小さな花

2010年4月18日(日)のブログより一部抜粋


 さて、先日ブログでお伝えしました廃校になった小学校(私の母校になります)の蔵書寄贈についてですが、一部トラブルがありまして、昨日はそちらの対応で慌ただしくしておりました。

 実はお一方、お送りした書籍が宛先不明で戻ってきたのです。

 初めは私が住所を間違えて発送したのかと思いましたが、戻ってきた宛名とお聞きしていた住所は一致していましたので、どうしたものかと当惑しています。


 発送までの間はその方と数回メールでやり取りをしていたのですが、今回の件で問い合わせのメールを送っても、現在まで返信がない状態です。

 不在だったのか、それとも何らかの事情で返信できないのかは分かりませんが、 今はただお返事があることを祈るばかりです。


 書籍の方は小学校を管理している役場の方とお話しして、一旦は私の家で保管する事となりました。

 持ち帰った段ボールを開封してみると、廃校記念に作成した学校史と、なんとそこには懐かしい本があるではないですか。児童向けの、そうですね、ジャンルはミステリーになるのでしょうか?「豆太郎のちえばなし」という単行本です。

 初版刊行が1951年となっていますのでかなり古い本になりますが、私が通っていた当時の担任の先生が勧めてくださった、私にとって思い出深い物語なのです。

 内容はというと、「豆太郎」というあだ名の主人公(小学生の男の子)の周りで起こる不思議な出来事に、彼を中心としたクラスの仲間が挑み、謎を解き明かしていきます。児童向けとは言うものの、謎解きも凝っていてなかなか読ませるんですよ。

 当時の私はこのシリーズを夢中になって読んだものでした。

 まさか、こんなところで巡り合えるとは驚きです。

 ただ、戦後間もなくの時代だからか、登場人物のセリフが「キミ、花をくれたまえ」なんて感じでかなり独特です。個人的には好きなんですけどね。


 そのまま懐かしいなと何冊かパラパラとめくっていくと、その中の一冊から、はらりと押し花の栞が出てきました。可愛らしい白い花が押された長方形の栞です。

 どこかで見たような気がして、私はふと母が似たような栞を使っていたのを思い出しました。

 父と母が亡くなったあと、二人の部屋は私の書庫と化していましたが、まだどこかにあるかな?と、部屋の奥にある母の本棚を漁っていると、若かりし頃の母の日記帳。その中の1冊にちゃんと挟まっていました。(母は日記をライフワークとしているような人でしたので、彼女の本棚にはかなりの量の日記帳がギッシリ詰まっています)

 確か結婚前から愛用している自作の栞だと母から聞いた事があります。

 手に取ってみると、母の栞の方が一回り小さな感じがします。

 押し花を透明なプラスチックフィルムのような物で挟んであり、長年使用していただけあって、フィルムはくすんで薄黄色に変色していますが、花自体はまるで昨日摘んだかのように色鮮やかな状態で残っています。

 押し花をパウチ加工したような栞は手作りと思えないほどの出来栄えで、いったいどうやって作られたのか、本当に不器用だった母が作ったのかしらと疑問に思ってしまいます。


 栞の作成方法も気になりますが、私がそれよりもっと気になったのは、押し花の方でした。

 それはとても小さく綺麗な花でしたが、よくよく見てみると、これまで見たことも無いような不思議な形をした花だったのです。

 これは一体何という花なのだろうか?

 興味を持った私は、インターネットで調べてみましたが、どのサイトの情報も写真も、当てはまるような物は見当たりません。

 家にあった図鑑を引っ張り出してみましたが、やはり同じでした。どこにも該当するような花が無いのです。

 花弁はバラのような形状をしていましたが、中心部は何とも形容のし難い雌薇です。


 栞の写真をアップしておきますので、もし読者様の中で、御存じの方がいらっしゃいましたらご一報くだされば幸いです。


※作者注 ブログの中では栞の写真が添付されていたようですが、このUSBには残っていませんでした。




2010年4月21日(水)のブログより一部抜粋


 先日のブログを見て頂いた方から、花の名前についてコメントを頂きました。

 調べたところ、残念ながら教えて頂いた花では無かったのですが、メリリン様、貴重な情報をありがとうございました。

 しかし、いったい母はこの花をどこで手に入れたのでしょうか?

 ますます謎が深まってまいりました。

 引き続きどなたか分かる方がいらっしゃいましたら、情報お待ちしております。


 また、戻ってきた書籍に関しても、いまだ送付先の方と連絡が取れておりません。

 こちらも気長に待つしかないのでしょうか…。




2010年4月24日(土)のブログより一部抜粋


 本日は栞の作成方法についてコメントを頂きました。

 情報を下さったマユマユ様によりますと、和歌山県白浜町にて園芸店を営んでいる知人の方が、手作りの栞教室を40年ほど前に開いていたとのこと。

 写真の栞がそこで作られたものによく似ているそうで、おそらくそこで作られた物では?との情報を頂きました。

 白浜町と言えば関西きっての旅行スポットですので、母が旅先で見かけた教室で、思い出のために栞を作ったという事もあり得る話です。

 これは有力な情報を得ました。コメント頂いたマユマユ様、ありがとうございます。


 私はさっそく、何かヒントになるものは無いかと母の日記を開きました。

 もし白浜に旅行に出かけていたら、母はきっと日記に残しているはずです。


 「栞」「白浜」をキーワードにして40年前、1970年代の日記帳を捲っていきます。

 母の日記は1ページ丸々埋まっている日もあれば、1行で終わっている日もあります。毎日何かしらは文章を残すという所に、「継続は力なり」を座右の銘にしていた母の性格がよくあらわれています。

 お昼前から読み始めて、私のお腹が3度目の悲鳴を上げた時、ようやくこれかな?と思う一文にたどり着きました。1976年に書かれた日記です。


 5月21日(金)

―体調変わりなく過ごす、風の強い一日。明日は特急に乗って健三さんと白浜へ―


 …短い。健三さんは私の父、矢沢健三で間違い無いかと思います。二人はこの時まだ交際中だったのでしょう。それにしても、せっかく彼氏と旅行なのだから、もうちょっと書く事は無かったのかしらと思いますが翌日の日記は、さらに淡白なものでした。

 

  5月22日(土)

 ―空は曇天。海の見える丘にふたりでひとつ。私は愛情、彼は従順―


 何とも詩的な、謎めいた文章です。母の日記には時折こういった記述が出てきます。

 その後もしばらく日記をめくっていきましたが、結局何の手がかりも得られませんでした。

 

 うーん。残念ながら収穫の無い一日となってしまいました。

 そう言えば、戻ってきた本についても未だ返信は無く、キャンセル扱いにするのか、それとももう少し待ってみるのか…悩むところです。




2010年4月27日(木)のブログより一部抜粋


 コメント欄でもたくさんの方からご心配を頂いていた、蔵書の寄贈について、ようやく先方から返信がありました。

 詳しい事情は分かりませんが、やはり何らかの事情があり、送り先の住所を変更せざるを得なかったようです。こちらの件に関して先方から丁寧な謝罪を頂きましたが、私としてはようやく胸をなでおろした次第です。

 ただ、送り先が確定するまで、もう少し時間が欲しいとのことでしたので、大切に保管させて頂きたいと思います。


 そして、「押し花の栞」についてですね。

 こちらも読者の皆様には随分と気をもませてしまいました。


 結論から申しますと、解決いたしました。

 それも、余りにもあっけなく。です。


 え?もったいぶらずに早く書け?

 そうですね、仰る通り。

 先週の土曜日、私は母の日記から押し花の謎について、母の日記からヒントを得ようとしました。

 そこで交際中だった母と父が、白浜に旅行に行ったことまでは突き止められたのですが、母の日記が余りにも淡白で、そこで行き詰ってしまいました。


 しかし、私は気づいたのです。

 旅行に行ったのなら、写真の一枚ぐらいは撮っているのではないかと。


 そうです。私は後日そのことに思い当たり、当時のアルバムを引っ張り出してみたのです。

 そこには、まさに押し花の謎。あの花の真実がバッチリと収められていました。


 1976年5月22日と記載された写真。

 私の目に飛び込んできたのは、写真の中に収められた、かつて恋人同士だった頃の母と父の写真でした。彼らは笑いながら、何か特別なものを手に持っているように写っています。母はバラを手に持ち、父は調べたところ五月雨桔梗という花を持っていました。


 そうです、父と母はお互いに花を持ち寄って、この一つの花を作ったのです。

 母の日記に書かれた、―海の見える丘にふたりでひとつ― は、白浜の海が見える丘で一つの花を作った。ということでした。

 母はそれを押し花にして、この小さな栞を作ったのです。


 解けてしまえばなんてことはありませんが、二人で一つの花を作るだなんて、まあ何とも、我が親ながら……。


 ちなみに母の日記の後半、

 ―私は愛情、彼は従順―

 これはもう皆様お気づきだとは思いますが、それぞれ、バラと桔梗の花言葉を表しています。


 父と母。二人は結婚前からもう、役割は決まっていたのだなぁと。

 ただただ、私は苦笑するしかありませんでした。


 バラは愛情、桔梗は従順。


 母は愛情をこれでもかと投げつけ、そんな母にいつも従順な父。

 思い返せば、我が家はいつもそんな感じでした。



 その二人の愛の証である私。

 ブログを通して皆様の目にどう映っているのか、恐いけれども興味深いところです。


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