第51話 王都発、敵国行(一)

 ガンディアは、小さな国である。

 ワーグラーン大陸中央部に肩を寄せ合うようにして密集する無数の小国家のひとつに過ぎない。

 その小国家の集まりを大陸小国家群と呼ぶ。

 ガンディアは、そんな小国家群に属する弱小国家の一つなのだ。

 そしてその狭く小さな領土の四方をいくつもの国に囲まれている。多くの小国家と同様にだ。

 ガンディアは、南方の護りをミオン、ルシオン両国との同盟によって安定させることに成功しているのだが、一方で、北部に隣接するログナー、ベレル、アザークの三国とは敵対関係にあった。

 特に、小国家群の中でも抜きん出た国力を有するザルワーンと繋がるログナーの存在は、ガンディアにとって長い間頭痛の種であった。

 ミオンと隣接するベレル、ルシオンの隣国であるアザークはまだいい。

 しかしログナーはといえば、ザルワーンの支援を受けて、ガンディアへの侵攻を繰り返してきていたのだ。

 ガンディア国内の安定を図る上では、ログナー、そしてその背後に控えるザルワーンの脅威きょういを取り除こうとするのは至極しごくまっとうな考えだった。

 だが、だれも思いつくことでありながらこれまで実現に向けて動き出せなったのは、長きに渡る指導者の不在という国家にとって致命的な問題があったからだ。

 先王シウスクラウドが病に倒れたのは、約二十年前のことだ。

 類稀たぐいまれなる英傑えいけつうたわれた偉大な王が、栄光に満ちた未来を失ったとき、ガンディアという小国から光という光が失われていった。

 当時、レオンガンドは幼い子供に過ぎず、シウスクラウドに代わって指揮を振るうなどできるはずもなければ、その幼い王子をようして軍を率いるような器量の持ち主もいなかったのだという。

 もちろん、有能な将軍もいるにはいた。

 しかし、英邁えいまいの誉れ高き王によって統率とうそつされていた組織は、その一個人の息吹が届かなくなったとき、見事なまでの機能不全きのうふぜんおちいり、末端では壊死えしを起こしかけていた。

 有能な将軍たちが、次々とガンディアを見離みはなしていったのだ。

 やがて王子は成長したものの、国の内外ではうつけという悪評あくひょうが飛び交い、人心は彼の元から離れていった。

 国民が絶望するのも無理な話ではなかったのだ。

 しかし、先王の死後、王位を継いだレオンガンドは、バルサー要塞の奪還によって国の内外にその実力の片鱗を見せ付けることに成功したのだ。

 それによって、レオンガンドに対する評価が大きく変動したのは、当たり前のことだろう。

 もっとも、未だにうつけなのか、そうでないのか、判断を付けかねているものたちも少なくない。

 シウスクラウドの後継者に相応しいと褒めそやすものもいれば、偶然優秀な武装召喚師を拾っただけの結果であり、奇跡に過ぎないというものもいる。

 レオンガンドが国民の信頼を獲得するには、さらに結果を積み上げなければならないということだ。

「さて、今後の予定だが」

 ラクサス=バルガザールが、セツナに向かって口を開いたのは、ふたりの長い旅路の最初だった。

 ガンディオンを出立してまだ半日も立っていないどころか、一時間経過したのかどうかすら怪しいほどの頃合いである。

 王都ガンディオンから北へと伸びる街道を、ふたりは、馬車に乗って進んでいた。

 晴れやかな空の下、日差しは暖かだ。風もまた緩やかであり、空の青さと白日のあざやかさ、雲の白さが織り成す陰影は目に痛いくらいだった。

 道幅の広い街道を行き来するのは、なにもふたりの乗る馬車だけではない。

 彼らと同様に王都から城塞都市に向かう人もいれば、マルダール、あるいはバルサー要塞からガンディオンへと向かっている人々もいた。徒歩のものもいるし、馬を走らせるものもいる。乗合馬車で目的地へと向かっている人々もいる。

 ここは街道である。

 ある程度自由な往来が許されている以上、人々が行き交うのは自然なことだ。

「まずはマルダールへ行く。それは聞いているな?」

「そこで合流するんですよね?」

「そうだ。その相手なんだが、わたしにも見当がつかない」

 彼は、嘆息たんそくするように告げた。

 相手の少年が不安そうな表情になるのを意識するが、事実なのだから仕方がない。

 もちろん、合流相手の情報を何一つ寄越よこさない上の連中に対して不遜ふそんなことを考えないでもなかったが、言葉にしたところでどうにかなるものでもない。

 あの場では口にできなかったことかもしれないし、説明する機会を失っただけかもしれない。

「マルダールで合流した後、西へ向かう」

 ラクサスは、内心の徒労感とろうかんを押し殺すようにして、話を続けた。王都に帰ってきてからというもの、心配事ばかりが増えているような気がする。それも加速度的にだ。

「西へ? ログナーに向かうんじゃ……?」

「それも考えたがな。こちらはたった三人だ。正面から潜入するよりは、別の方法を取るほうが安全だと判断した」

「別の方法?」

「アザークだ」

「それって、ガンディアの北西の国でしたっけ?」

「そうだ」

 ラクサスは、セツナがガンディア周辺の地理を多少なりとも理解できていることに満足した。

 王命を受けてから出発するまでの数日の間に、彼なりに懸命けんめいに覚えたに違いない。

 彼は、この国はおろかこの世界の住人ですらなく、その上で地理は苦手だと明言していたのだ。そんな彼が頭の中にガンディア周辺の地図を書き込んでいるということは、それ相応に勉強したということにほかならない。

 地図と睨み合うセツナの姿を思い浮かべて、ラクサスは、微笑を浮かべた。

 アザーク。ガンディアの隣国のひとつだ。ガンディアの西にある国であり、南はルシオン、北東部はログナーと隣接している。

「まずはアザークに向かう。アザークとは敵対関係にはあるが、我が国とは現在戦闘状態にはない。比較的安全だろう」

「じゃあ、アザークからログナーに?」

「ああ。口で言うほど簡単にはいかないだろうがな」

 彼は、そこで話を切った。

 アザークからログナーへ入る方法については、三人目と合流した後で十分だと思ったのだ。

 それに、彼の考え事を増やすのは良くないだろうとも思うのである。

 セツナの戦闘力については、余計な心配はしていない。

 この目で見たわけではないにせよ、レオンガンドのお墨付きを頂いている上、実弟のルウファからも絶賛ぜっさんされているほどなのだ。疑う理由はない。

 しかし、精神面ではどうだろう。

 やはり、彼は十七歳の少年に過ぎない。

 戦いとは無縁だった異世界から、闘争に明け暮れるこのイルス=ヴァレに召喚されたというだけの、普通の少年なのだ。

(そうだ)

 ラクサスは、セツナとの初対面のときのことを思い出した。

 廃墟の如く破壊し尽くされた《市街》の一角で、彼はセツナと出会った。

 そのときの印象は、どこにでもいるような普通の少年、というものだった。

 手にした黒き矛は禍々しく、破壊的で、恐ろしいものとしか言いようのない代物だったのだが、しかし、セツナ自身は、そうではなかった。年相応の少年にしか見えない。それこそ、戦場に連れ出すのが理不尽に感じるくらいだった。

 何百人ものログナー兵や数多の皇魔おうまを殺戮した鬼神の如き猛者とは、到底思えなかった。

 むしろ天敵を恐れる小動物のようにすら、見えた。

 そんな少年を敵国の真っ只中に連れて行くというのは、あまりにも無謀むぼう無体むたいな試みだと言わざるを得ないのではないか。

 しかし、だからといってラクサスには、レオンガンドたちの意見に反対する余地はなかった。

 ただ主命しゅめい受諾じゅだくし、全身全霊ぜんしんぜんれいを尽くすのが騎士としての彼の役目なのだ。

 そして、だからこそ、ラクサスは、セツナのことを気に掛けなければならないと想うのだ。

 未知の世界に飛び込んできたばかりだというのに、ただ圧倒的な力を持っていたがために、敵国の内部に潜入するという困難な任務を命じられた哀れな少年。

 不安だらけではないか。

 実際、ラクサスの目の前の少年は、心細そうに視線を落としていた。

「どうしたんだ?」

「大丈夫かなあって」

「なにがだ?」

「あのふたり」

「ああ……あのふたりか……」

 そう言って、ラクサスが頭を抱えたくなったのは、セツナの心配事が彼にも関係の無いことではなかったからだ。

 そのとき、彼の脳裏のうりを過ぎったのは、三日前の出来事である。

 彼の実家であるバルガザール邸の応接室には、王宮帰りのラクサスとセツナ、彼の弟であるルウファ、そして武装召喚師のファリア=ベルファリアの四人がいた。

 彼のもうひとりの弟、ロナンも話に加わりたがっていたが、ラクサスが許可しなかった。

 部外者を入れるわけにはいかなかったのもあるが、ロナンの口の軽さを恐れたのも事実だった。情報の流出は、自分の命を脅かしかねない。

「――理解したわ。セツナ自身が選んだ道よ。わたしが口を挟む余地はないし、それが最良の選択だったと想うもの。ガンディアは小国だけど、とても良い国よ。陛下ならきっときみを悪いようにはしないでしょうし……」

 セツナが話し終えたとき、ファリアが優しげなまなざしで彼を見つめていたのを、ラクサスは鮮明に思い出すことができた。

 彼女がセツナに対し見せる慈母のような表情が印象に残っている。

「ファリア……」

 そんな彼女にセツナが感極まったように声を震わせたのは、二人の関係性からくるものなのだろう。

 ラクサスは、ファリアのひととなりについてはそれなりに理解していた。そして彼女がセツナの命の恩人であり、以来、親身になってなにかと世話をしている人物だということをセツナ自身の口から聞いてもいる。

 セツナが彼女に特別な好意を寄せていることがなんとはなしに理解できるくらい、王を前に熱っぽく語っていたものだ。 

「きみにはきみの、わたしにはわたしの道がある。きみはきみの想う通りに進んで行けばいいのよ。それについて、わたしがなにかをいうことなんてできるわけがないでしょう」

「ありがとう……ファリア」

「感謝されることでもないけど」

 ファリアが小さく笑ったのは、セツナへの照れ隠しなのだろうが。 

「……でもまあ、それにしたって、いきなり敵国に潜入とはねえ……って、そんなこと、わたしに話しても良かったの? 部外者よ?」

 ファリアの悪戯っぽい微笑はもう少し見ていたくもあったが、ラクサスは、口を挟まなくてはならなかった。そろそろ彼女に説明しなければならない。

「いや、そうではありませんよ」

「はい?」

「あなたにも協力してもらわなければならないのです。ファリア=ベルファリア殿」

 ラクサスは、ファリアのほうけたような顔を見た。

 彼女ほどの人物が、こちらからなにがしかの要請があることを予想していなかったとは到底考えられないことなのだが、表情を見る限りでは普通に驚いているようだった。

 もしかしなくとも、セツナのことで頭が一杯だったのだろう。

 故に、ラクサスに返ってきた言葉も的外れだった。

「わたしもログナーに行け、っていうことかしら?」

「いえ、あなたにはルウファと行動をともにしてもらいたいのです」

「はあ?」

「ルウファには、セツナの代わりをしてもらうのでね」

 ラクサスの言葉に、彼のすぐ隣から驚愕と悲鳴の同居した叫び声が上がってきたのは、当然の結果だっただろう。

「ええっ!?」

「ああ。言っていなかったな。そういえば」

「兄さん!?」

 ラクサスが目を向ければ、ルウファは、ただ愕然がくぜんとしていた。

 ルウファにとっては予期せぬ事態だったに違いなかったし、ラクサスからしてみれば想定の範囲内の反応だった。

 ルウファは、間違いなく自分は部外者なのだと決め付けていた。だとすれば、どうして関係者以外立ち入り禁止のこの空間に存在することを許されたのかを考えるべきであっただろう。

 弟のロナンが入室を禁じられ、彼が許された理由を。

 ラクサスは、冷ややかに告げた。

「陛下の御命令だ。ルウファ。おまえにはしばらくの間、セツナ=カミヤとして振舞ってもらうことになった。バルサー要塞の奪還以来、ガンディアの、黒き矛の武装召喚師の噂は、周辺諸国にも知れ渡っている」

 レオンガンドが直々に言いふらしたという事実もあるが、仮にそうしなかったとしても、セツナ=カミヤの名は雷鳴の如く轟き渡っていたに違いない。

 ガンディアにとっての一大事は、近隣の小国家にとっての一大事でもあるのだ。

「それほどの人物の姿が、突如として人々の前から消えたらどうだ?」

「それは……間違いなく噂になりますね」

「そうだ。人の口に戸は立てられん。噂は、様々な憶測を呼ぶものだ。憶測など所詮憶測に過ぎないが、確信に迫る可能性もないとは限らない。例えば、セツナは極秘の任務に携わっているとか、ログナーに潜入しているとか、な。そんな話がログナーに知られてみろ。潜入中の我々が窮地きゅうちに陥ることけ合いだ」

「それはまあ、わかりますけど……」

 そういいながらもルウファは、納得できないといいたげだった。不服な本心を隠すこともせずに聞いてくる。

「見た目は、どうするんです? おれとセツナなんて似ても似つかないじゃないですか」

「髪は染めてもらう。背格好はそれほど変わらない……か?」

「いやいや、おれのほうが高いし」

「それなら、足を切ってもらうとして」

「無理ですよ!」

「陛下の命令でもか?」

「ぐ……!」

 それはさすがに暴論ぼうろんであったが、それでもルウファが食って掛かってこないのは、彼がガンディア王家に忠誠を誓った人間であるという自覚があるからだ。

 王の命は絶対――幼い頃からそう教育されてきたというのも大きいのだろうが。

 ラクサスは、そんな弟にたいして表情が緩みかけたものの、彼の中の冷徹れいてつな意志が微笑さえも浮かばせなかった。

「冗談だ。背丈など正確に知られているはずもない。なにより、印象が大事なのだ。セツナ=カミヤは黒髪の少年だ。その条件さえ満たしていればいい」

「だったら、おれじゃなくても……」

「おまえは武装召喚師だろう」

「うう……こんなことのために武装召喚師になったわけじゃないのに」

 がっくりと肩を落とす実弟に、ラクサスは、しかしまなざしをさらに険しくした。悲嘆ひたんに暮れるルウファを見据え、極めて冷厳に、問う。

「では、なんのためにこの家を飛び出した? バルガザールの家名にどろったおまえをなんのとがもなしに迎え入れた父上の判断は、やはり間違いだったのか?」

 ルウファがバルガザール家を飛び出した理由を、ラクサスは知らない。

 おおよその見当はついているものの、その事実を本人に聞き出したことはなかった。そもそも、ルウファとこれほどまでに言葉を交わしたのは、実に五年ぶりのことだったのだ。

 五年である。

 ルウファが、武装召喚師を志して家を飛び出し、そのまま消息を絶ってから、五年もの歳月が流れていた。

 その間、ラクサスは騎士して一人前になるべく、修練に修練を重ね、バルサー要塞の防衛戦に参加し、あるいは皇魔の巣を滅ぼすために国内を走り回っていたのだ。

 風の噂を聞くこともあった。

 ルウファが無事だという噂には安堵あんどを覚えながらも、いきどおりを感じずにはいられなかったし、半年前、ルウファが王都に帰ってきたという報告は、彼は神へ感謝したものだった。

 そして、父であり将軍であるアルガザードが、ルウファに下した一年間の謹慎きんしん処分という判断には、異論を抱きつつも胸を撫で下ろしたものだ。

 家を出る前から武装召喚師としての訓練を始めていたとはいえ、わずか五年で、武装召喚師として人並み以上の腕前を身に付けたという事実は、ルウファなりの覚悟の大きさを物語っていた。

 並大抵の努力ではない。

 それこそ血のにじむような鍛錬と研鑽けんさんの日々を送ってきたに違いない。

 だからこそ、ラクサスは、ルウファが目の前にいるという事実が嬉しくもあるのだ。

 彼は、王家に力を尽くすために武装召喚術を身に付けようとし、そして見事会得して帰還を果たした。

 それは驚くべきことだった。

 身勝手みがって叱責しっせきしながらも、彼の成果を賞賛しょうさんせずにはいられない。が、手放しに喜ぶこともできない。そんな相反する感情のせめぎ合いの中で、ラクサスが表情を崩すことなど許されなかった。

 不意に、ルウファの瞳に光が灯った。強い、決意の輝き。

「……わかりました。やります。おれにやらせてください!」

 覚悟を決めたのだろう。

 ルウファの声音に込められた想いを察して、ラクサスは、表情をほんの少しだけ緩めた。だが、声音を穏やかにすることはかなわない。

「ルウファ。おまえは本来謹慎中の身ではあるが、今回は特例の処置により任務に参加することが認められている。これはおまえ以外に適任者が見つからなかったからというのが理由だが、おまえがみずからの意志で武装召喚術を修めてきたということに対する、陛下からのお答えでもあるのだ。そして、この任務を無事に成し遂げた暁には、おまえの謹慎も解かれる手筈になっている。心して、事に当たるのだ」

 ラクサスは、ルウファの貴公子然とした顔に驚きが刻まれ、次第に歓喜へと変化していく様を見つめていた。

 陛下の答え。

 それはつまり、ルウファの身勝手が認められたということに他ならない。彼の独断で成し遂げたことが、この国のためになると判断されたのだ。

 ルウファにとって、これほど嬉しいことはないのではないか。

「はい……!」

 感極まった様子で首肯しゅこうする弟の姿に心を動かされそうになりながらも、ラクサスは、眉ひとつ動かさなかった。

「で、わたしは?」

 困惑気味に尋ねてきたファリアに、ラクサスは、気を取り直すように咳をすると、彼女に向き直った。

 最初はファリアへの協力要請についての説明をするつもりだったのだが、つい話が逸れてしまっていた。本筋に戻さねばならない。

「さっき言った通り、ルウファにはセツナに変装してもらうわけですが、その間、ファリア殿はルウファの隣にいてほしいのです。セツナの隣には美しい武装召喚師がいる、という話も有名ですからね」

「ええ!? そうなの!? 知らなかったわ……」

「ファリア……?」

「美しい召喚師だなんて……!」

「なんか喜んでるし――」


 狂喜乱舞するファリアの姿にセツナが大きくため息をついたところで、ラクサスは、その長い回想を終えた。

 もっとも、現実の時間にしてものの数分も経過していないだろう。

 事実、窓の外の風景はほとんど変わっていなかった。

 一向に代わり映えのしない街道の景色は、ガンディアに訪れた一時の平穏を形にしているかのようであり、ガンディオンからマルダールへと伸びる長い道のりには、危険らしい危険がまるで見当たらないことを示してもいるようだった。

 無論、皇魔の姿はおろか、野盗の気配も感じられない。

(マルダールまでは、遠いな)

 ラクサスは、所在無げに外の景色を見遣るセツナのことを気にしながらも、城塞都市マルダールで待つという三人目の同行者について思い巡らせていた。

 ログナーでの諜報活動に役に立つ人間であれば、どのようなものでも構いはしないのだが、それでも考えざるを得ないものだ。

 そもそも、これから決死の任務を共にする間柄であるはずのラクサスたちにまで、同行者の詳細を明らかにしないのはどういう了見りょうけんなのだろうか。

 何かしら複雑な事情があるのは間違いないようだが。

(なんにせよ、考えるだけ無駄か……)

 ルウファのことを心配するのと同じことだ。

 いまの彼にはどうすることもできない事柄なのだ。

 無駄なことに頭を捻る必要は無い。

 無駄なことはしないほうがいい――そんな風に考えながら、ラクサスは、まぶたを閉じた。マルダールまではまだまだ距離がある。

 それならば、しばらく眠っていても構わないはずだ。

 ここ数日多忙を極めた。

 王都を出発するまでにいくつかの書類を提出しなければならず、また、ログナー潜入のための段取りも決めなければならかった。忙殺されたといっても過言ではない。

 少なくとも、ゆっくりと睡眠を取れるような時間さえなかった。

(たまには、な……)

 ラクサスが睡魔すいまに身を委ねるまでに時間がかからなかったのは、疲労が蓄積ちくせきしていたからに違いなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る