記憶

 見覚えのある、いや忘れようの無いその顔は、私の記憶を鮮明に甦らせた。

「中村君?中村君なの?」

「へへっ久しぶりだな。元気だったかい?」

 ニヤリと笑うその顔はあの頃と何も変わっていない。紛れもなくあの中村君だ。

 だけど、そんなはずは…。だって彼はもう…。

「お知り合いですか?」

 桐生さんが訝しげに尋ねる。

「おう。俺たちはまあ昔の、何ていうかアレだよ。なあ?」

「えっ?それってどういう…」

「ちょっと!変な事言わないで!桐生さん、こちらは中村君。ただの同級生ですから」

「おいおい、そりゃないぜ。一緒に本を借りたり休みの日にはお茶した仲じゃないか。この男は今のカレシかい?」

「違います!私には過去から遡って現在までそんな人はいません!こちらの方は桐生さんといって恩師の甥子さんです、あんまり失礼な事言わないで下さいっ」

「なんだ、ただの知り合いの知り合いか」

「ああ、君の言う通りだよ。僕たちは今日用件があって初めて会ったばかりさ。さっきまでカフェでコーヒーを飲んでいただけだ」

「ふうん。ならその用件が済んじまえばもう会うことも無いってことだな」

「それはどうかな?今はただの知人でも、この先どうなるかは分からない」

「ちょっ、ちょっと桐生さんまで何を言ってるんですか!」

「ほう、面白いこと言ってくれるじゃねえか。だが、龍美さんとお茶したんなら俺だって同じだ。俺たちは同じ立ち位置にいる。違うかい?」

 にじり寄ってにらみ合う二人に、私は堪忍袋の緒が切れた。

「二人ともいい加減にしてっ!」

 大声を上げた私に二人はギョッとしたが、その後ろの通行人までこちらを振り返るのが見えた。

 だが、そんなことも気にならないぐらい私の頭は沸騰していた。

「これ以上まだそんなつまらない言い争いを続ける気なら、二人でどこか行って勝手にやってください!私は帰ります!」

「ま、待ってください矢沢さん!おい君、もういいだろ。要件は済んだはずだ。さっさと車をどかしてくれ」

「ふふっ。変わって無いな龍美さんは。いいだろう。龍美さんに免じて今日の所は引いといてやるが、次は無いぜ。じゃあな龍美さん。また近いうちに会おう」

 言うなり彼は私たちを残して、派手に排気ガスをまき散らして消えていった。

「すみません。安っぽい挑発に乗ってしまって」

 心底申し訳なさそうな顔をする彼に、私の怒りは辺りの排気ガスの臭いとともに、だんだんとしぼんで消えていった。

「私も、大きな声を出してしまってすみませんでした」

「いや、悪いのは僕です。でも、何だか信じられないな。こんな言い方は失礼だとは思いますけど、あの男と矢沢さんがどうしても繋がらないというか」

「ええ、本当に。私も信じられません。だって…」

「だって?」

「だって、彼。とうの昔にこの世からいなくなったはずなんですもの」

 ますます訳が分からないという風に片眉を上げる彼と私の肩に、ポツリと雨の雫が落ちてきた。



2010年6月9日(水)のブログより一部抜粋


 突然ですが皆様はいわゆる心霊現象について信じますか?

 私は全く信じていない訳では無いですが、お化けの類は苦手なので、いなければいいなぁと思うぐらいで、まあ、あまり意識してこなかったと言うのが本音です。

 なぜ頭ごなしにそんなことを尋ねるのか?

 先日このブログで「中村君」という方の思い出について書いたのですが、

(4月3日のブログ参照)

 彼とは私が高校1年生の時に出会い、その後亡くなってしまった悲しい思い出がありました。

 しかし、その中村君に再び私は出会ったのです。

 それも2回も。

 おっ?今回はオカルト回か?と思われた方。

 いいえ、そうではありません。

 一度目はつい先日、先週の土曜日のこと。

 その時彼は相変わらず突然現れて、いつものように訳の分からない事を言い、また会おうと言い残して嵐のように去っていきました。

 その日、件の書籍を渡す大役を担っていた私は、任務遂行後の緊張感から解放される間もなくそんなことになって、疲れ果ててしまいました。

 あれから数日経って、ようやく体の調子も取り戻した矢先。

 今日、私は再び中村君に出合ったのです。


 業務も落ち着いた昼下がり、社長にお部屋の芳香剤を買ってくるよう命じられた私は、例のごとくホームセンターに向かいました。

 棚に犇めく多種多様な芳香剤を目の前にして、いったいどれが良いのやら、にらめっこしていた時のことです。

「……さん。龍美さん」

「えっ?ぎゃあっ!」

 私を呼ぶ声に振り向いた先には、中村君。

 私は思わず大声を上げましたが、彼はそんな事は意に介していない様子で、

「ほらな、また会っただろう?」

 相変わらずニヤリと私に笑います。

「ま、また出た!」

 私はまず、彼の足元を確認しましたが、足はちゃんと地面についています。

 今度は、彼の腕を触ってみましたがちゃんと感触もありました。

「おいおい、なんだよ。そんなに会いたかったのか?」

「…生きてる」

「当たり前だろ?なんで俺がくたばらなくちゃ…」

 そこまで言って、彼は意味ありげに顎をさすりました。

「もしかしてだけどよ。俺が死んだって話は、あの高校まで広まってたのかい?」

「広まってるも何も、あの年の夏休み明けはあなたの話で持ちきりだったわよ。怖い人とトラブルになって、それで、その、事故に遭ったって」

「くくく、そうかい。そりゃ矢沢さんが驚くのも無理ないな」

「ねえ、いったいどういうことなの?あの話しは嘘だったってこと?」

「ああ、仕事上でトラブったのは本当だよ。それもタチの悪い連中とな。断わっておくが俺は何もやましい事なんかしちゃいないぜ。元請けの奴が、初めに聞いてた俺の取り分より多くピンハネしやがったから怒鳴り込みにいったんだよ。そしたらバックについてる奴らが出てきやがってよ。危うく家族にまで危害が及びそうになったもんだから、一芝居打ってやったんだよ」

「それで、死んだことに?」

「ああ、当時一緒に仕事してた先輩にも協力してもらってな。中村が死んだって話を流してもらって、俺は県外に出たんだ。それからしばらくは色んな所を転々としてたよ。戻ってきたのはついこの間だ。今じゃ俺とトラブった奴らもすっかり弱っちまっててな。戻るなりきっちり話つけてやったよ。そんなわけで、俺はこうやって大手を振ってこの街を歩けるってわけだ」

「そんな、そんなことって。…私がどれだけショックだったか、わかってるの?立ち直るのだって、どれだけ時間がかかったか…」

「まあ、申し訳無かったって気持ちはあるよ。ただ、俺だって家族を危険に晒すわけにはいかなかったのさ。しかし、龍美さんがそんなに心配してくれてたとはなぁ。やっぱり俺のことが忘れられなかったみたいだな」

「このバカっ!」

「おいおい悪かったって。そうカリカリするなよ。そうだ、詫びも兼ねてお茶でもどうだい?お互い、積もる話もあるだろうよ」

「お詫びなんか結構です!それに私今、仕事中ですからっ」

「固いこというなよ。そういや龍美さんは何の仕事をしてるんだ?」

「えっ?不動産の受付ですけど」

「どこの?」

「駅前通りの、病院の近くです、けど」

「ほう。てことは西山さんとこか」

「どっどうしてウチの社長を?」

「まあこう見えて顔が広いんでな。そっち方面のお客さんも多いしよ」

「あっあなたこそいったい何の仕事してるんですか?」

「ふふ、気になるかい?まあ分かりやすく言えば銀行だな。困ってる街の社長さん相手にお金を貸してあげる神様みたいな仕事さ」

 なるほど、街金か。

 見た目通りのお仕事で、私は妙に納得しました。

「それよりどうだい。仕事中が都合悪いのなら週末の予定は?」

「おあいにく様。私この週末は白浜に遊びに行くんです」

「何?まさか相手はこないだの優男じゃないだろうな?」

「関係ないでしょ、中村君には」

「まあいい、龍美さんが誰と会おうが俺にとやかく言う権利は無いからな」

「当たり前です。それじゃ」

 さっさと帰ろうとした私を、なおも中村君は引き止めます。

「待て待て。なら、そこの出店のたい焼きを買ってやるよ」

「へ?たい焼き?」

「ああ。さっきたい焼きを物欲しそうに見てたじゃないか」

「なっ、なぜそれを」

「ふふふ。この店に入る前から龍美さんに気づいてたんだよ。さあ何がいい?あんこか?カスタードか?知ってるか?最近はミックスなんてのもあるんだぜ」

「結構です!」

 まだ何か喋ろうとする中村君を振り切って、私は職場に戻りました。

 その後、手ぶらで戻った私は社長に呆れられ、もう一度ホームセンターまで走る羽目になり、どうか中村君の存在が幽霊であったらいいのに、と思った次第です。

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