾に乗り換えてしまう子もいるけれど、実夕は多摩創に残ったのでほっとした覚えがある。


 母さんの言葉から、私はふと思い至った。


「ていうか、滑り止めに落ちるって意味わからなくない? 滑ったのを止められなかったら受ける意味ないじゃん」


「そりゃそうだわな。だから、ほぼ確実に受かるところを選ぶのが普通だけど……吉本さんがそこらへん見誤るとは思えないんだよなー」


 吉本さんとは、多摩創を経営してるご夫婦の名前だ。


「まぁ私としては、実夕と同じ中学になったのは嬉しいんだけどさ」


「で、つるんでる奴らが気に入らないと」


「言い方。そういうわけじゃなくてさ」


「冗談よ、心配なんでしょ。確かに聞いてる限りでは実夕ちゃんが付き合うタイプではなさそうね。あの子はもうビジュアルから大人しいというか弱々しさが醸し出てるから。それが可愛くて仕方ない。どうして清佳はこんな正反対な子に」


 母さんは、わざとらしい泣き真似をする

 私はうるさいな、と言いつつも、確かに実夕と私は正反対だった。どうして仲良くなったのか今でも不思議である。


「とはいえ現状、清佳に出来ることはないわな。私も仲間に入れてなんてあんたは言えないでしょ」


「言えないね。絶対、山口さんと五秒で喧嘩になる自信がある」


 母さんは肩を竦めながら笑った。


「だったら経過観察ね。まだ一日目だし、考えすぎかもしれない」


「だと、いいんだけど」


 母は立ち上がり、伸びをした。


「さて、メシの準備するか」


「母さん、あとさ」


「塾続けたいんだろ? いいよ。実夕ちゃんとも話せるだろうし。ちゃんと勉強もすること。いい?」


 私が頷くのを見て、母はアトリエを出て行った。

 バタンという戸が閉まる音とともに元の静けさに戻る。ひとり残り、肩が軽くなったのを感じた。人に話して荷が少し軽くなったのかもしれない。無自覚にも実夕を心配する気持ちは強かったみたいだった。


 私は立ち上がってスカートをはたく。初めて履いたときもう少し丈を短くしたいなと思った。でも、なんだか子どもが背伸びしているように見られそうで結局しなくて、それでも今日の朝、腰のところを一回転させてからまた戻した。


 そんなくだらない話を実夕としたかった。


 塾でも出来る話だけど、学校で話すことに意味がある。


「休日、誘ってみるかな」


 中学生になったら、行きたいと思っていた場所が山ほどあった。別に学校で話せなくても構わない。私立に行ってしまったら会えなくなるなというストレスが消えたと思えば、むしろ気分は悪くなかった。


 考え過ぎであってほしい。仲良くやっているのだと信じたい


 けれど、私のそんな小さな願いは早々と崩れることになった。

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