第5話
入学式を終えて、私は早々に帰宅していた。
図書室に寄ろうと思っていたけど、気分が乗らなかったのだ。実夕と一緒に行けると少しでも思ったせいで一人で行く気にならなかったからだろう。
武家屋敷といっても相違ない自宅に帰ると、私は母屋ではなく、庭の離れにある父のアトリエに直接入っていた。
アトリエは、塀で囲まれた棟門をくぐってから母屋に続く飛び石の途中、十メートルほど歩くとある小屋だった。
プレハブの小屋は庭園と呼べる場所には不釣り合いで、そこだけが切り抜かれて編集されているような歪があった。定期的に入っている庭師さんはいつもアトリエを見て渋い顔をしていた。
なかは窓が一つだけの六畳程度しかない広さで、敷き詰められたカーペットの床には元のグレーの色の上からグラデーションのようになっていた。まだ乾いていない没にした絵を床に伏せておいたせいだった。
放置された画材や、たくさんのイーゼルが壁際に所狭しと置いてある。誰にも使われなくなった道具は朽ちるの待っているのか、再び息を吹き返すのを待っているのか、ここにいるとじっとこちらを見ているような気がした。
残念だね、私は絵なんて描かないよ。
ここにくる度に私は心内で道具たちに伝えている。画家の娘のくせに絵が下手だ、といわれるのは慣れっこだった。芸術センスは遺伝なんてしないんだ。
私はいつも父が座っていた小さな木の椅子に座ってぼーっとしていた。
主がいなくなったこの部屋は、自分の部屋よりも居心地がよかった。考え事をするときは特に重宝した。考えたくないことを考えるときは、特に。
あれから入学式、部活動紹介を経て、ホームルームで担任が改まって自己紹介してから生徒一人一人が自己紹介する恒例のイベントがあった。
みんな嫌がるけど私は嫌いじゃない。名前が覚えられるし、話し方や態度で大体の人間性は見えてくるものだ。
男子は特にわかりやすい。女子は、人それぞれかな。素直な子もいるけどそうでない子もいる。女子は大体が嘘つきだから。良くも、悪くも。
自己紹介があったおかげで、実夕の属するグループ全員の名前がわかった。
特にあのリーダー格の女子の名前は、山口千晶。いかにも私はお嬢さまです、可愛いです、お淑やかですとアピールするような自己紹介を聞いてて吐き気がするくらい気持ち悪かった。
いや絶対性格悪いじゃん、お前。
なんて思っていたら後ろにいた男子二人組が、山口可愛いとかほざいているのが聞こえたので、男子はほとほと外面しか見ないのだなと呆れたものだった。
山口千晶、か。
確かに顔は自惚れる程度の可愛いからまぁ女王様を気取るだけの器量はあるかもしれない。問題は、実夕と仲が良くなるタイプではないということだった。
ホームルームが終わって、実夕を含めた四人はすぐに集まっていた。横目にそれを観察していたけれど、どの角度から見ても「3+1」にしか見えない。もちろん実夕が「1」の方である。
やがて、四人はまとまって教室を出て行った。
実夕は去り際にこちらを見て「ごめんね」という風に笑ってみせた顔が痛々しくて、私はちゃんと笑顔で返せたか自信がなかった。
これは、しかし。
「どうしたもんかねぇー」
「なにひとりで喋ってるのよ」
唐突に声をかけられて、身体が跳ね上がった。ひっくり返りそうになった椅子をなんとか堪える。
いつの間にか、三和土で母さんが仁王立ちしてこちらを見ていた。
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