図書貸出カードの思い出

2010年4月3日(土)


 3月中旬から昨日辺りまで、年度替わりの忙しさにかまけて、ブログの更新が滞っておりました。読者の皆様、申し訳ございません。

 また、いつもこの世界の僻地で、チマチマと書いている私の拙いブログをお読み頂いている全ての方へ、厚く御礼申し上げます。

 このブログがなんとか命脈を保っていられるのも、皆様からの応援のおかげです。

 今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。


 さて、ようやく仕事の方は落ち着いてまいりました。また、予ねてより進めてまいりました廃校の蔵書物についても送付作業が完了し、やれやれ一段落と言ったところです。


 私も数冊ほどおこぼれを頂戴してまいりましたが、先日そこでボランティアに来ていた女の子から「背表紙の裏側についているこの袋はなあに?」と尋ねられる一幕がありました。

 ひと昔前には図書館、もしくは図書室にある本の裏側には決まって図書貸し出しカードなるモノがございましたが、今は何でもパソコン化が進む時代。現代っ子にはすでに馴染みが無いようです。


 さて、その図書貸出カードですが、久しぶりに見たそのカード入れに、私はつい懐かしいなと昔を振り返っておりました。

 というのも、実は貸出カードについて、私は高校時代にちょっとした思い出があるのです。


 当時はなかなか立ち直れずにいた苦い現実でしたが、あれから十数年が過ぎ、今ではもう私も大人になりましたし、振り返ることができるようになりました。


 ですので、今日はそのことについて書いてみたいと思います。



 私が進学した高校は、所謂「田舎の自称進学校」でした。

 偏差値はまあそこそこ。それでも地元ではトップの学校でしたので、中学校とは違い授業中に騒がしくする生徒もおらず、比較的「大人びた人」か「物静かな人」が大半で、休み時間は読書をして過ごす生徒も多かったので、私は安心してどっぷりと物語の世界に浸っておりました。

 それでも外界の音声をシャットダウンするためにウォークマン(これももう絶滅危惧種かと思います)は必需品でした。


 そんなある日のこと、いつも通り食堂でササッとランチを済ませた私は、いそいそと読みかけていた文庫本を取り出し、ウォークマンをセットしました。

 さあいざ物語の世界へ飛び込まん!とした時、ふいに背中をツンツンと突かれ、

「……さん。龍美さん」と私を呼ぶ声が聞こえたのです。

 私は何事かとイヤホンを外し、後ろを振り返ってギョッとしました。

 そこにいたのは中村君(仮名)という男子生徒。

 私は驚きのあまりしばらく固まって動けませんでした。外したイヤホンからはジャカジャカと洋楽ロックが軽快に流れています。

「おっAC/DC聞いてるんだ?いい趣味してるじゃん」

 そう言って中村君はニヤリと私に笑いかけます。私は恐ろしくって正直生きた心地がしませんでした。

 と言うのもですね、この中村君というお方。我が校には似つかわしくない風貌の持ち主でして、第二ボタンまで大きく開いて着崩した学生服に、茶色い短髪をツンツンに立てて、あろうことか、彼の上着からはほのかにタバコの匂いが漂ってくるのです。

 私は彼のような人間とは極力関わるのを避けたいと思っていましたので、まさか向うさんの方からお声がかかるなんて事は、夢にも思っていなかったのです。


「龍美さんさぁ、いつも本読んでるじゃん」

 そうそう、中村君がなぜ私を下の名前で呼ぶのかについては、私自身も分かりかねるところです。殆ど初対面と言っていい私(仮にも異性)に下の名前で呼びかけるなんて、今までの私の人生には居なかったタイプの人でしたので、より私の思考はフリーズしてしまいました。


 固まったままの私など無視して彼はどんどん話かけてきます。

「なぁ読書感想文の提出って今日までだったよな?俺まだ書いてないどころか本も決めて無くってさ」

 私が入学した高校は、入学後しばらくすると、もれなく全員に読書感想文の提出が課されていました。

 特に指定された本などは無く、「自由に好きな本を選んで原稿用紙3枚程度にまとめること」という課題でした。

 彼の話を聞いて、私の胸はザワザワと嫌な音を立てます。

 この流れは…まさか。

「龍美さん、なんかお勧めの本無い?」

 その言葉を聞いて、私はホッと胸を撫で下ろしました。

 彼から読書感想文というワードが出た時、私はてっきり「俺の代わりにお前が書けよ」とでも言われるのではないかとビクビクしていたのです。

 それがお勧めの本を教えろだなんて、随分とハードルが低くなって、私はようやく彼とまともに話すことが出来るようになりました。

「お勧めの本かぁ。そうね、何か好きなジャンルは無いの?ミステリーとか歴史物とか」

「何でもいいよ。簡単に読めて簡単に書けそうなモノなら」

 彼はぶっきらぼうにそう答えます。

 質問に対して、この「何でもいい」は一番困るんですよね。

「…うーん」

 私はしばらくの間考えましたが、なかなかコレというものが浮かびませんでした。

「あらすじだけ書いている本でもありゃ助かるんだけどな」

 今でこそインターネットで検索すれば、そんなものはごまんと出てくるでしょうが、当時はそこまで普及していない時代です。

 だんだん考えるのが面倒になってきた私は「ごんぎつね」でも読ませておこうかと思ったのですが、さすがに怒り出して暴れられても怖いので、彼に一つ提案を持ちかけました。

「じゃあ今から図書室に行ってみない?」

 彼は一瞬オッという顔をしましたが、

「一緒に行ってくれるのか?なら頼むよ」

そう言ってまた、ニヤリと笑うのでした。


 入学したてだったこともあって、私はまだ数回しか図書室を利用してことはありませんでしたが、だいたい好みの小説がどこに置かれているかは把握していました。

 私は何が良いかと思案しながら、パラパラと数冊手に取ってみましたが、なかなかこれだ!と言えるものには思い当たりません。

 ふと彼の姿が見えなくなって、キョロキョロと辺りを伺うと、中村君は海外文学作品のコーナーで、じっと腕を組んで立っていました。

「何か面白そうな本はあった?」

「いや、とにかく早く読めそうな、薄い小説は無いかと思ってな」

 呆れた私は、たまたま目に留まった、そんなにページ数もなさそうな文庫本を抜き出し、彼に手渡しました。

「じゃあ、これなんかどう?」

「うーん、これってどんな内容なんだ?大体の流れと結末を教えてくれ」

 彼からそう言われて、私は答えに窮しました。なにせ、たまたま手に取った本だったのですから。

「ダメよ、ちゃんと自分で読んで書かなくちゃ。でもそうね、巻末にある解説文なら参考程度にはなるかもしれないけど…」

 慌てた私はそう言って取り繕いましたが、彼は素直に私の意見に従いました。

「なるほど、じゃあそれを参考に書くよ。助かったぜ、龍美さんの選んでくれた本なら間違いナシだ」

 彼の言葉を聞いて、私はようやく肩の荷が下りた思いで、やれやれと肩をさすりました。


 その日のホームルームで、読書感想文の提出がまだの生徒は日直がまとめて職員室に持って来るようにと先生からお話がありました。

 何の因果か、その日の日直は私だったのです。

 私の机にはクラスメートの原稿用紙がパサリパサリと置かれていきます。

 そして、一番最後にのっそりと現れた中村君は「助かったよ」そう言って、私に直接原稿用紙を手渡しました。

 見ようとせずとも目に入った彼の感想文。

 その書き出しは私に強烈なインパクトを残し、いまだに脳の片隅にこびりついています。


「私はアメリカ文学の中において、本書のように所謂ニューエイジが好むような類の文章については、造詣が深い訳では御座いません…」


 こ、この人、解説の文章を丸写ししてそのまま書いてる!

 プリントを持ったままわなわなと震える私の横で、彼はまたニヤリと笑って、親指を立ててみせたのでした。



 その後、中村君がどうなったかというと、感想文について御咎めがあったかどうかは私には分かりません。ただ、確か体育館の裏でタバコを吸っていた事で謹慎処分を受け、その最中に他校の生徒と喧嘩をしたか何かで、夏休み前には校内から彼の名前は消えていました。



 それから学校は夏休みに突入し、私は長い休みの間に、彼のことも、彼が借りた本のこともすっかり忘れていました。

 そして、あれはお盆を過ぎた頃だったかと思います。


 膨大に出された宿題に手こずっていた私はその日、気分転換に駅前まで出て街をぶらついていました。

 しばらく書店やファンシーショップを冷やかしていたのですが、予想外の気温に私は2時間足らずですっかり疲れ果て、日陰になっていたどこに向かうとも知れないバス停のベンチでダウンしていました。

 風も無い夏の昼下がり。日陰であってもジリジリと体力が奪われていきます。

 私がもういっそタクシーでも拾って帰ろうかと考えたその時、ふいに後ろから肩を叩かれたのです。

 振りむいた先には、黒いサングラスをかけた、上下ダボダボのジャージに、首には金色に輝くネックレス。伸びた髪をオールバックにした、どこからどう見ても「そのスジの人」という風貌の男性が立っていました。

 私は咄嗟に逃げなくてはと思いましたが、足が竦んで立つことが出来ません。

 しかし、「やっぱり龍美さんだ」そう言いながらサングラスを上げて現れたその顔に、私は思わず目を丸くしました。


「中村君?」

「よお、久しぶり」

 彼はドカッと私の横に腰を下ろすと「暑いなぁ」と言い、

「元気だった?」と続けます。

 何も言えずにいる私を上から下まで見回すと、

「あんたにゃ世話になったから、レモンスカッシュでも奢らせてもらえないかな?」

 そう芝居じみたセリフで、あの日のようにニヤリと笑ったのです。

 呆気にとられた私は断ることもできず、ただコクコクと頷いて、黙って彼の後をついて行くしかありませんでした。



 昔ながらの喫茶店に腰を下ろすと、アイスコーヒーとレモンスカッシュを注文し、彼は煙草に火をつけて、フッと宙に煙を漂わせます。

 私はただただ居心地の悪さを感じて、早くレモンスカッシュを飲み干して帰ってしまおうと、そのことばかり考えていました。


「で、どうだい?学校は」

「特に何も」

「先生は?」

「それも特には」

「友達は?」

「いません」

「じゃあ彼氏は?」

「いません」

 そこで彼はひゅうっと短い口笛を鳴らし、

「そうかい。なら俺が彼氏になってやろうか?」

 そう言ってまたニヤリと笑うのです。

 さすがに私もだんだんと腹が立ってきて、ムッとして言い返しました。

「あのね、私もヒマじゃないんです。特にお話が無いのなら私はこれで失礼しますから。それに、自分の飲み物は自分で払います」

 立ち上がろうとする私を、彼が慌てて止めました。

「おっと悪い悪い。久しぶりに会ったからつい声かけちゃっただけだよ。それに、これでも社会人だからな。当然ここは俺が持つから気を悪くしないでくれよ」

「仕事、してるの?」

 私は驚きました。彼の格好からはとても真面目に働いているようには思えませんでしたし、てっきり遊び呆けているんだろう。そう決めてかかっていたからです。

「当たり前だろ。高校辞めてプラプラできるほど、ウチは裕福じゃ無いからな」

 彼は苦笑いして続けます。

「まあ、丁度良かったんだよ。親父も倒れて、入院費も稼がなきゃいけないし、妹も弟もまだ小学生だ。お袋にこれ以上負担かけるわけにはいかないしな。俺が大黒柱にならないと。だから、学校辞めて丁度良かったのさ」

 私は何も言えませんでした。ただ、彼が繰り返した「丁度良かった」という言葉。

 その言葉の裏に、彼の思いが垣間見えた気がして、少し悲しくなったのを覚えています。

「今は胡散臭いヤツの下請けやってるけど、まあ見てろよ。何年か後には会社立ち上げて羽振り良くやってるからよ」

 そう言ってニヤリとする彼の笑顔に、その時の私はもう嫌な感じはしませんでした。


「あっそうだ」

 彼はセカンドバックから、一冊の文庫本を取り出しました。

「これ、返しといてくれないか。もうあの高校に立ち入るわけにはいかないしな」

 彼が差し出した本。

 それはあの日、読書感想文用に彼が借りた、あの文庫本でした。

「じゃあな。今日は久しぶりに会えて嬉しかったよ。無理に突き合わせて悪かったな」

 そう言うと彼は伝票をサッと取り上げて、こちらを振り返ることなくお店から出て行ってしまいました。


 残された私はしばらく彼から預かった本を見つめていましたが、本から漂ってきたタバコの臭いに顔をしかめて、帰ってからその本をビニール袋でぐるぐる巻きにして、通学鞄にしまい込みました。



 それからあっという間に数日が経った新学期の初日、私が学校に着くと何やらクラスがざわついていました。

 久しぶりに顔を合わす級友たちが盛り上がっているのかと思いましたが、クラスを包む空気は、何か不穏なものをはらんでいました。

 そして私は、隣の席にいたクラスメートから、衝撃的な一言を聞くのです。


「ねえ矢沢さん、聞いた?」

「いいえ、何かあったの?」

 彼女は少しもったいぶったように辺りをきょろきょろと見回したあと、私の耳に顔を近づけて小さな声で囁きました。

「中村君が、亡くなったらしいよ」

「えっ!」

 思わず大きな声を上げた私を彼女が神妙な顔つきで見つめます。

「仕事の関係で、怖い人とトラブルになった後、事故に遭ったって噂よ」

「そんな………」

 私は言葉を失いました。


 中村君が、死んだ。


 その衝撃から立ち直れないままに、始業のベルが鳴り授業は開始されます。

 けれどその日の私には、先生の話は何一つ、頭に入ってはきませんでした。

 


 放課後、私は彼から預かった本を手に取ってみました。

 裏表紙に挟まれた貸出カード。

 その最後の欄に、枠からはみ出さんような勢いで書かれた「中村」と言う文字。

 私はそっとカードに触れ、彼の名前を辿ってみました。

 この人は、もうどこにもいないのか。

 ぼんやりとそんなことを考えていた私は、ふと、彼はこの本を読んだのだろうか?そう言えばこの物語はいったいどんな内容なのだろう。

 そう思って、ページをめくっていきました。


舞台は1930年代のアメリカ。大恐慌の煽りを受けて倒産した田舎の工場主の息子、ハーバーは、幼馴染の女の子、ケイティにいつか都会へと出て大富豪になる夢を語ります。


 しばらく読み進めた私はある一行を見て、思わずハッと指を止めました。

 それは、物語の中盤辺りに書かれた主人公ハーバーのセリフでした。


「あんたにゃ世話になったから、レモネードでも奢らせてもらえないかな?」


 旅立ちの前日、ハーバーがケイティに向かってそう語りかけます。


 彼は、中村君は、ちゃんとこの本を読んでいたのです。

 彼はあの時、この主人公のセリフを模して私を喫茶店に誘ったのでした。


 このあと、小説ではヒロインであるケイティのセリフが続きます。


「嫌よ。私はレモネードなんていらないわ。その代わり、お願い。どこにも行かずにここにいて」


 当時の私は、彼がまさか、そんなやり取りを期待していたとは思いませんでしたし、彼なりの「ちゃんと読んだんだぜ」というアピールだったのだろうと理解していました。


 えっ?今はどう思うのかって?

 うーん、やっぱり彼が私にそんな返答を期待していたとは思えません。

 けれど、もしあの日私が押し黙ってしまわずに何か言葉を投げかけていたら、彼の未来は少し変わっていたのかもしれない。


 そんな風にも思えるのです。



 図書貸出カードについての思い出は以上になります。


 物語の結末はネタバレになるのでここには書けませんが、

 その小説の邦題は「花束を君に」

 原題は確か「Bouquet」だったかと思います。

 ここまで書いて、私も久しぶりに読み返したくなってきました。



 今年は遅咲きだった桜もいよいよ見ごろを迎える時期となりました。

 もし古本屋などで「花束を君に」を運よく見つけることができたら、この週末は文庫本を携えて、桜の咲く公園にでも出かけてみようかと思います。



 それでは皆様も、どうかよい週末をお過ごしください。

 また次回のブログでお会いしましょう。


 矢沢龍美でした。

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