安寧な日々
私が龍美お姉からUSBを受け取りブログを開設してから、早いもので二年が経つ。
先日行われた三回忌で私は、「まだ中村さんはいらっしゃってません」と龍美お姉の墓前に報告した。
実際にはパパのお姉さんで、私にとっては叔母にあたる彼女を龍美お姉と呼ぶのは、私にとって本当にお姉さんみたいな存在だったからだ。ママよりも年上だし、私とは二回り以上齢も離れているのに、私は龍美お姉をともすれば親友のように思っていたし、彼女もそう思ってくれていた。
龍美お姉からUSBを渡された日、私は現実を受け入れられなかった。
それはお姉が実際に亡くなってからもそう。
私はパニックになっていたし、悲しみに打ちのめされていた。
それでも受け取ったUSBを開いてみて、龍美お姉の「願い」を目の当たりにした私は、これは何が何でも成し遂げなければならないという使命感に燃えた。
どうにか彼、中村さんに届くようにと私は彼だけが読めば分かるように、ブログのタイトルと内容に工夫を凝らした。
まさか中村さんここですよ!とは書けないので(そんな事したら面白がった有象無象の中村さんが湧いてきてしまう)龍美お姉のブログを時系列で読み進めて、彼が関わっているような記事に印を入れて、構成して、繋ぎ合わせて。
この作業は高校生になったばかりの私にとっては中々骨の折れるものだったが、お姉の遺志を継ぐのだという固い決意と、少しだけ私も中村さんという人に会ってみたいなんて思いもあって、USBを受け取ってから二か月後にはもう全世界に向けて発信したのだから、我ながら大したものだと思う。
そして私は、中村さんがすぐに気づけるように、もしくは中村さんに近しい誰かが中村さんに伝えてくれることを期待し、なるべくたくさんの人の目に触れる事を願って、ブログをありとあらゆるSNSや投稿サイトにアップした。
最初のうちは、中村さんからのリアクションを今か今かと待ち構えて、ブログ等々をチェックしない日は無かった。しかし、一向にそれらしきコメントが来ないので、そのうちに「そんなみ早くあるわけ無いか」と自分を納得させてしばらく放置していたが、一年が過ぎ、二年が経った今、さすがに自分の構成に問題があったのでは無いか?と焦り始めていた。
いや、中村さんは相当変わった人だったみたいだし、自分の中で自己完結してしまって、もう会いに来ない可能性もある。
まさか龍美お姉の事を忘れてしまってるなんてことは、さすがに無いと信じたいけれど……。
とにかく、私の構成の拙さで二人が出会えないなんて事だけはあってはならない。
お姉に申し訳が立たないし、中村さんにだって合わす顔が無い。
そんな事を考えながら私は今、お姉のブログを読み返していた。
二人が交わした約束。
「私を懐かしむことがあったら、この本を手に取ってほしい」
私はこの文章に、何となく違和感を覚えていた。
そして、私宛の手紙に書かれていた、「鍵を開けるのは彼だけ」、「そこに私はいます」。
そもそも、龍美お姉はもうこの世にいないのだ。こんな事考えたら泣きそうになるから、深くは考えないけれど、そもそも「本を手に取って」っていうのがよく分からない。
まあ、変な勘繰りはやめよう。二人だけに通じる何かがあるのかもしれないし。
私にできるのは待つことだけ。
「中村さん、早く会いに来てよ。龍美お姉待ってるよ」
愚痴のような独り言をこぼし、私はブログにアクセスしてみたが、ブログにもどこにも、今日も中村さんからのコメントは見つからなかった。
「千夜夢、ちょっといいかな」
夕食の後、部屋で小説を読んでいたらパパがドアをノックした。
パパが私の部屋にまで来るなんて珍しいことだ。
「何か用?」
私は何か嫌な予感がして思い切り不機嫌な振りをした。
「そんないきなり喧嘩腰にならないでくれよ。いや、実はね。実家をさ、売りに出そうと思ってるんだ」
「えっ?なんで?」
「いつまでもあのまま放置しておくわけにもいかないんだよ、維持費も馬鹿にならないし、もう誰も住まなくなって二年だ。今後の事も考えてのことだよ」
「そんな……」
「千夜夢がショックなのはよく分かる。パパだって同じ気持ちさ。自分が生まれ育った家だからね。だけど、だからといってそのままにしておくわけにはいかないんだ。分かってくれるね?」
「…………」
「あの古い家は一度取り壊すことになるから、千夜夢も近いうちにあそこにある本で気に入ってる物があるのなら、運んでおきなさい」
「……全部」
「え?」
「龍美お姉の家にある本、全部よ!全部持ち出せないなら、私あの家にずっと居座ってやるんだから!」
「ぜ、全部って、それはさすがに無理だよ。置いておけるような部屋も無いし。それに居座るだなんて……」
「ならいい。私一生あそこで暮らすから。さよなら」
「ちょっ、ちょっと待ちなさい。ならこうしよう。庭に本の置ける納屋を建ててやるから。なっ?これならどうだ?」
「……本当に建ててくれるの?」
「ああ、もちろんさ、約束する。だから困ったことを言わないでくれ」
「……わかった」
「ふう、まったくもう。千夜夢にはかなわないな」
「でもさ、パパ」
「うん?」
「あの家、無くなっちゃうんだね。寂しいな」
「ああ、そうだね。パパだって本当に寂しいんだ。でも……」
「仕方のないことなのよね」
私が先回りして言うと、パパは少しだけ顔を曇らせて頷き、リビングへと戻っていった。
次の日曜日。私は龍美お姉の家にいた。
少しずつだけど、本を運び出しておこう。そう考えて、段ボールにせっせと本を詰めていった。
小学生の頃、龍美お姉がボランティアで廃校になった小学校の本の整理をしていて、私もそれを少し手伝った事があるのを思い出した。その時のことも少しだけ、ブログに書いてくれてたっけ。確か図書カードの話の時、中村さんが初めて登場する回だ。
詰め終わった段ボールを運び出そうとして、そのあまりの重さに持ち上げる事すら出来なかった私は、開き直ってソファーに寝っ転がって小説を読んでいた。
一冊読み終わって首を回し、さて次は何を読もうかなと奥の部屋に入って行った時、龍美お姉が使っていたパソコンが目に入った。
病室でも使っていたお姉愛用のパソコン。
私は電源を入れて、パソコンを立ち上げてみた。
デスクトップには渡されたUSBに入っていたデータフォルダが、そのまま張り付けられている。
「お姉はこのパソコンでブログを書いてたんだなぁ」
私は少し感傷的になってしばらく画面を眺めていたが、そのうちゴロンと横になって何となくスマートフォンを開き、自分がアップしたブログサイトを開いてみた。
「えっ!」
私は思わず自分の目を疑った。
表示された新着コメント1件という文字。
目をこすって何度見返しても、トップ画面にはそう表示されている。
私はガバっと起き上がると画面を連打し、コメントを開いた。
「初めまして。中村と言います。このブログを書いた人と連絡が取りたい。このメッセージに気づかれたらこちらのアドレスまで」
「なっ中村さん!中村さんだ!中村ですって書いてある!ええと、どうしたらいい?メッセージ?メッセージ送ったらいいの?アドレスは……これね!」
パニックになりながらも書きこまれていたアドレスにすぐ返信する。
「メッセージありがとうございます。本当に中村さんですか?今どちらに?」
コメントをくれたのは昨日の23時32分。もう12時間近く経っている。
ああ、何でもっと早く気づかなかったんだろう。バカバカ私のバカ!
私が自分の頭を叩いていると、すぐに中村さんから返信が来た。
「本当に中村ですよ」
「中村さんにお見せしたいものがあります。すぐに来てください!住所は○○-○○。表札に矢沢って書いてます!」
「すぐに向かう。ちなみにあんたは誰だ?名前は?」
「私は矢沢千夜夢。矢沢龍美の姪です」
私はそう返信した後、しばらくウロウロと部屋の中を行ったり来たりしていたが、メッセージのやり取りを見返して、ふと冷静になって考えた。
中村さん。本物だよね?でももし成り済ました誰かだったらどうしよう。私勢いで住所まで書いちゃった。ああ、何かヤバい気がしてきた。でも待って、成り済ましても何の意味もないし、やっぱり本物だとしか……。
ぐるぐると頭の中で考えて、ブツブツと独語していたその時、インターフォンが鳴った。
「ここ、矢沢さんの家?」
「え、ええ。そうですけど……」
私が玄関を開けると、家の前に停められた黒塗りのセダンを背にし、立っていたのはいかにもなチンピラ風の男性だった。
まさかこの人が、中村さん?
……なんだか全然想像していた人と違うなぁ。
背も小さいし、思ったほど迫力も無い。派手な柄のシャツと鰐皮のポーチは何となくイメージに近いけど、私が想像していた「中村さん」とはかけ離れた風貌だった。
まじまじと顔を眺める私に男性は「ちょっと失礼」というと、
「社長、やっぱりこの家みたいですぜ!」
男性は車に駆け寄ってそう叫んだ。
次の瞬間、後部座席のドアが勢いよく開いて、中から現れた男性に私は目を見張った。
で、デカい。デカくてゴツイ。見上げた私は思わず生唾を飲んだ。
180㎝はありそうな背丈に浅黒い肌、ガッシリとしたまるでプロレスラーのような体格を包む上下黒のスーツに、どこで売っているのか錦鯉がプリントされたシャツに銀色のネクタイを合わせ、
「あんたが千夜夢さんかい?」
「うわぁ本物?本物の中村さんなのっ?」
サングラスを外しニヤリと笑うと、
「ははっ、まるで龍美さんの生き写しだな。初めまして。中村虎重です。よろしく!」
中村さんは大きな声でそう言ってまたニヤリと笑うと、私の肩をポンポンと叩いた。
「適当にそこら辺を流してろ。終わったら連絡するからよ」
「へいっ」
中村さんに言われ、小柄な男性はすぐさま運転席に乗り込むと風のように走り去った。
……やはりホンモノは格が違う。
それにイメージしてた中村さんより何倍も厳つい。
あの大人しい龍美お姉が、よくこんな人とまともに会話出来てたなと私は素直に感心した。
「すみません。冷蔵庫に何も無いのでこんな物しか出せなくて」
中村さんを部屋に通し、私は自分用に買ってきていたペットボトルのお茶を差し出した。
「いや、お構いなく。それより冷蔵庫に何も無いってのは何でまた」
「もう二年も空き家だし、この家、もうすぐ取り壊すから必要最低限なものしか置いてないんです」
「ああ、そうか……」
中村さんはそれ以上何も言わず、黙って龍美お姉が使っていた部屋を見つめていた。
「ここは、龍美さんの?」
「ええ、そうです。今は時々私がお邪魔してますけど」
中村さんはもう一度よく部屋を見回した。
ベッドを取り囲むように置かれた二つの本棚。その間から奥に伸びる隣り合わせの祖父母の部屋も、どこもかしこも龍美お姉の本で埋め尽くされている。
「……いい部屋だ」
中村さんはただ一言そう言って、ソファーにどかっと腰を落とした。
「それで、俺に見せたい物ってのは?」
いきなりそう切り出されて私は面食らったが、私は私で中村さんにどうしても聞きたいことがあった。
「その前に、お聞きしたいことがあるんですけど」
「俺に?何かな?」
「中村さんは、どうして今まで連絡をくれなかったんですか」
「ん?どういう事だ?」
「ごめんなさい、質問を変えますね。龍見おね、いや叔母の事を思い出さなかったのかと聞きたいんです」
中村さんは笑い出した。
「ふふふっ。俺も人の事は言えねえが、あんたも大概遠慮がねえなぁ」
「あっごめんなさい。気に障ったなら謝ります」
「いや、違うんだ。気に入ったよ。それでこそ龍美さんの姪だ」
どういうことだろう。私は中村さんの言葉の意味が今一つ理解できなかった。
「龍美さんの事を思い出さなかったのかって?ふふっそうだな。その問いの答えはある意味イエスだ。だって思い出すってのは一回忘れてるってことだ。違うかい?俺はこの二年間、龍美さんのことを忘れた日なんて無かった。だから思い出すなんて言葉は当てはまらない。俺の傍にはいつもこいつがあって、この本を捲らない日なんて無かったからな」
そう言うと、中村さんは鞄から一冊の本を取り出した。
「……花束を君に。ですね」
「ああ、そうだ。さすが、よくわかってるな。俺と龍美さんを繋ぐただ一冊のこの本が、俺の寂しさを紛らわす唯一の心の拠り所だったんだよ」
「けど、龍美お姉は会いに来て欲しいって……」
「ああ、俺も会いたいよ。会いたくて会いたくて仕方ねぇ。だから毎日この本を持ち歩いてるんだ。そうすれば龍美さんの笑った顔、怒った声が今でも傍にある気がするんだ。俺はそれで満足した気になってた。けどよ、なんだかその日は自分でもわからねえけどふと、普段使わねえパソコンに、『矢沢龍美』そう入力して検索してみたんだ。今となってはこれも虫の知らせってヤツなのかもしれねえな。とにかく表示された画面を見て、俺は驚いたね。なんと検索された一番上に、『矢沢龍美のブログ』ってのが出てきたじゃねえか。あれを見た時の俺はひっくり返ったよ」
私は中村さんのその言葉を聞いて、心の中でガッツポーズした。
そう、そうでしょ?
私は中村さんが『矢沢龍美』と検索した時に備えて、ブログのタイトルを『矢沢龍美のブログ』としたのだ。
良かった、上手くいって。
まあ、本音を言えば中村さんにはもっと早く『矢沢龍美』と検索エンジンに打ち込んで欲しかったところではあるけど。
「龍美さんのブログがあるなんて、俺は俄かには信じられなかったが読み進めていくうちにこれはホンモノだって分かったよ。何せ、俺に関わることばっかり書いてあるんだもんな」
「あのブログは、龍美お姉が遺したものです。私はその記録をUSBにしてお姉から渡されました。亡くなるちょうど1週間前の話です」
「ほう」
「そのUSBの中に、私宛の手紙がありました。そこには『いつか彼が、私を訪ねてくれる。その時のために、彼に向けてブログを発信してほしい』そして、『彼からこのブログに何らかのアクションがあった時は、このUSBにある鍵の掛かったフォルダを彼に教えてあげて』そう書かれていました」
黙ったまま聞いている中村さんに私は続けた。
「鍵を開けるのは中村さんだけ、『そこに私はいます』と」
私は龍美お姉のパソコンを開き、中村さんに鍵のかかったフォルダを見せた。
穏やかだった表情は消えて、中村さんはしばらく考え込んだようにじっと動かなかったが、やがて、
「まず、あんたには礼を言わなくちゃいけないな。千夜夢さん、ありがとうよ。あんたが龍美さんの遺志を継いでくれたから、俺は今こうして龍美さんの遺したそのフォルダってのに向き合うことが出来てるんだからな。正直に言うとな、俺はこの『矢沢龍美のブログ』を書いたのが、どこのどいつか突き止めてやろうと思ってたんだよ。何のためにコイツは龍美さんの名前でブログなんか書いてるんだってな。だが、内容が内容だ。面白半分で書いてるんじゃ無さそうだし、こいつは何かあると睨んだわけだよ。だがあんたの話を聞いてよくわかったぜ。だからあんたには感謝している。すまなかったな」
中村さんはそう言って姿勢を正すと、丁寧に頭を下げた。
「これを開けばいいんだな」
中村さんがクリックしたフォルダは10桁程の番号(しかも途中途中にハイフン付き!)を入力しなければ開かない仕様になっていた。
龍美お姉は開くことが出来るのはやはり中村さんだけって言ってたけど……。
中村さんは少しの間、口に手を当てて考えていたがやがてニヤリと私の方を見た。
「……ああ、なるほどな」
「えっ?中村さん、分かるんですかこの暗号」
「ああ、分かったよ。ふふっ『この本を手に取って』か。龍美さんらしいな。まあ、俺がこれを解けるのも、こいつを肌身離さず持って読み返していたからだよ」
中村さんはそう言って、「花束を君に」を裏返した。
「あっ!ISBNコード!」
「おっ気づいたか。そうだよ、このコード番号はこの本にだけに与えられたものだ。きっとこれに間違いねえ。ええと……よし、打ち込んだぞ。開いてみるぜ」
入力し終えた中村さんに私は言った。
「ちょっちょっと待ってください、中村さん!」
「うん?」
「これは私の勘ですけど……このフォルダには、お二人に纏わる何かが残っているはずです。私は席を外しますから、どうぞお一人で心ゆくまで」
「なんだいそりゃ。まあ気を利かしてくれてるってことだな。ありがとよ」
私が隣の部屋に移ると、カチッとマウスをクリックする音が聞こえた。
………………………………。
部屋には長い沈黙があった。
どうしたのだろうかと、我慢できなくなった私がそっと部屋を覗きこんだ、その時だった。
「フッフフフッハハハハハ……」
中村さんが大声で笑いだし、私はギョッとして思わず声をかけた。
「な、中村さん!大丈夫ですか?」
その目は真っ赤で、両目からは涙が溢れていた。中村さんは泣いていた。泣きながら笑っていた。中村さんはそれを拭おうともせずに、私を手招きした。
「ハハハッ千夜夢さん、見てくれよ、さすが龍美さんだ。ハハハハハッハッハハハハハ」
飛び跳ねるようにパソコンの前に駆け寄って、私も画面を覗く。
開かれたフォルダ。
「5月 安寧な日々」
そう書かれたタイトルをスクロールした先に、
真っ青に澄んだ青空の中、気持ちよさそうに日の光を浴びて微笑む、龍美お姉の写真があった。
「えっ?これ、龍美お姉の自撮り?」
「フフッいつの間に撮ってたんだろうな。忘れもしねえ、いや忘れるわけがねえ。あの日の、龍美さんの最後のページだ。『私はそこにいる』か。龍美さん……粋な女だぜ。ったく」
「龍美……お姉……」
私の顔も溢れだした涙でぐしゃぐしゃになった。
私は画面いっぱいに映るその笑顔を見て、龍美お姉は確かに穏やかで幸せな人生を過ごし、美しい物語を生きたのだと理解した。
「会いにきたぜ、龍美さん」
中村さんがそう言ってニヤリと笑う。
その時写真の中の龍美お姉が一瞬舌を出したような、そんな気がした。
矢沢龍美のブログ ~陰キャOLの安寧な日々を求めて~ @zawa-ryu
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