梅のジュース

2010年5月29日(土)


 先日、職場のお使いでホームセンターに行きました。

 梅酒を漬ける大ぶりな瓶が特設コーナーにうず高く積まれていて、

 ああ、もうそんな季節が来たのかと思った次第です。

 私たちの地域では大体5月末になると風物詩のようにそういった光景を目にしますが、これって全国的な物なのでしょうか?

 青梅の取れる時期によって変わってくるような気もしますし、そもそも梅酒を漬けるという生活スタイルが無いところもきっとあるでしょうね。

 我が家は父も母もお酒を飲みませんでしたが、近所に住む祖父はお酒を嗜み、よく梅酒を漬けていました。

 梅酒の作り方をざっくり説明すると、瓶に青梅を入れ氷砂糖とお酒に漬けて3か月程寝かせれば完成です。

 この「お酒」には一般的にホワイトリカーを使うことが多いようですが、祖父の場合は大好きなブランデーを入れていました。

 好きなお酒を用いて、各家庭で好みの味が出せるのは梅酒の魅力だと思います。

 しかし、20度以下のお酒で漬けてしまうと、密造とみなされ法律違反になってしまうので注意が必要です。梅酒を漬ける際は度数の高いお酒を使用してくださいね。


 ちなみに、お酒を入れないと梅のジュースが出来ます。

 皆様は梅ジュースを御存じですか?お酒を入れずに梅と氷砂糖だけで作る、甘酸っぱい爽やかな飲み物です。


 今日はそんな梅ジュースのお話を書いていきたいと思います。



 山々に囲まれたこの地方でも、私が暮らしているのは良く言えば自然豊かな、平たく言えばいわゆる「田舎の町」で、家の周りには田んぼや畑など、のどかな風景が広がっています。

 隣の民家は老夫婦が暮らしていて、そのお宅には夏休みになると帰省してくるお孫さんがいました。

 お孫さんは、私より6つ年上のお兄さん。

 私は幼稚園のころから、毎年夏休みに帰ってくるそのお兄さんに会えるのを楽しみにしていました。

 幼いころから大人しく引っ込み思案だった私ですが、いつも穏やかで優しかったお兄さんにはよく懐いていて、一緒に本を読んでもらったり、近所にある川に遊びに連れていってもらっていたのです。


 小学3年生になった年の夏、お兄さんが来ていると知った私は喜び勇んで隣家へ遊びに行きました。

「龍美ちゃん、元気だった?」

 出迎えてくれたお兄さんはそう言って笑うと、通してくれたお部屋で一冊の本を私に手渡しました。

「これ、面白いから読んでごらん」

 本のタイトルは「空飛ぶ大かいとう」

 憎めない怪盗とその子分が様々な悪事を企みますが、そこに立ち向かう少年探偵団とのドタバタ劇がユーモラスに描かれています。

 私は読み出すなり夢中になって、時間を忘れて物語の世界にのめり込みました。


「ちょっと休憩したら?」

 そう言ってお兄さんは淡い薄黄色の飲み物を持ってきてくれました。

 気付けばもうお邪魔してから2時間ほど。

 私は初め、祖父が飲んでいる梅酒かと思ってギョッとしましたが、お兄さんは笑って言いました。

「婆ちゃんに作ってもらった梅ジュースだよ」

「梅ジュース?」

 飲んでごらんとお兄さんに促され、恐る恐るコップに口をつけた私は一口飲んでその美味しさに驚きました。

 口の中に広がる甘酸っぱさが心地よく、爽やかな梅の風味が舌を包み込みます。

 何て美味しいのだろうと一気に飲み干してしまった私を見て、お兄さんは満足そうに頷きました。

「美味いだろ?作り方教えてもらったから来年は自分でも作ってみようかな」

「私、お兄さんの作った梅ジュース楽しみにしてる。絶対飲ませてね」

 目を輝かせる私に向かって、お兄さんはニッコリと微笑んで、優しく頭を撫でてくれました。


 しかし、翌年の夏、お兄さんは帰ってきませんでした。

 なんでも全寮制の高校に進学したとかで、勉強や部活に忙しかったのだと思います。

 私はお兄さんを待ち続けましたが、結局次の年も、その翌年も、お兄さんが帰ってくることは無く、とうとう私はお兄さんの作った梅酒を飲むことは出来ませんでした。



 6年生になった夏休みのある日、たまたま父に連れて行ってもらった書店で私は「空飛ぶ大かいとう」の新刊を見つけました。

 お兄さんのいない寂しい夏休みを過ごしていた私でしたが、その日だけは少し気分も高揚していたのでしょう。購入した本を持って近所の川に出かけたのです。

(実はこの日の出来事は、後述する理由で少し曖昧なのですが、記憶を辿って書いていきたいと思います)


 八月の太陽が輝く、とても暑い日だったことはハッキリと覚えています。

 木陰にあった石に腰掛けて、川原でしばらくページを捲っていた私は、日差しの厳しさに一旦本を閉じると、ふと思い立って川の方へと足を運びました。

 川は清々しい水音を奏で、山から吹く風が水面を撫で心地よく吹き抜けていきます。

 私はその風に誘われるように、サンダルを脱ぎ捨て川に入りました。

 冷たい川の水が足首を包み込む感覚に心地よさを覚え、一歩、また一歩と川に踏み入っていったその時でした。

 私はぬめる石に足をとられ体勢を崩すと、ザブンと飲み込まれるように川の中に引きずり込まれたのです。

 浅瀬だと思っていた川は急に深くなっていて、私は必死でもがきましたが、恐怖で全身が硬直して、体が上手く動きません。川の中にどんどん体が沈んでいくのを感じ、必死に水面に浮き上がろうとしましたが、水流は私の体を弄ぶかのように、底へ底へと押やります。

「苦しい…助けて…」

 もうダメかと思ったその時でした。

 誰かが私の体を抱きかかえ、そのまま私は水流に逆らうように水面へと引っ張り上げられました。

「ゲホッゲホッ」

 岸に引き上げられた私は、水を吐き出しなんとか呼吸を整えようと必死でした。

 朦朧とした意識の中、辺りを見回しても人の気配は無く、次に目を覚ました時には私は病院のベッドにいました。


 溺れた事によるショックからなのか、記憶があやふやで申し訳ないのですが、概ねこんな感じだったかと思います。

 今でも私を助けてくれた人、あれは一体誰だったのだろう?と不思議な気持ちになります。

 そもそも「人」であったのかどうかも分かりませんし、無我夢中だった私が自力で岸にたどり着いたのかもしれません。

 でも私は、あれはお兄さんだったのではないか?と思うのです。

 もちろん、お兄さんはそこには居ませんでしたし帰ってきてもいません。

 荒唐無稽な話ですが、いつも優しく私を大切にしてくれたお兄さんの「幻」が助けてくれた。私はそんな風に思っているのです。


 その後、私が高校3年生の時に久しぶりにお兄さんが帰省してきました。

 その隣にはとてもきれいな女性。そう、奥さんとなる人を連れて祖父母宅に挨拶に来たのです。

 久しぶりに会うお兄さんはすっかり大人になっていて、とても頼もしそうに見えました。

 お兄さんと彼女は幸せそうに笑顔で話をしています。

 そんな二人の姿を、私は少し離れた場所からじっと見つめていました。


 しばらくしてお兄さんは私に気づいて微笑むと、「久しぶりだね?」と声をかけてくれました。私は嬉しさと、ちょっぴり切なさが入り混じった気持ちでお兄さんを見上げました。

「帰る前に私の家にも寄ってね」私がそう言うと、お兄さんは「時間が出来たら行くよ」そう言ってくれました。


 私は家に戻ると、戸棚から梅ジュースを取り出しました。

 あの日、お兄さんに飲ませてもらった梅ジュースの味が忘れられなくて、毎年自分でもこの季節になると作っていたのです。

 しかし、お兄さんは私の家に来る事無く、その日の夕方には彼女と街に戻って行きました。

「お兄さん、もう帰ったみたいよ」

 リビングから響いた母の声を聞いて、お兄さんが来てくれたら振舞おうと用意していた梅ジュースを、私はじっと見つめました。

 もしこのジュースを飲んでくれていたら、お兄さんは私のことを褒めてくれただろうか?

 そんな風に思う自分を恥じて首を振ると、

「あの時はありがとう」

 私はひとり、梅ジュースをぐっと飲み干すと、そう窓に向かって呟きました。



 今回のお話は以上になります。

 ちょっとしんみりしてしまったので、最近あった嬉しかった事を二つ書いておきます。


 ひとつは、立ち寄った古書店で「花束を君に」を見つけたこと!

 本当にたまたま、通りかかったワゴンセールの棚を覗いていると目に飛び込んできたのは懐かしい表紙。先月探した時は出会えなかったのに、巡り合わせというのは不思議なものですね。


 そしてもうひとつ。「豆太郎のちえばなし」についてです。

 寄贈先だった方が、わざわざ名古屋から車で取りに来てくださる事になりました。

 こちらに関しては、ようやく本をお渡しすることができそうでホッとしましたが、私は何せコミュ二ケーションに難のある陰キャ(ブログタイトルの通り)なので、対面でお渡しとなると若干不安ではあります。

 まあ、ただ本を渡すだけのことなんですけどね。

 精一杯大役を果たしたいと思います。



 それでは皆様、また次回のブログでお会いしましょう。

 矢沢龍美でした。

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